蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お見舞い申し上げます

2011-03-12 | 時事&世の中

昨日の地震、夜が明けるとともに、その被害が明らかになった。

わたしは、あの時間、午後3時ごろは、大阪市中央区にいて、古いビルの5階で椅子に座っていた。
ぐらり、というよりは、ふらり、ふらふら、ゆらり、ゆらゆら、結構長い時間、ゆるやかに揺れていた。

周りの人たちは、あまり何も感じていないようなかんじだったので、
わたしは、めまいか、自分の体が何かの病状が出ているのかと思った。
しばらくして、ビルの管理サイドの人々が、地震情報を伝えたり、非常階段を確認、誘導したり、
ばたばたと緊張した面持ちで、フロアーを回っていた。

大阪市内は、どうということはなかったが、
東京在住(仕事で赴任中)の長女からメールが、地震後まもなく、家族全員にあてて送信された。

「東京は、結構、揺れています。
関西は大丈夫?」

夫とわたし、そして義母が、メールのやりとりをした。
息子と次女からは、メールなし。おそらく、なんの被害もなかったのだろう。
息子の住む一部地域は、津波への注意、避難勧告が出されているようだが。

義母は、長女のメールで状況を知り、東京の親戚にメールを送ったそうだ。
(固定電話、携帯電話は、通じず)
こういうときは、携帯のメールで状況がわかり、とても助かると、義母からメールが届いた。

後でわかったが、都内に勤める長女は、昨夜、住まいまで20キロ、5時間強、徒歩で帰ったそうだ。
パンプスで大変だろうとメールすると、勤務先からスニーカーが配布されたらしい。
さすがの東京都、防災危機管理。
それとも、企業の姿勢か?


NZ地震のショックもまだ記憶に新しい。
阪神淡路大震災から、何年経った?
大きな地震があると、離れて住んでいる家族のことが心配になる。

我が家の地震対策、まったくしていない。
もっと、しっかりシュミレーションすべきと、猛省。
しかし、こんな大きな地震では、なす術もない。

TUNAMI(津波)という名称が、世界で使われるようになっているが、
先日、クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフタ―」を観たばかりで、その様子が重なる。

地震列国、日本。
阪神淡路大震災の時は村山さんだったが、菅さんも、大忙し。
度々、会見の様子がTVで映し出されるが、枝野官房長官の緊張した表情。
被害が明るみになるにつれ、自然災害の猛威に、恐怖を感じる。

まだまだ、これで収拾に向かう一方とは言えないようで、
引き続き、警戒が必要だ。


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