一昨日、昨日、と、激動の日も無事、通過し、やれやれの週明け。
激動といっても、単にわたしが、やるべき宿題をほっぽって、ギリギリまでサボっていただけのこと。
とにかく、とりあえず、その日が過ぎると、また日常モードになった。
「無事、終了した」と言っても、未整理のまま箱につっこんだままの、わけのわからない品々、
あれをどうにかしないといけない。
そう思いつつ、また、次のゲスト来訪の時には、別の未整理の箱が増えているだけなのだろう。
「断捨離」とは、まさしく、わたしのためにあるような言葉。
ある人の嫁ぎ先(実家)、永年、モノを片付けず、増える一方の、開かずの間が、たくさんあるそうだ。
老人ホームに入所されているお姑さんの代わりに、その息子夫婦が家をリフォームすることになった。
お姑さんは、婿養子をもらった人なので、生まれた時から、ずっと実家暮らし。
家では絶対的権力を持ち、君臨する独裁者。
婿養子の夫には、手出しをさせず、モノは増えても、奥へ奥へと、押し込むばかり。
80年以上の年月が経つと、そのモノは、姿かたちを変え、ものすごい大量の不用品、ゴミの山と化した。
それらを廃棄するのも大変だが、一番大変なのは、仕分け作業。
必要?不必要? 高価?安価? 貴重?非貴重?
持ち帰ってもらうのは、ゴミ回収業者? リサイクル業者? 骨董品屋? ボランティア寄付団体?
当の本人には、すべてが思い出の品々。
気持ちの入った大切なモノを思い切って処分できなくても、近親者ならOK。
客観的判断で。
ただし、骨董品か、ただのガラクタか、それを見分けるのが、かなり難しいらしい。
「うーーん、いい仕事してますね」と、なんでも鑑定団みたいな人が、ジャッジしてくれるならともかく、
自分に見る目があるか、よほど信頼のおける人に頼まない限り、
そのお家は、旧家なので、良い品も、ガラクタといっしょに捨ててしまうことになる。
見る目がないことを知って、足元を見て、全部、ガラクタだと言い切る悪徳業者もいる。
が、自分で仕分けると、見分けがつきにくいものを取りあえず、取っておき、ガラクタだらけになる。
選択を迫られ、お嫁さんは、頭を抱えておられる。
とりあえず、生きているうち、体や目が利くうちは、
客観的に大事なものは、誰の目から見てもわかるようにしておくべきだ。
自分にだけ大事なものは、それなりに、自分にだけわかるように、保管しておいて、
いざとなったら、自分で処分するか、捨ててもらうか。
わたしの場合、悲しいことに、自分にとっては大切なものでも、客観的には、ほとんどゴミ。
モノを大事にしすぎる性格が、日常生活において、完全にアダとなっている。
夫の実家は、舅(故人)が整理魔だったため、あらゆるモノが整理整頓されている。
姑も、きちんとした人。
だが、我々夫婦は、とんでもなく整理整頓ダメ人間。
なので、そのまま、そっくり息子に実家を押し付けようと企てている。
それで息子は、その気配を察して、帰ってこないんだろう。
雨露はしのげるので、息子が仕事をリタイアする頃に、夫の実家には、ちょいっと顔を出してもらえたら
それでいいと、わたしは、思っている。(夫は違うようだが)
息子は2年前に就職したばかりなので、あと、何年? 35~40年後?
わたしは、その頃は、もし重い病気を患っていなかったら、まだとりあえずは、
生物としては生きているかも知れない。
やっぱり、20年後ぐらいには、夫の実家に、ちょいちょい顔を出してほしいかも。
(夫は明日にでも、と思うようだが)
それより、わたしは、その頃、どこにいるんだろう?
(生きていると仮定して)