昨夜、東京在住の長女が帰省した。
この連休を実家で過ごす。
もともとは、彼女は友人と関西方面の旅行を計画していたが、地震で急きょ取りやめに。
我が家に、東京の友人とともに2連泊するということだったので、必死で掃除、整頓したが、
必要以上のガンバリが無駄になった。
まあ、いつもが汚すぎるので文句は言えない。
旅行帰りに、義母の家にも寄るかも、とのことだったが、義母は特別には掃除してなかったそうだ。
夫と長女はまったく同じことを言った。
「特に掃除してなくても、普段のおばあちゃんちのほうが、うちよりずっとキレイ」
わたしは、いたく気を悪くしたが、その通りなので、ただただ、しゅんとした。
キレイに整頓したせいで、夫は自分の衣類を探しにくいし、
わたしはキッチンで、あれこれ、とても不便。
出しっぱなしのほうが、見やすいし、しまう必要もないし、便利だ。
見た目がよくないのだけが、欠点。
なので、人が我が家に来るとなると、モノを片付け、仕舞い込む。
長女には、うちにはモノが多すぎる、と、言われた。
その通り。
昨日の立ち読みシリーズ。
「老前整理」(→老前整理コンサルタント・坂岡洋子氏・著)
「ビミョ―な人」とつきあう技術~ことごとく期待を裏切る「あの人」の正体」(小倉広・著)
(→「残念な人」と同じニュアンス)
「頑張っているのに、仕事が出来ない人」(→タイトル、忘れた)
ああ、どれも、わたしのこと。
長女が起きてこないうちに、と、いま、焦って更新している。
今朝の朝刊を読むと、ひとつひとつの悲劇がたくさん、報じられていた。
ひとつひとつ、ひとりひとりの悲劇が、あまりにも、深く、大きい。
日ごとに、報道される数々のニュース、
新聞のほんの少しを読んだだけでも、とてつもないことが起こったことを改めて知る。
報じられていない悲劇は、どれだけ多くあることだろう。
さて、娘たちが起きてくる前に、
朝っぱらからブログ更新している姿を発見されないように、そそくさとパソコンを離れよう。
このアセアセ、焦るかんじは、
子供たちが小さいころ、子供が寝ている間に用事を早く済ませる、あのかんじと
似たような感覚だ。
子供は頼もしく成長したが、わたしは、どんどん、ビミョ―になっていく。
トップ画像は、昨日、立ちよったフロアで見かけた生け花。
お花だけを撮ったのだが、お花の真横に、年配の男性がおられたので、
ケータイでシャッターを切る時に、不快になられないかと、ちょっと申し訳ないような、
あなたを撮っているのではありませんから誤解しないでね・・・と、
こころの中で言い訳しているような
そんな気になりつつも、懸命に写真を撮った、ビミョ―なわたし。