「アルフォンス・ミュシャ展~生誕150年記念」に、行ってきた。
なかなか時間が取れなくて、またまた展覧会・最終期限とニラメッコしながら、
アセアセ、と。
芸術をアセアセ観るひとは、明らかに、残念なひと。
展覧が行われているのは、堺市にある、堺市博物館。
JR阪和線・「百舌鳥駅」を降りて、6分ぐらい歩くと、大仙公園があり、その中に、堺市博物館はある。
こんな駅、はじめて降りたので、ガイジンになったかんじで、「ココは、ドコ?」と、
街のマップをまじまじ、一生懸命、見る。
でも、表示が道のあちこちにあって、
どんくさい方向オンチのわたしでも、すいすい、迷わず辿りつけた。
ありました。
堺市博物館。
歩くひとの姿は、まばら。ぱらぱら。
博物館に向かうと、右手側にはお茶室があって、左手側には、千の利休さんの銅像があった。
さすが、堺。
堺といえば、刃物と、与謝野晶子と、ミュシャと、利休さんですものね。
さて、お目当てのミュシャ展。
さてさて、どんなかな?
時間はたっぷり。
といっても、わたしのスケジュール上、最大2時間以内の設定で。
わたしとしては意外にさっさと観たようで、1時間ちょい、ぐらいの所要時間。
音声ガイドは、今回は借りなかった。
ちょっと中心地からはずれた博物館で、人出もそう多くなく、
ミュシャなら、まあ要らないか・・・なんて、テキト―な理由。
もともと「カメラのドイ」の創業者、土井さん(故人)が、新婚時代を堺市で過ごされたとかで、
彼の多くのミュシャのコレクションを堺市に寄付されたそうだ。
堺市内の別のミュージアムでは、常設展でいつもミュシャを観ることができる。
なので、ミュシャ展といえば、年がら年中行事、みたいな感覚。
土井さんのおかげなのだが。
ミュシャは、プラハ生まれ。
5年半ほど前に、プラハのミュシャ美術館で、ちらりと観たのだが、
ちいさい美術館で、「ほんとに、美術館なの?」と、思ったぐらいだった。
作品もごくわずかしか展示されていなかったし。
まるで、出店みたいで、全然、気合いが入っていない印象を受けた。
今回の堺市博物館の展覧会では、
プラハ市立美術館や、チェコ国立プラハ工芸美術館蔵の作品も結構あり、
ミュシャ美術館とのポジションが違うのだろうか。
ミュシャの絵は、誰もが一度は目にしているほど、世界中で有名だけれど、
50歳を過ぎてからの「祖国とスラブ民族の再生」に熱情を注いだことは、あまり知られていない。
数多くの油絵を観て、ミュシャが油絵を描いていたことを、わたしは、まったく知らなかった。
商業デザインのリトグラフで、一時代を切り拓き、築き上げたミュシャ。
時代の寵児となり、超多忙で、次から次へと、注文をこなしていたようだが、その作品数は、すごい。
(リトグラフだと、何枚も同時に、数多く出回るけれど)
作品の少ない芸術家もいるが、そもそも芸術家と、商業アーティストの違いって?
認められるか、認められないか。
パトロンがつくか、つかないか。
生活のためにやっているのか、自分のためにやっているのか。
微妙なところだ。
が、多くの人々に感動と影響を与え、ひとつの時代だけでなく、後世にも作品を遺した
そういう偉業を成し遂げた人が、芸術家なのだろう。
もともとわたしは、アール・ヌーヴォ―の大きな特徴である、
あの優美で繊細な、しなやかな曲線が大好き。
家具や、アクセサリー、建築、内装にも、ああいったテイストを取り入れてあるものには、
強く魅力を感じる。
ただし、東欧旅行では、クレジット・カードを持って行くのを忘れ、(自分でもマヌケぶりに、びっくり)
わずかばかりの現金だけだったので、プラハのお店で、重厚な素晴らしい品々を見たものの、
指をくわえて眺めていただけだった。
買ったのは、わずかな現金をはたいて、無名の絵描きさんの版画と、
ステンドグラス(一番下の写真)と、アール・ヌーヴォ― デザインの銀のネックレスだけだった。
帰りに、そんなことをあれこれ考えながら、
ゆるやかな日差しを浴びながら、公園を抜けて帰った。
今回は、作品についての感想がほとんど綴られていません。
わたしとしては、「永年の大親友の結婚式に招かれて、スピーチを頼まれた」、といったところ。
いまさらながら・・・言わなくてもわかってるよね、・・・といったかんじです。
(よく知りもしないで、しゃーしゃーと言ってのけるところが、また、・・・
恥知らずな、残念なところですね)
ミュシャもパリで活躍。当時のパリの空気を吸って開花。
「パリ」というキーワード、わたしにとっては、得体の知れない、でも、麻薬みたいな、
そういう不思議な吸引力を持っています。