蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

崖から落ちないけど、這い上がりもしない

2019-09-17 | わたし
小さい時からいつも一番!
だが、レベルの高い集団に移行すると、普通の人。
中学の時が人生のピーク。
わたしの遠縁の親戚で、そういう人がいる。
いつもいかにモテたか、その話をする時の顔は懐かしいというよりは現在進行形、自分そのもの、というかんじ。
今はピーク時代の学友を集めて同窓会を忙しく盛り立てているようだ。
羨ましい限り。

わたしは、まさにその逆。
本来なら最終的に属することを目標とすべきレベルの高い集団に、一番最初になぜか迷い込んで入ってしまった。
(親と、わたしの持っている運のせい)
ゼロ歳で産まれたその瞬間が、天寿を全うして高齢で死ぬ時、みたいな。
なんの個性も才能も発揮も触発もされていない、純粋無垢な状態の時に、高度レベル集団に放り込まれていた。

自分は劣等生だと感じていた。
先生のスパルタ教育は、少数精鋭の進学塾のようだった。
崖から転落する同級生もいて、わたしは同じ崖の草を必死で掴みながら、横で見ていた。
なぜか、落ちまいと、、、わたしは絶壁に食らいついていた。
頂上になど登れるわけもなく、一生崖っ淵。
今だに、就寝中、深夜に、はっと崖から落ちそうな内容の夢を見る。

後に、大人になって、崖から落ちていった同級生と同じレベルの人が、じつに爽やかで、産まれた時からなんの劣等感も抱いていないことに衝撃を受けた。
わたしの基準は、おかしかったのか、、、。
ちょっと、おかしかったんだろう。

大したことでもないことに、わーわー泣いたり、パニックになる同級生がいて、わたしは理解できなかった。
どちらが普通に近いのか、よくわからないが。
(あの子は、家庭に原因があるように思う)

大したこともないのに自慢したりしている人に接すると、「大したことがないことに気づかないのは幸せだ」と、羨ましく思う。
と同時に、とてつもなく恥ずかしい。
自慢するより、さらに恥ずかしいのは、大したことがないくせに、ドングリの背比べ、目くそ鼻くそを笑うこと。
さらにさらに恥ずかしいのは、明らかに下の人を蔑むこと。
自慢のほうが、ずっと可愛らしい。

よくよく考えると、わたしの過小自己評価性質は、小学生時代の教育から受けた影響が大きいようだ。
小さい頃は感受性が強いから、その後も尾を引き、パーソナリティの芯を形成する。

大人になる成長過程や、大人になってから、色々な経験をして、価値観を修正していく。
乗り越えられなかった劣等感も、次第に乗り越えていくようになっている。
が、乗り越えられない人もいて、そのまま止まっている場合もある。

とてつもなく変人などは、社会性が欠如している。
自分のパーソナリティや思考が、社会枠を超えている。
わたしの場合、社会人としての枠がベースにないと、自分自身が崩壊する。
アウトローや、非社会人の生活、生き方は出来ない。快適ではない。
普通の一般小市民である。
何かやりたかったら、合法で。
が、そんなエネルギーも根性も熱意もなく、何もしない。

人は支え合って生きているのだから、そのあたりを理解しなければいけない。
病院に入院しているお年寄り達を見ると、いろんな思いが湧いてくる。
最後はそれ。

なんか、今朝は元気がなくなってきた。
肩凝りと頭痛は無事、クリアしたものの。
さ、タイムオーバー。
早く本日の次の準備にかかろう。