オープンスクールに行った。
今は、参観日のことをオープンスクールというようだ。
孫Aの小学校。
オープンスクールというと、志望大学キャンパスを下見しに行くようなイメージが、わたしにはある。
2時間立ち続けると、しんどい。
やはりわたしは年寄りだなあと実感する。
第一、わたしは祖母なので、他の参観に来られている(先生が子供達に言っていた)「お家の人」より、一世代、上である。
参観日当日、娘、娘婿が、出張等で二人とも休めないため、わたしに「時間があれば行く?」と聞かれ、手をあげた。
行きやすい時間帯は副教科だったため、行きにくい、出にくい朝一ではあったが、1時間目、2時間目の国語と算数を参観した。
副教科は、保育所の延長上だから、あまり興味がない。
やはり、学校といえば、小学校なら4教科。
体育が得意だとヒーロー、ヒロインになれるのもこの時期ならでは。
今はコンピュータ時代。
端末タブレットと、モニターを駆使し、リアルタイムにタブレットを使って写真を撮った子供達のノートを大きく映し出し、モニターで皆んなに見せたりする。
教科書の中身だけ、説明しやすいようにモニターに映っているのかと思いきや、今、書いたばかりの数人のノートも、大画面モニターに映し出され、すぐさま、生徒全員が見ることができる。
わたしの時代も、わたしの通っていた学校は、国のテスト校的なポジションにあり、一般校に先がけ、色々な試みで、機器や教材を使い先進的なこともしていたが、あれから時代は変わり、子供、孫と二世代、時間が飛ぶ。
今や一般の普通の地元公立小学校でも(この言い方は、自分では気づかない嫌な臭いを放っている可能性がある、、、)きちんとしている。
エアコン完備。
たった半年前に入学したばかりの子供達に、発表の仕方、手の上げ方、ノートの書き方、指導が行き届いている。
しかも精鋭組とかではなく、地元の保育所を出た保育所仲間がクラスにいっぱい。
わたしは、孫Aより先に、他のお子さんに、「あ、○○君のおばあちゃん!」と手を振られた。
一方的に顔を知られているだけで、わたしはその子を知らないのだが、、、
とりあえず、笑顔で手を振り返しておいた。
わたしの子供達が通った地元小学校に孫が通う、というのは、感慨深いものがある。
初めて長女の給食参観に行った日のことがオーバーラップした。
休み時間。
長女は、皆んながわいわい自由に遊んでいるのに、一人、教室に置かれている本を読んでいた。
さすが、親子。まったく同じ行動だった。
短い休憩時間は教室内でいるが、20分休憩の時は、運動場に駆け出す。
教室にいるのは、女の子達と、男の子は、孫Aだけ。
孫Aは一冊、本を読んでいたが、他の子供達が次々教室から出ていくのを見て、同じように出ていくだろうと思っていた。
わたしも帰るため、靴を履き換えたが、なんだか気になって、もう一度、教室に戻ってみると、なんと2冊目の本を読んでいた。
しかも、電車オタクの孫Aのためにあるような、電車の写真が大きくのっている本。
しかし、あんなに身体を動かさなくて大丈夫か?
また、3時間目、4時間目もあるのに、じっとしていて、遊び盛りの年齢なのに、疲れないのか?
風邪引きかけなのだろうかと思うぐらいだ。
ちょこまか落ち着かない行動をとる、じっとしていられない性質で気を病む親もいるだろうに、じっとしすぎで気を病む祖母(わたし)もいる。
まあ、色々だ。
(わたしの子供達も、体育会系の子を含め、わりとじっとしているほうだったような、、、)
後で孫Aに聞くと、お昼の25分休憩は、全員が外に出ないといけないらしい。
全員参加の遊びがあるとか。
特別支援学級のお子さんには、別の先生が一人まるまる側に付き添い、その子だけ特別に授業中ずっと、授業指導のサポートをしていた。
マンパワーもかなり必要。手厚い教育だと感じた。
2時間目には、他のおばあちゃんも参観に顔を見せ、ちょっとホッとした。
お父さんというのは普通にザラにゴロゴロいるが、おばあちゃん、というのは、わたしひとりでは、なんだか居心地が悪い。
保育所などでのおばあちゃんのサポートは必要不可欠でわかるが、教育現場では、おばあちゃんはちょっと(悪い意味で)目立ってしまうような気がする。
しかも、まだ父兄がパラパラ人数の朝一から、でーんと。
1番後ろの席の女の子が、ノートに書く文字があまりにもキレイなので驚いた。
美しい文字に、うっとり。
横の男の子は、ミミズ、ガタガタ文字。
キレイな文字ノートの内容も、しっかり書かれていた。
お母さんもまた、きっちりしたタイプの人で、なるほどねー、と納得した。
孫Aは、良くも悪くも目立たず、その他大勢の一人で、まああんなものか。
なにしろ、小学校一年生なので、今からである。
今どきの教育現場はどんなものかと、単なるわたしの好奇心から参観した。
こんな機会、逃すのはもったいないから。
興味深く、孫より、授業内容や、進め方に注意が行ってしまい、ついには、わたしが生徒になったように、先生の説明に聞き入ってしまっていた。
わたしには、授業レベルとしては小学一年生ぐらいが、ちょうどかも知れない。
今は、参観日のことをオープンスクールというようだ。
孫Aの小学校。
オープンスクールというと、志望大学キャンパスを下見しに行くようなイメージが、わたしにはある。
2時間立ち続けると、しんどい。
やはりわたしは年寄りだなあと実感する。
第一、わたしは祖母なので、他の参観に来られている(先生が子供達に言っていた)「お家の人」より、一世代、上である。
参観日当日、娘、娘婿が、出張等で二人とも休めないため、わたしに「時間があれば行く?」と聞かれ、手をあげた。
行きやすい時間帯は副教科だったため、行きにくい、出にくい朝一ではあったが、1時間目、2時間目の国語と算数を参観した。
副教科は、保育所の延長上だから、あまり興味がない。
やはり、学校といえば、小学校なら4教科。
体育が得意だとヒーロー、ヒロインになれるのもこの時期ならでは。
今はコンピュータ時代。
端末タブレットと、モニターを駆使し、リアルタイムにタブレットを使って写真を撮った子供達のノートを大きく映し出し、モニターで皆んなに見せたりする。
教科書の中身だけ、説明しやすいようにモニターに映っているのかと思いきや、今、書いたばかりの数人のノートも、大画面モニターに映し出され、すぐさま、生徒全員が見ることができる。
わたしの時代も、わたしの通っていた学校は、国のテスト校的なポジションにあり、一般校に先がけ、色々な試みで、機器や教材を使い先進的なこともしていたが、あれから時代は変わり、子供、孫と二世代、時間が飛ぶ。
今や一般の普通の地元公立小学校でも(この言い方は、自分では気づかない嫌な臭いを放っている可能性がある、、、)きちんとしている。
エアコン完備。
たった半年前に入学したばかりの子供達に、発表の仕方、手の上げ方、ノートの書き方、指導が行き届いている。
しかも精鋭組とかではなく、地元の保育所を出た保育所仲間がクラスにいっぱい。
わたしは、孫Aより先に、他のお子さんに、「あ、○○君のおばあちゃん!」と手を振られた。
一方的に顔を知られているだけで、わたしはその子を知らないのだが、、、
とりあえず、笑顔で手を振り返しておいた。
わたしの子供達が通った地元小学校に孫が通う、というのは、感慨深いものがある。
初めて長女の給食参観に行った日のことがオーバーラップした。
休み時間。
長女は、皆んながわいわい自由に遊んでいるのに、一人、教室に置かれている本を読んでいた。
さすが、親子。まったく同じ行動だった。
短い休憩時間は教室内でいるが、20分休憩の時は、運動場に駆け出す。
教室にいるのは、女の子達と、男の子は、孫Aだけ。
孫Aは一冊、本を読んでいたが、他の子供達が次々教室から出ていくのを見て、同じように出ていくだろうと思っていた。
わたしも帰るため、靴を履き換えたが、なんだか気になって、もう一度、教室に戻ってみると、なんと2冊目の本を読んでいた。
しかも、電車オタクの孫Aのためにあるような、電車の写真が大きくのっている本。
しかし、あんなに身体を動かさなくて大丈夫か?
また、3時間目、4時間目もあるのに、じっとしていて、遊び盛りの年齢なのに、疲れないのか?
風邪引きかけなのだろうかと思うぐらいだ。
ちょこまか落ち着かない行動をとる、じっとしていられない性質で気を病む親もいるだろうに、じっとしすぎで気を病む祖母(わたし)もいる。
まあ、色々だ。
(わたしの子供達も、体育会系の子を含め、わりとじっとしているほうだったような、、、)
後で孫Aに聞くと、お昼の25分休憩は、全員が外に出ないといけないらしい。
全員参加の遊びがあるとか。
特別支援学級のお子さんには、別の先生が一人まるまる側に付き添い、その子だけ特別に授業中ずっと、授業指導のサポートをしていた。
マンパワーもかなり必要。手厚い教育だと感じた。
2時間目には、他のおばあちゃんも参観に顔を見せ、ちょっとホッとした。
お父さんというのは普通にザラにゴロゴロいるが、おばあちゃん、というのは、わたしひとりでは、なんだか居心地が悪い。
保育所などでのおばあちゃんのサポートは必要不可欠でわかるが、教育現場では、おばあちゃんはちょっと(悪い意味で)目立ってしまうような気がする。
しかも、まだ父兄がパラパラ人数の朝一から、でーんと。
1番後ろの席の女の子が、ノートに書く文字があまりにもキレイなので驚いた。
美しい文字に、うっとり。
横の男の子は、ミミズ、ガタガタ文字。
キレイな文字ノートの内容も、しっかり書かれていた。
お母さんもまた、きっちりしたタイプの人で、なるほどねー、と納得した。
孫Aは、良くも悪くも目立たず、その他大勢の一人で、まああんなものか。
なにしろ、小学校一年生なので、今からである。
今どきの教育現場はどんなものかと、単なるわたしの好奇心から参観した。
こんな機会、逃すのはもったいないから。
興味深く、孫より、授業内容や、進め方に注意が行ってしまい、ついには、わたしが生徒になったように、先生の説明に聞き入ってしまっていた。
わたしには、授業レベルとしては小学一年生ぐらいが、ちょうどかも知れない。