蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

感謝のこころ。

2011-03-21 | 

昨日は、お彼岸の墓参りに行った。
お墓は、義母の家(夫の実家)から徒歩8分~15分ぐらいのところにある。

東京在住の長女、実家住まいの次女、
そして、今は、義母宅から電車などで、3時間半~4時間ぐらいのところに赴任中だが、
4月から、うんと遠くに赴任する息子が、意外や意外、特別参加。
わたしは、息子は遠いし、仕事が大変だろうと思って遠慮していたが、
長女の提案により、息子にメールしたら、当日、突然、現れた。
義母は、とても驚いていた。
それより、わたしも、びっくり。

もうすっかり成人の子供たちが3人とも揃い、お墓参り。
夫は、今回は遠方に行っていて不参加だったが、
お墓のなかの人、特に義父がいちばん喜んでいるメンバーだ、と、義母は目を細める。
義父は、孫たちが大好き、なかでも男の子(=息子)には特に、とりわけ愛情を注いでいた。

いつも義母の家から、お墓へは、車で行くのだが、長女の呼びかけで徒歩で行った。
天気予報によると、昨日は午後から雨が降るとのことだったので、わたしは焦っていたが、
ひとりひとりに無理やり傘を持たせて、お墓に向かった。

イイ年の大人が4人、全員、雨も降っていないのに、長傘を持って、ぞろぞろ。
あとから、もし、雨が降ってきたら、濡れるのは嫌だったので
嫌がるイイ年の大人に、渋々、傘を持たせてしまったものの、その行列をまじまじ見ると、
大名行列ならぬ、ペンギンの行列でもない、なにかわからない、わたしの「ヘンさ」を押し付けたようで、
ちょっと、悪いような気がした。

最後に、申し訳程度に雨がチロっと降ったが、あれは、降ったとは言わない程度。
まあ降らなくて、不幸中の幸いだけれど。

娘たちは、お正月にも集まり、お墓参りをしたばかり。
遠隔地から、わざわざお墓参りをしに行くというと、勤務先の人たちに、口を揃えて、
若いのに感心だと言われ、よほど重々しい家なんだろうと想像されるそうだ。
教育がしっかり行き届いているのかも、と、本人たちは言うが、わたしは教育した覚えはまったくなく、
むしろ、無信心のわたしが一番、渋々だったりする。

真面目だなあ・・・うちの子供たちは・・・
わたしが脱帽するぐらいだ。
わたしが一番、不真面目だ。サボりだ。
義母の教育の賜物なんだろう、きっと。
なんだか、不思議なような、義母の太陽政策って、すごいな、と感心するような。


わたしは、墓参りのあとは、義母のグチをたっぷり聞かせていただいた。
内容は、義母の家のご近所さんのこと。
ご苦労さん。
人間関係は、どことも、たいへんな様子。


夕食は、義母宅では、なにも用意していなかったが、
調理実習のように、子供たちが各自、料理してくれて、クラブの合宿みたいになった。
わたしの料理が、結構ヘタで、(涼しい顔して言うのもなんですが)、息子は、美味しく作ってくれた。
親がダメでも、子供は、ちゃんと料理してくれるんだと、料理ベタのわたしは自己弁護、自己防衛。

「料理がデキル男は、歓迎されるよ。
あとは、イケメンは不可能でも、イクメンになれたら、バッチリやねえ」
と、ひとりヘンにテンション高い、わたしの言葉には、みんなは、聞こえないフリ。
いつものことですけどね。

震災のニュースを皆で見ながら、ぼそぼそと、合宿料理を食べた。

我々って、結構、地味な家族やなあ・・・と、思った。
夫不在なので、目まぐるしいテレビのザッピングや、大音量バラエティ、大酒なんてこともなく、
なんとなく、静かに地味に、まとまっている。

大黒柱あってこそ、今日まで来られたのだが。

特別に素晴らしいことはなくても、
べつに、力むことなく、無理することなく、家族で集い、お彼岸に、ご先祖様に手を合わせ、
平穏無事に過ごせるありがたみをつくづく感じた。

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