昨日の地震、夜が明けるとともに、その被害が明らかになった。
わたしは、あの時間、午後3時ごろは、大阪市中央区にいて、古いビルの5階で椅子に座っていた。
ぐらり、というよりは、ふらり、ふらふら、ゆらり、ゆらゆら、結構長い時間、ゆるやかに揺れていた。
周りの人たちは、あまり何も感じていないようなかんじだったので、
わたしは、めまいか、自分の体が何かの病状が出ているのかと思った。
しばらくして、ビルの管理サイドの人々が、地震情報を伝えたり、非常階段を確認、誘導したり、
ばたばたと緊張した面持ちで、フロアーを回っていた。
大阪市内は、どうということはなかったが、
東京在住(仕事で赴任中)の長女からメールが、地震後まもなく、家族全員にあてて送信された。
「東京は、結構、揺れています。
関西は大丈夫?」
夫とわたし、そして義母が、メールのやりとりをした。
息子と次女からは、メールなし。おそらく、なんの被害もなかったのだろう。
息子の住む一部地域は、津波への注意、避難勧告が出されているようだが。
義母は、長女のメールで状況を知り、東京の親戚にメールを送ったそうだ。
(固定電話、携帯電話は、通じず)
こういうときは、携帯のメールで状況がわかり、とても助かると、義母からメールが届いた。
後でわかったが、都内に勤める長女は、昨夜、住まいまで20キロ、5時間強、徒歩で帰ったそうだ。
パンプスで大変だろうとメールすると、勤務先からスニーカーが配布されたらしい。
さすがの東京都、防災危機管理。
それとも、企業の姿勢か?
NZ地震のショックもまだ記憶に新しい。
阪神淡路大震災から、何年経った?
大きな地震があると、離れて住んでいる家族のことが心配になる。
我が家の地震対策、まったくしていない。
もっと、しっかりシュミレーションすべきと、猛省。
しかし、こんな大きな地震では、なす術もない。
TUNAMI(津波)という名称が、世界で使われるようになっているが、
先日、クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフタ―」を観たばかりで、その様子が重なる。
地震列国、日本。
阪神淡路大震災の時は村山さんだったが、菅さんも、大忙し。
度々、会見の様子がTVで映し出されるが、枝野官房長官の緊張した表情。
被害が明るみになるにつれ、自然災害の猛威に、恐怖を感じる。
まだまだ、これで収拾に向かう一方とは言えないようで、
引き続き、警戒が必要だ。
不幸にもお亡くなりになった方々には、謹んで哀悼の意を表しますとともに、
被災された方々には、一日も早く元の生活に戻れますよう、被災地の復旧を
心から願っています。