ここのところお邪魔している、とあるブログ。
「夫に浮気された妻たち」を救済する、ボランティア・カウンセラーのような、ブロガーさん。
姉御肌のぐいぐい引っ張るパワーで、悩み多き信者が、ぞろぞろついて来る。
ご自分の経験と、生まれ育った町の出来事だけで、客観的材料一切なし、
断定的に、ものごとを決め付ける潔さは、迷える信者のこころをワシづかみにするのだろう。
信者は、彷徨っているんだから、揺らぎない基準みたいなものが欲しいわけでして。
ところが・・・
わたしは、かなりのひねくれモノなので、この「断定」が気になる。
「絶対」、や、「間違いなく」、には、
「わたしの知る範囲では」とか、「わたしの半径数キロ範囲内では」という注釈をつけていただきたい。
だれかの言葉を引用するのであれば、文献元を示してほしい。
(そんなことは、今まで一度もないけれど)
ご自分が、教祖様なので、引用されることはあっても、引用することなどない。
ご自分の考えが絶対に正しいので、
信者たちはたちは、教えのまま、導かれるとおりに従っていれば救われるといったかんじ。
わたしが書き込みをしても、無視はされないが、事実上、無視しているようなもの。
「被害者の会」に、被害者でもない人間が、うろうろしていては、そりゃあ場違い。目障り。
宗教の違うもの同士が、お互いの経典、教義を押し付けあっているようなもの。
(わたしは、決して押し付けないけれど)
「ここは、子供の来るとこじゃないよっ。お子チャマは、とっとと家に帰ってアメでも舐めてなっ!!」
ってかんじでしょうか・・・
漫画で読んだ、見世物小屋の主(あるじ)のセリフが、浮かんだ。
(なんで、わたしは、こんなにストック・イメージが貧困なんだろう・・・)
それはそれとして・・・
わたしが、うんざりするのは、
とても狭い範囲のなかで、上の人を見て妬み、足を引っ張り、
下の人を見て、侮蔑したり、そういうことを無意識にしていること。
(わたしも、実は、そーゆーこと、よくやっている???
開き直れば楽になる・・・が、潔さが、いまいち不足、
ポジティブ・パワーが足りない、わたし)
離婚の提案には、そんなことが出来るのは恵まれている人だけだ、と言い、
夫と浮気している女性のことは、哀れな貧乏な卑しいおんなたち、と決め付ける。
経済的に、生活維持のために離婚はできない正妻をかばい、お金を入れてもらえるようにアドバイスをする傍らで、
夫と付き合っている女性たちは、カネめあての、薄汚いおんなたちだと糾弾する。
経済的理由で離婚できないということを責めているわけではない。
(むしろ、同情するが、そういう目線は、失礼かと)
自分たちは、お金のせいで離婚できない気の毒な人種であると主張する、その舌の乾かないうちに、
夫の相手のおんなたちは、自分たちとはまったく違う、お金目当ての下賎な人種と決め付けるあたり、
わたしには、どうも、納得がいかない。
両者、どこが違う?
正妻と、不倫相手、二人分のお金を払えない、稼ぎのよくない夫を、二人で取り合っている。
(ひとりを養うならいざ知らず、二人分には、ちと足りない。
そんな中途半端な男性にしか、経済的援助を受けられない正妻って、・・・・???
正妻が気の毒なら、不倫相手の女性も気の毒なはず。
なんか、よくわからない。
(※本当にどうしようもない理由で貧困にあえいでいるケースは、ここでは言及していません)
夫に頼り切らずに、自分もパートに行くなりして、稼げばいいじゃない?
(「パンがなければ、ケーキをお食べになれば?」発言になってます?)
自分の生活の質を落としたくなくて、相手の女性を蹴落とすのは、防衛本能か?
こういう時に、必ず、子供を武器にする。
じゃあ、相手の女性も子供がいたら?
なんか知らないけれど、自分の形勢が不利になると、急に弱い立場(経済的に弱者で、子供がいること)を強調し、
形勢有利になると、相手が弱って倒れているのに、まだ上から踏みつける。
きっと相手が死んでいても、お構いなしで、ぎゅーぎゅー踏みつけ続けるんだろうなあ。
悩んでいる皆さんが救われたら、それでいいわけで、
なにもわたしが、うろうろする必要はまったくない。
というか、こんなことをうだうだ書いているわたしこそが、
オンナの敵、そのものだろう。
おんなたちにとって共通の敵を見つけ、彼女たちが団結して戦ったら、
わたしとしては、社会のお役に立っていることになるんだろうか・・・・
みなさん、がんばって。
(今日は、「がんばろ」じゃないんです。)