昨日も今日も、まったくテレビでCMが流れていない。
バラエティなどの娯楽番組はもちろん、ごく一部のローカル局を除いて、
地震報道特番以外は、まったく放映されていない。
地震当日、翌日より、3日目は、さらに甚大な被害が続々と報道されている。
避難されている方々の数や、まだ孤立して援助を待っている方々も多く、
災害は、まだまだ終わることはない。
折しも、地震発生は週末の金曜日。
被災地以外の、土日が休みの人は、一日中、地震報道を見て過ごすことになっただろう。
節電協力のメールが、学生時代の同窓生から届き、拡散してほしいとのこと。
知り合いの後輩にメールを送った。
自分も節電できるところは実践しようと思う。
海外からも続々と支援隊が訪れてきている。
義援金も送られてきている。
さっそく、行動で協力を示してくれるとは、有難いことだ。
思ったより、かなり深刻な状況となっている。
まだまだ被害の実体がつかみきれず、収拾がついていないようだ。
津波に肉親とともに飲み込まれ、ご自分は九死に一生を得たものの、
離れ離れになってしまった方や、目の前で流されていく人を助けられなかった方の話が
報道されていたが、言葉を失った。
わたしが、うだうだ、ブログにアップしてもなんの手助けにもならない。
ライフラインが生活には要、とか、そういうフツーの当たり前のことを言っても、はじまらない。
復旧の見通しも立っていない。
家もなく、避難生活を強いられ、まして、救助されていない人さえ大勢おられる。
そんな状態での、うわっ滑りな発言は控えたい。
原発事故は、また別の次元で、限りなく恐ろしい。
大きな事故が同時に起こったが、偶然ではないわけで。
しかしまあ、専門家の専門資料の数値を読むだけの説明は、国民に対しては、適切ではない。
そんな専門家だけがわかる説明が、
一般国民に向け、ふさわしいと感じていることに、改めて驚きを感じた。
もっと、わかりやすい、専門バカ的でない、ふつうの感覚を持って説明してくれる人は、いないのか。
もし、自分が被災したら、どうする?
トイレに行けない、ただ、それだけでも、とても大きなことだ。
日頃の生活を足元から見つめ直し、感謝するとともに、
被災された方々には、ハード面だけでなく、こころのケアも必要だとは思うが、
まずは、その前に、救出が第一。
政府も、自衛隊の援護を早期に10万人に増員すると決定したことは、よかった。
迅速な判断が、あちらこちらで迫られている。
ボランティアに協力を要請するようだが、
初期においては、適材適所、人の割り振りが難しいだろう。
書けば書くほど、自分はなにを軽く上滑りなことを書いているんだろう、と感じる。
こころが折れることなく頑張っていただきたい、などと、そんな言葉、掛けられない。
時間と労力と、こころをかけて築き上げてきたものが、一瞬にして失われることに対して、
経験も、想像もできないわたしが、安易に、月並みな表現で、言葉を選ぶのは、慎みたい。
この事態、被災された方々のことを考慮して、
自粛して、ブログ更新はしません、というブロガ―さんもおられる。
そういう自粛もあるのかも知れないが、寄付や節電、ボランティアの協力という方法もある。
ひとりひとり、各々の能力に応じて、できるだけのことをして協力したいものだ。