蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

地震発生から、3日目

2011-03-13 | 時事&世の中

昨日も今日も、まったくテレビでCMが流れていない。
バラエティなどの娯楽番組はもちろん、ごく一部のローカル局を除いて、
地震報道特番以外は、まったく放映されていない。

地震当日、翌日より、3日目は、さらに甚大な被害が続々と報道されている。
避難されている方々の数や、まだ孤立して援助を待っている方々も多く、
災害は、まだまだ終わることはない。

折しも、地震発生は週末の金曜日。
被災地以外の、土日が休みの人は、一日中、地震報道を見て過ごすことになっただろう。

節電協力のメールが、学生時代の同窓生から届き、拡散してほしいとのこと。
知り合いの後輩にメールを送った。
自分も節電できるところは実践しようと思う。

海外からも続々と支援隊が訪れてきている。
義援金も送られてきている。
さっそく、行動で協力を示してくれるとは、有難いことだ。

思ったより、かなり深刻な状況となっている。
まだまだ被害の実体がつかみきれず、収拾がついていないようだ。

津波に肉親とともに飲み込まれ、ご自分は九死に一生を得たものの、
離れ離れになってしまった方や、目の前で流されていく人を助けられなかった方の話が
報道されていたが、言葉を失った。


わたしが、うだうだ、ブログにアップしてもなんの手助けにもならない。
ライフラインが生活には要、とか、そういうフツーの当たり前のことを言っても、はじまらない。
復旧の見通しも立っていない。
家もなく、避難生活を強いられ、まして、救助されていない人さえ大勢おられる。
そんな状態での、うわっ滑りな発言は控えたい。

原発事故は、また別の次元で、限りなく恐ろしい。
大きな事故が同時に起こったが、偶然ではないわけで。
しかしまあ、専門家の専門資料の数値を読むだけの説明は、国民に対しては、適切ではない。
そんな専門家だけがわかる説明が、
一般国民に向け、ふさわしいと感じていることに、改めて驚きを感じた。
もっと、わかりやすい、専門バカ的でない、ふつうの感覚を持って説明してくれる人は、いないのか。


もし、自分が被災したら、どうする?
トイレに行けない、ただ、それだけでも、とても大きなことだ。

日頃の生活を足元から見つめ直し、感謝するとともに、
被災された方々には、ハード面だけでなく、こころのケアも必要だとは思うが、
まずは、その前に、救出が第一。

政府も、自衛隊の援護を早期に10万人に増員すると決定したことは、よかった。
迅速な判断が、あちらこちらで迫られている。

ボランティアに協力を要請するようだが、
初期においては、適材適所、人の割り振りが難しいだろう。

書けば書くほど、自分はなにを軽く上滑りなことを書いているんだろう、と感じる。

こころが折れることなく頑張っていただきたい、などと、そんな言葉、掛けられない。
時間と労力と、こころをかけて築き上げてきたものが、一瞬にして失われることに対して、
経験も、想像もできないわたしが、安易に、月並みな表現で、言葉を選ぶのは、慎みたい。


この事態、被災された方々のことを考慮して、
自粛して、ブログ更新はしません、というブロガ―さんもおられる。
そういう自粛もあるのかも知れないが、寄付や節電、ボランティアの協力という方法もある。

ひとりひとり、各々の能力に応じて、できるだけのことをして協力したいものだ。

 

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