ここのところ、わたしのブログは、偏っている。
偏食気味の幼稚園児のよう。
とても中途半端だ。
昨日は、テレビもまったくつけず、
一日中、FMで音楽を流しながら、パリのガイドブックを読んでいた。
いったい、いつ行く?
行くことなんか、一生、できないんじゃないの?
物理的に行こうと思えば、行ける。
手続きをして、飛行機に乗って、体を移動させればいい。
だが、精神面がついていかない。
100%、いや300%自信がない。
団体ツアーにおひとり様参加なら、行けないこともない。
(足を引っ張って、迷惑は、かけるだろうけれど)
わたしが行きたいのは、ひとりで!!だ。
幼稚園児か、小学校低学年の子が、遠くのおじいちゃんの家に、電車を乗り継いで辿り着く、
ああいうかんじ。
お母さんに電車に乗せてもらい、到着駅では、おじいちゃん、おばあちゃんが待っている、
リュックを背負った、不安だけど、頬を紅潮させ、緊張している、ちっちゃい子。
それが、ちょっと、太めで、弛みかけで、若々しさのない、へんにオドオドしたおばちゃんに、変わっただけ。
あんまり、可愛くは、ないな~。
フレッシュさという意味では、ひょっとして、発酵したテイストに変換されてるのかも。
チーズやヨーグルト、納豆、・・・発酵食品は、おいしいものもあるが、
賞味期限はとっくに過ぎ、消費期限もアウトになっているが、まだ食べられないこともない、
といったところか。
(ただし、お腹をこわすリスクつき。気合いで食べる)
と、延々、前置きをするわたし。
だから、いつまで経っても、本を眺めるだけなのだ。
細かい、拡大された地図を、じーーーっと見る。
それも、長時間。
200メートル単位の地図。
グーグルでストリートビューはまだ見ていないが、それもなあ・・・(見るかも知れないけれど)
フランス語がわからないから不安。
生まれつきの方向オンチも致命傷。
それより、持って生まれた、ドンくささ。これは、どうにもならない。
でも、わかりやすい場所のホテルに泊って、まっすぐ道を歩くだけのコースをとれば、
どうにかなるんじゃないか?
わからなくなれば、タクシーに乗って、ホテルに帰ってきたらいいんじゃないか?
目が見えない人が、はじめての地に、介添え人なしで、歩くようなかんじ。
旅の現地アテンダントの人に、サポート依頼もしてみたものの、
日程をお知らせする段階になって、尻込みしてストップしたまんま放置している。
娘と5年前に行ったけれど、娘は初めての地なのに、
すいすい、たいして地図も見ず、街なかの目的の場所に辿り着いたし、
地下鉄にもちゃんと乗れた。
なんで、わたしには、それが出来ないんだろう?
地図の読めない女性って、ほんとうにわたしのこと。
小学校低学年の時に、授業で初めて「東西南北の概念」を習ったが、
ちんぷんかんぷんで、理解できなかった。
(それが、おベンキョ—のつまずきの第一歩。それ以来、理科は・・・・・ああ、思い出したくない)
その問題傾向は、いまだに解消されず。
娘と一日中、パリを歩き回って疲れたけれど。
帰りは、ホテルがわからなくなって、夜遅くまで歩き続け、
何時になっても到着するまで歩くという娘だったが、
昼間ならまだしも、時間も時間だったので、わたしが無理やりタクシーを呼びとめた。
年に2回、更新される、旅行会社のパンフレットをじーーーっと見て、どのホテル、どの日程にしよう・・・
と、考えるものの、半年はあっという間に過ぎ、また、次の向こう半年後のパンフレットを手に入れる。
そして、じーーーっと見て、また半年が過ぎる。
これの繰り返し。
これって、鉄道の時刻表だけながめて、旅している気になっているマニアと、きっと同じ。
行けないと、ほっとしたり。
実際、行くと決めたら、ほんとうに行くことになったら、辛そう。
地図でフリーズしているだけで、行きたいところの下調べは、ほとんど出来てないし、
イメージばかりふくらませて、肝心の実際の行動準備が整ってない。
ガイドブックも、「読む」というよりは、「眺める」。
理解したり、アタマにたたみ込むのではなく、
脳に、じわっと麻痺効果のある物質を送りこんでいるだけ。
わたしは、「転ばぬ先の杖」的な下準備、予習ができない、
ぶっつけ本番、当たって砕けろタイプなので、(実践でほんとうに、いつも砕けている)
ほとほと、いつもわかっていながら、困っている。
行きたいのか、行きたくないのか、どっち?
自分でもよくわからないけれど、無駄な、非生産的な時間を楽しんでいる。
というか、最近は、苦しんでいる。
ほんとうのところ、どうするん? と、結果を迫る、焦るわたし。
機会は、もう、ないかも知れない。
行けるときに行かないと、一生、いけない。
ヒマなひともいるもんだなあ・・・と、笑ってください。
ひんしゅくモノかも知れません。