蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

美人に、どっきり!!

2011-04-19 | 趣味

通い始めて一か月、にぎわう市街地の、どまんなかにある社交ダンス教室。

レッスン帰りに、キラキラ美人グループの一人に声をかけられた。

彼女は、今日は、みんなの行くレストランは、場所が遠くて、内容が重いので、パスし、

次の予定までの時間に、一人で軽いランチを食べるつもりだったようだ。

次の予定というのは、彼女が別の教室で受けているという、個人レッスン。

年末にお披露目するデモに向かって、一生懸命、練習されているようだ。

 

で、わたしは、いつも一人で、さっさと一目散に帰るのだが、

美人グループきっての、ダントツ美人に声をかけられ、かなりあがってしまった。

二人だけで、ランチ???

わたし、男性のほうがまだ得意かも知れない。

女性、特に、美人さんには免疫がないので、どぎまぎ。

しかも、彼女は、この教室に来て、一番はじめに目に入ったひと。キラキラ、センスいい、美人中の美人。

スタイルも、ばっちり申し分ない。

そして、はじめて彼女を一目見るやいなや、わたしは劣等感、場違い感に苛まれた。

 

そんなひとと、・・・・お話もしたことがないのに、いきなり・・・わあ

 

あわわ・・・と、ランチも喉に詰まるかんじ。

店内で、向かい合わせの席で、頑張ってしゃべっても、わたしの声が通りにくいようで、彼女は聞き取りにくそう。

 

あっと言う間に時間が過ぎ、彼女はコーヒーを注文した。

わたしの分も彼女が同時に注文してくれたが、まだ、わたしにはサラダや、お漬け物が残っていて、

コーヒーが来てから、あわてて口に放り込んだ。(みっともないぞ、わたし)

 

短い時間、少し話した。

ダンスのこと。

そして、ほんのワン・センテンス、彼女は自分の生活の紹介もしてくれた。

自宅はかなり遠方にあり、週1、レッスンに通っていること。姑さんと同居されていること。

一つ目の教室(グループレッスン)のあと、彼女は、二つ目の教室(個人レッスン)へ。

 

社交ダンスのクラスメートたちは、びっくりするようなお金持ちが多いとか。

わたしは、いつも、おばあさんや、還暦以上の年配女性が多いところでやっていたので、

彼女のような若くて(でも、おそらく、わたしと同世代)美しい女性とは、どうも接点を見つけにくく

変人ぶりを発揮するばかりとなった。

もっと、まともな、一般的な発言をすればよかったのに(猫をかぶっていれば、わからないものを)。

わたしは、話をしたことがないひとと、一対一で、ランチなどとなると、非常に緊張して、アタマが真っ白になり、

なにか話さないと・・・と焦るあまり、つい、正直な自分をさらけ出してしまい、変人ぶりが暴露されてしまう。

 

本日、わたしが話したことは、あの美人グループにことごとく、微に入り細に入り、伝わっていることだろう。

ひとり、変わった行動を、人知れず行うのが、わたしのお気に入り志向だが、

それは、人知れずやるところに、わたしの喜びがあるわけで。

明るみに出ると、単なる「変わったひと」。本性がバレるのは、非常に不本意だ。

 

まあ、それはそれとして、

その美人さんの今のダンスの目標や、練習の仕方は、とても参考になった。

多かれ少なかれ、わたしと似たような路線。

ただ、わたしは、一度、道半ばで、足の指の骨折で、心まで折れたコースをたどっている。

あれから1年半の年月が流れた。

また、そういうコースを目指すのも悪くないなあ、と、選択肢の一つとして、よみがえった。

 

べっぴんさんは、べっぴんさんで、素晴らしい。

ダンスをしていても、もとからキラキラしているのに、さらに、キラキラが何倍にもなって相乗効果。

 

わたしは、べっぴんさんとはほど遠いけれど、ダンスはダンスだ。

ダンスにも個性があってもいい。

もう一度、頑張ってみようかな。

 


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トップ画像は、とても大きな花瓶に生けられた、ダイナミックなお花。

いつも通るビルのフロアーに、時々、思いついたように生けてある。で、ケータイで、ぱちり。

いまは、パソコン故障につき、縮小方法やトリミング方法が限定されていて、ちょっと不満足ではありますが。


 

 

 

 

 


なりたいものに、なれる!!

2011-04-18 | 展覧

バービー人形が大好きなのは、わたしの世代だけではない。

バービーは、1959年、ニューヨークのトイ・フェアでデビューした。

わたしは、その頃はまだこの世に生まれていなくて・・・というのは、ささやかな嘘。

生まれてはいたものの、自分では記憶はまったくなく、お花畑で、じっと、ニコニコしている、あどけない幼子。

小学生になってから、親に、おねだりして買ってもらったのは、日本製のタミーちゃん。

リカちゃんの前身、先輩みたいなものになるんでしょうか。

 

小学生の頃、バービーちゃんに親しんでいたのは、うんと年上のお姉さんがいる、おませな同級生、Mさんだった。

彼女は、当時、グループサウンズのモンキーズのファンだったが、わたしたち同級生の中では、一歩先に行っていた。

元祖ビートルズでもない、それから後に騒がれることになる和製グループサウンズのタイガースでもテンプターズでもない、

わたしには、よくわからないグループだった。

当時、テレビでは、モンキーズの番組を放映していたが、どうも、ピンと来なかった。

 

とりあえず、アメリカで生まれ、日本バージョンが作られてから手に入れるという、

わたしはいつも、流行の先端ではない場所にいた。

 

夫の姉は、子供の頃、バービーちゃんを買ってもらい、キレイに揃えていた。

うちの子供たちは、その、まるで今日の「バービー展」に出展されている、そのままの、

義姉のクラシック・バービーちゃんで、よく遊んだ。

幼児が遊ぶのと、ある程度大きくなった子供が遊ぶのとでは、人形の傷み方が違う。

なので、おちびちゃんだった、子供たちに、

惜しげもなく、義母は、義姉のクラシック・バービーちゃんを与えてくれたのはいいものの、

今、思えば、なんと、もったいないこと。

あんなに完璧なカタチでコレクションされていたのに。

 

子供たちは、その後、リカちゃん人形に移り、シルバニア・ファミリーなどでも遊んだ。

子供が成長して残ったのは、くたくたになったオモチャやお人形。

当時、新しく買ったリカちゃんなら、ともかく、

使い古されたクラシック・バービーちゃんと、細やかなバービー・グッズ、帽子・手袋・靴・バッグ・アクセサリー・小物たち。

精緻に丁寧に作られたそれらの愛おしい品々は、戦いの後のように、うちくたびれて、見るも無惨。

実に、心残りだ。

二代にわたり、女の子の感性を刺激し、愉しい時代を過ごさせてくれたバービーちゃん。

ありがとう、と感謝の気持ちでいっぱい。

 

 

今、見ても、時代の先端をいくファッション。

リカちゃんより、ずっとずっとオシャレだと感じるのは、わたしが、そういう、ポスト・バービー世代だからだろうか。

 

目を細めて、バービー展で、きらびやかな歴代のバービーちゃんを、まじまじと見て来た。

うっとり。

デザイナーとのコラボのバービーちゃんには、目は、ピンク・ハートに。

ショップに売っている、現代バービーちゃんを手に取り、思わず買いそうになったが、

ぐぐっと抑制して、ポストカードで我慢した。

 

「なりたいものに、なんでもなれる」

女の子の夢が、ぎゅぎゅっと詰まっているバービーちゃん。

いまでも、バービーちゃんを見ていると、なりたいものになれそうだ。

そんなこと言ってたら、わたし、一生、モラトリアム、まちがいなし。

 

とても愉しい時間だった。


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事務所で、せっせ、せっせと、入力しております。(仕事に差し障りないように、ですよ)

ケータイで撮った写真も、ケータイで縮小して、あれこれ試行錯誤中です。

iPadやケータイで入力するより、パソコンのほうが、ずっとラクで、大助かりです。

自宅のパソコンは、いつ復活するかは、目下のところ、未定ですが、

とりあえずは、iPadやケータイ、事務所のMacで、モタモタやっていきます。



 

 

 


こんなの、あり?

2011-04-18 | わたし

iPadと相性が悪いんですかねえ?gooさんは。
なんでかって言うと、画像にお絵かきできないから。

それより、パソコン直らないと、バブバブ言ってる赤ちゃんみたいになってるし。
わたしのブログ。
誰か、子供がいたずらして、触ってるみたいなかんじに、なってる。

バブバブ、バブ~。
アタチのパチョコン、ヘンでちゅ~。
iPadキライでちゅ~。

それか、外国人がヘンな日本語、話してるみたいなかんじ。
知能指数を疑われそう。
と言っても、もともと、アタマもキャラもヘンだけど。

落ち着いて入力できないと、性格やアタマまでおかしくなってるかんじ。
今までのイメージが崩れちゃうじゃないですか。
いえいえ、単なる延長ですって。


ちなみに、
トップ画像は、先週、金曜日に、とあるところに飾ってあったものです。
縮小ソフトが使えないのと、お絵かきができないのとで、
明らかに変になってますね。
無理やりケイタイで加工したら、ヘンテコリンに。
ツライわ~。


文字の色も変えられないし。
哀しいです~。

そのうち、ちゃんと復活する予定なので、お見捨てなきよう、お願い申し上げます。

ああ、しんど。
ここまででも、息も絶え絶え。

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やりにくいにも、ほどがある。

2011-04-17 | わたし

 



  • 困ってます。iPadがあまりにも、いうことを聞かなくて。これならケイタイのほうが、ずっとまし。


 




↑ここまではiPadで、やりにくいけれど、すったもんだで入力、ここから↓はケイタイ入力です。


一生懸命、長々ケイタイで入力した文章(めちゃめちゃ熱が入ってた)、
今、すべて消えた。

気持ちも同時にすべて、しぼんだ。


いらいらいら

2011-04-16 | わたし
娘Rにパソコンを占領され、延々9時間も待たされたあげく、
やっと交代の時間が来たと思ったら
パソコンが壊れた。

昨日も更新してなかったから、
今日はなにがなんでも更新しようと思っていたのに。

イライラ最高潮。絶頂。いらいらいら。

仕方なく、画像なしで、ケータイからアップします。
もぅ~

パソコン中毒、ネット依存性、自覚症状ありの、
禁断症状中のわたしです。

iPadは、つながらなくなってしまうし、困ったものです。
ケータイからチマチマ、ちょっと試運転。
写真はケータイでは縮小ソフトが使えないので、大きすぎて載せられないし、
ケータイでの作業は、限られているし、
第一、めちゃめちゃメンドーですね。
すっかり、めげてます。

でも、メンドーではあるけれど、ケータイでもブログいじれるんですね。

あああ、電池が減ってきた・・・何してることやら・・・



頑張らずに、頑張ろう。そうしよう。

2011-04-14 | 暮らし

こう、毎日ブログを更新していると、レベル低下を招くのに。
なのに、なぜ、こうも、しつっこく更新するのか。
ま、あまり意味はありません。
無理やり言えば、自分探しでしょうか。

モラトリアムは、大人になる前の時期。
しかし、残りの人生のほうが少なくなっているというのに、まだモラトリアム?
一生、モラトリアムというのは、たんに、結果を出したくない、現実から目をそむける、
ひと言でいえば、「サボり」、だと思っております。

自分のほんとうの客観的価値を認めたくないんだと思います。
どんなに言い訳をしても、ゲタをはかせても、美辞麗句で飾りたてても、
サボリの自分が、いるわけでして。


と、皆さんを元気にさせる、とは正反対の、うだうだ前置きは、さておき、

ある60代、年金暮らしの方のブログをはじめて読んだ。
奥さんが亡くなった後の「おひとりさま生活シュミレーション」。

なかなかしっかり地に足が着いたシュミレーションで、参考になった。

わたしなら、どうするかな~。

配偶者が亡くなった後、異性とお付き合いしなくなると、どうなるか。
女性は色褪せ、男性は、アホになるんだそうだ。
これは、有名な劇作家、チエーホフが仰った、とても有名な「名言」らしい。

その方は、週に一度、必ず通うだろうという居酒屋や、
月に一度の国内旅行の旅館の仲居さんとおしゃべりしたりして、と、
メンタル面まで、細かくご自分のケア付きシュミレーションだった。

その方は、お子さんのおられない仲よしご夫婦のようだが、
仲のよくない夫婦でも、
配偶者が生きている間は、うっとうしくても、いざ、亡くなると喪失感は想像できないだろう。

わたしの場合、配偶者は無条件で、政府でも自治体でもないのに、
生活に必要なものは、なんでも与えてくれるんですもん。

雨露しのげる家に住め、食べ物、ライフラインが確保され、衛生面も保つことができ、
なに不自由ない生活を安心して送れるのも、協力者のいるお陰。

自分ひとりなら、安心感は得られないかも知れない。
と言いつつ、自分を守るのは、自分。
これは、基本だけれど。

その年金ブログの方は、配偶者、亡き後は、
家を処分し、小さな住まいに越し、公園と、本屋と、スーパー、居酒屋に通え、
大学病院に公共機関で行ける、
好環境の場所を確保したいとのこと。
お墓は、樹木園に埋葬し、49日以後は、墓参りも気が向いたらで結構、
別に無理にしなくてもいい、と。
(うちの、ばあさまに、聞かせてあげたいぐらい・・・)
なかなか具体的ですね。

わたしは、以前、テレビで紹介されていた、北欧の、一人住まいのおばあさんのお宅みたいな、
あんな家が理想。
自分は健康で、なおかつ、自宅に通ってくれるヘルパーさんが、いてこそ、だけれど。
はやくから高齢化対策を推し進める先輩国でもあり、
お国で福祉制度が整っていて、ヘルパーさんの質もよさそうだし、
(上限があるのかどうか知らないけれど)費用も税金でまかなってくれそうだった。

まあ、自分のシュミレーションとして、あそこまでいくには、まだまだ25年以上あと、の話だけれど。

もっと、短期、中期的に想定してみると・・・

体さえ健康なら、日々、細々と暮らし、
一方で、趣味などで溌剌シニアライフを送っている人々とも交流し、・・・
と、そこで、想像が、ぷつんと切れた。

そういえば、老人を二人抱えていた。
でも、まだまだ二人とも元気。とはいうものの、一寸先は闇。

わたしの想像は、急に、フルカラーからモノトーンに変わった。
しかし、自分だって年がいき、若い人々に、おなじように負担がられるに違いない。

数珠つなぎ。命の輪。

んーー、で、いきなり、結論。
いまを一生懸命、生きること。悔いなきように。
モラトリアムを楽しむのも、一案かも。



あ、それと・・・まったく関係ない、蛇足ですが(やはり蛇足は、最後に持ってきます)

いままで、なんでもかんでも、スゴイ!!と、
田舎もんのわたしは、大都市・東京を絶賛し、東京サマサマ、大東京を崇拝していた面があったが、
いま、わたしのなかで、ゆるやかに、壊れていっているようだ。
一極集中型の都市機能は、麻痺するとひとたまりもない。
大災害にはあまりにも、もろい。
二都構想が具体化できたらいいなと、感じる。
二都でも、三都でも四都でも、地方から元気を盛り返せたら、どれだけいいことか。

昔の都は、京都だったんだしね。

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トップ画像は、またまた ご近所の花壇のお花です。
チューリップが、ぎっしりではなく、パラパラと植えられています。
以前にうちの庭にも球根を植えましたが、
年々、咲く花が少し減り、いつの間にか、咲かなくなりました。

手入れを怠ると、こうなっちゃうんですね。
わたしの行く末か・・・
頑張らなくっちゃ。

 

 


さらさら涙は、ナチュラル目薬

2011-04-13 | わたし

ここのところ、わたしは、さえない。

真剣に、もうひとつブログを作ろうかと考えている。
実生活のリアルなことは一切、触れず、リアル友にもブログの存在を一切、教えず、
どこの誰ともわからない、嘘ともホントともわからない、
そんなブログに、思いそのまま、すべてを綴りたい。

そのブログには、絶対、嘘は書かない。
このブログにも嘘は書いていない。
が、書きたいこと全てを書いているわけではない。
もうひとこと書き加えたいが、ちょっとやりすぎ・・・と思うと、削る。
もうひとりのわたしが、赤ペンさんになって、校正する。
長すぎるんじゃない? ふたつに分けようか。
(生意気にも)、読んでくださる側の目線も取り入れたりする。

削らなくてもいい、ソフトな表現に書きなおさなくてもいい、
ありのままをストレートに、書きたい・・・んだけど、それも、ねえ。
読む方が気を悪くするような表現とか、気にしないで、どんどん、バシバシ取り入れて、
書くだけ書いたら、あ~、すっきり、と。
お利口さんになるのは、疲れる。
でも、自分のなかの嵐が去った後、あとで読んでみたら、けっこう、うぷ、となるだろう。

悪寒? 二日酔い? 胸やけ? 食あたり?
この醜い、キモチ悪さは、なに? と。

訪問数やランキング結果をまったく気にしないで、
それよりもなによりも、どこの誰かもわからない、まして、実在するかどうかもわからない状態で、
タガを外して、ここだけの話・「オフレコ」仕様で、好きなように、好きなことを書きたい。

でも、そんなブログ、読んでくれる人がいる?
好感度は、まったくナシだろう。
それはそれで、おもしろいかも知れないけれど。
その場限りの使い捨て、ストレスの吐き溜めみたいになるかも知れない。
まともに向き合ってくれる人もないだろう。
ヒヤカシか、変人ぐらいだろう。
マイナーな人ばかりが集まってきても、わたしとしては、それが果たして楽しいのかどうか、だ。

たとえば、オフィシャルと、プライベートを使い分けるブログなら、まだしも、
ジキルとハイド(天使と悪魔)を使い分けても、片手オチ。
ジキル面は、大げさに何倍にも膨らませ、美化して表現するかも知れないが、
ハイド面は、オブラートに包むか、もしくは、何事もないかのような顔で、知らん顔するか。

「天使と悪魔」のつぎに「天才と狂気」、と書いてみたが、わたしには狂気ほどの熱情はないし、
天才なんて、もってのほかだし、小市民のわたしは、どちらにしても、そういうレベルじゃない。

お人好しの、気が小さい、凡人、一歩手前の劣等生。
世間さまの間に埋もれて生活している、わたし。
そう書くと、リアルなわたしを知っている人に、「また、こんなこと書いて・・・」と失笑を買われるだろう。

ふたつに分かれる自分のなかで、もやもやしていることは、確かだ。

全てを白昼のもとに曝(さら)け出すことが、いいとは限らない。
(でも、原発・放射能情報は、はっきりと公表してほしいけれど)


ちなみに、まったく関係ない話ですが・・・、
昨日、ダンスレッスンをさぼり、なんだか余計に元気が出なくなった。
最初は、ノリが悪くても、頑張って体に鞭打ってスタートしたほうが、いい結果が出るようだ。

さぼるな、わたし。


またまた話はころりと変わりますが・・・、(終わりごろになると、本題に入る、悪いクセ)
NHKテレビ、朝の連ドラ「おひさま」、偶然、第二回目から見始めた。



あの、子役(八木優希ちゃん)に、がっつ~んとやられた。
毎朝、ドラマを見て、天然の涙目薬で、目を洗浄していた。

女学生に成長して、井上真央にバトンタッチしてからは、涙目薬のかわりに元気をもらっていたが、
今日は、また、目薬効果を味わった。

やはり、わたしは、ジキルでもハイドでもない、さらさら系か・・・


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あ、ちなみに、お父さん役の寺脇康文さん、どっしりシブいです。
「相棒」で、水谷豊氏に、こき使われてるより、解放感ありますね。

 


干物のセオリー

2011-04-12 | 無題

恋のおはなし、そのつづき・・・

ちなみに・・・
わたしは、年々、年を重ね、あらゆるものが、緩やかにスローダウンしていっている。
なので、自分の熱い恋なんて、わっはっはっと笑い飛ばしてしまうほど、いまは、まったくない。

熱くない、そして、恋ではない想いなら、たくさん、薄~いものがある。
薄すぎて、サラサラしすぎて、粘り気もなんもなく、春の小川のようだ。

素敵だな、このひと。
どういう人生を歩んでこられたのだろう。

想像はするけれど、いざ、いっしょに生活するとなると、絶対、幻滅するに決まっている。
これまでの色々な経験がキラリ、気品漂う、魅力的なロマンスグレーの紳士でも、
女性がお給仕して、サービスして、仕えないといけない、尽くさないといけない、
そういう思いが、自分をがんじがらめにし、
オアソビで、メード・カフェみたいにシャレで尽くすのならいいけれど
実際に尽くすのは、拒絶感に支配される。

「ああ、このひとに、尽くしたい」、なんて、想像で、尽くすシーンを思い浮かべて、うっとりするのだけれど、
現実になると、想像の夢すべてまるまる、恋心ごと、はじけて消えてしまう。

かといって、今の草食系男子だと、わたしも元気ない干物女子だから、
男女のスパークリング、活発な化学変化が起こらない。

ギンギン肉食男性だと、これまた干物系女子とは、棲む分野が違うし、共通言語もないかも知れない。
ヘラクレスが、ぱさぱさした藁(わら)人形にしがみついてるイメージ?
はらはらと、藁が折れたり抜けたり壊れたり。
唯一のコミュニケーションは、ボディ・ランゲージだったりするのに、
お互い、解読不可能。

とはいうものの、外見はやはり、いつまでも若々しく、女性らしさを失いたくない。
オシャレは、かつては男性のためにあったかも知れないが、いまは、自分のためにある。
こういう風になると、可愛げない女性だと思われるだろうなあ・・・

↑これはあくまでも、わたしのこころのつぶやきであって、
実際には、フツーの年相応の女性です。(いちおう、補足説明しとかないと)


古代人物でもなく、超・草食系でも、超・肉食系でもない、フツーのひとは、いないのか。
サラサラ恋の候補になるような、さらっとした人は。


男性と女性の、思いのズレ、現実とのズレ、わかっている男性がいると、ほっとする。
昨日の記事の作家さん(小谷野氏)なんて、まさにそのもの。
こういうひとと、恋をすると、案外、楽しいかも。

今までの古いタイプの男たちをすぱっと斬り捨て、
今までとは、まったく違う、また別の視点で、男性を見ると、新しい発見や、楽しみが生まれるかも知れない。

いまさら旦那に、いくら恋焦がれられても、うっとうしいだけの、寝れ落ち葉亭主では、かなわない。
いったん、こころのなかで断捨離リセットし、すきっと新しく出直してみると、
今まで見えていた風景とはまた違う景色が見えてきそう。

へんに弱々しい、女性に合わせるだけ、機嫌を取るだけの男性ではなく、
あるいは、機嫌を取ってあげないと拗ねる男性ではなく、
すこーんと、今でのアカや失敗、後悔や意地、沽券、見栄がさっぱり切り落とされた、
悟りの境地の出直し・新生タイプの男性が、いいと思うんですがねー。


恋焦がれる人と生活していると、恋は、どこかに吹っ飛んでしまうので、
(もっと落ち着いたもの=培われた「愛情」に変化すればいいけれど)
「恋」は、現実逃避のための妄想か、浮気ですかねー。

夢にまで見た、恋焦がれた車や家も、手に入れると、嬉しいのは最初の頃だけ。
熱が冷めると、また違うものに、こころ奪われたりする。
が、基本をキープするには、日頃の地味な努力が大事。
つまり、恋は、家庭がちゃんと問題なく平和に維持できて、その余裕で、生まれるもの。
逆の人もいるけれど。
(これは、あくまでも既婚者の場合。結婚してないのひとには、また別の機会に)

外で見かけた青い鳥、家に持ち帰ると黒く変色してしまう。
幸せの青い鳥は、家の中にいたりするかも。
というか、家に限らず、自分のこころの中にいるんだろう。


干物おんなが恋を語ると、実におもしろくもなんともないものになってしまった。
わたしに別のブログがあれば、また違うことを言ってるかも知れない。

 

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 トップ画像は、ご近所の桜。
スポーツクラブのプログラム・レッスン時間が迫っているのに、道中、空を見上げて、ぱちり。
わたしの指もいっしょに写ってましたが、トリミングしてカットしました。
いまだに、指をいっしょに写すなんて(しかも、かなり大きく)、ご愛嬌?
どんくささは、マイワールドの必須アイテムです。


恋してますか?

2011-04-11 | 無題

朝日新聞の土曜日「be」に、読者の声を反映したコーナーがある。
今回は、「いま恋してますか?」というテーマで「男性編」。

読んでいて、そしてアンケートの結果を見て、なんか、シラーっと、薄寒いものを感じた。

奥さんに恋していて、特に、50歳以降はそれが顕著だと。
日に日に妻が恋しいのだと。

『もてない男』などの著者の小谷野敦さんのコメントも載っていた。

このアンケート結果は、身元がばれたら面倒なことになるので、それを意識してのものかも?
中高年の男性が妻に恋をするなんて、まやかしとしか思えない。
妻以外だとしても、40歳を超えると仕事が忙しくてそれどころじゃないし、
性欲減退で、恋心なんて、湧かなくなる。
40過ぎて片思いに何年も長年、悶々としているのは、あまりない。
ただの妄想か、単に浮気しているだけのどちらかで、中間はない。

そう、お答えされていた。
わたしのこころを見事に代弁してくださるかのようなコメントに、
スッキリ、スッキリ、こころ、スッキリ。

記事の大半の文字を占めていたのは、出会ってから約40年、
お互い家庭を持ちながら、恋を育ててきた男性のお話が紹介されていた。
その、こころが通じ合う、熱烈な恋は、
一度も肉体的関係を伴なっておられないとのことらしいので、
同時に清らかでもあるようだ。

このお話をいちばん初めに読んで、俗人の極めつけのわたしは、
「え~~~??? うそぉ~~」と、シラけた。

老人と美少女の恋じゃあるまいし、片方が、老境だとか、加齢による機能低下、
男女の域を超えるぐらいの「中性」になっているのならわからないでもないけれど、
そんな両思いのアツアツで、若さあふれる男女が、なんで、こころだけでつながる?

男女の愛、愛欲ともいわれるが、官能ぬきで、味気なくない?
男女は、そーゆーことがあって、ドロドロしたり、別れたり、くっついたり、事件沙汰になったり、
理性をぐちゃぐちゃにして、ややこしく、こんがらがるのでは?
こころだけの、そんな清らか系、絵に描いた餅っぽくない?
あ、そもそも、おどろおどろしい「愛欲」と、美しい「恋」を、区別してのハナシですか。

あるいは、こころは、その清らか系に情熱を注ぎ、
実生活では、お相手は住み込み家政婦(=妻)だったり。
アタマとこころと、体を分離させ、でも同時進行ですか・・・。


記事のこの男性は、肉体的には浮気してないけれど、精神的に浮気してる?
それとも、浮気とかの範疇には収まらないので、妄想?
こんなことを言うと、清らかな恋をされている方々からは、ケシカランと非難を受けそうだ。

でも、正解なんてない。
思うのは自由だ。

(つづく)



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トップ画像は、ご近所の花壇。
いつも可愛いお花、お手入れご苦労様。
わたしも、どこの誰が通りすがりに見てくれているかも知れないんだし、可愛くしとかなきゃー。
無理か。


胸のうち、数珠つなぎ

2011-04-10 | 暮らし

昨日、長距離ウォーキングをご一緒した、ご近所のIさん。
彼女とは、ご近所さんになって知りあってから、23年目。
ぺちゃくちゃ、おしゃべりに花が咲く。


最近、ご近所では、よく家が売りに出されている。
中古住宅を業者が買い取り、分割して、何戸かの建売住宅を建てて、売りに出すケースが目立つ。
住民も高齢化が進み、年老いて、大きな家は負担ということで、売って住み替える人が多いのだろうか。

あるお宅が売りに出ていた。
そのお宅も、1軒を分割され、建ったお宅だった。
わたしたちは20年以上前から今の地に住んでいるが、そのお宅のKさんは、10年ほど前に、越してこられた。
子供会ももう卒業し、地域の子供たちとの接点はないのだが、
どこかの家の集まりなどで、ちょくちょく、顔を見ることがあった。

Iさんとも仲良くされていたようで、Iさんからは時々Kさんのお話は聞いていた。
後になってわかったことだが、KさんはIさんに気を許しているのか、いろいろ話していたようだ。

わたしは・・・Kさんのことは、好きでもキライでもない、「化粧の濃い人」ぐらいにしか思っていなかった。
ときどき、話の内容に、引っかかるものは、あったが。

ご主人と、いかに仲がいいか。
当時からウチは、仲がよろしくないので、そのラブラブぶりを聞くたびに、カチン。

自分たち夫婦が仲良くないからって、人さまの仲よし夫婦を妬むような自分であってはならないはず、
なのに、なんで、みっともなく、カチンと来るんだろう、と、自分の未熟さを反省したこともある。
いま思えば、単なるラブラブなら、カチンと来なかったのでは?
むっとするような、自慢げなニュアンスが含まれていたのでは?
当時のわたしは、気づかなかった。
自分が卑屈だから、そう感じたのだと思っていた。
スウィートなお話に、毒が入っていたのかも。

お次。
お子様事情。
Kさんには、わたしの娘と同じ年のお嬢さんがおられた。
6年一貫教育の私学に通っておられ、優秀な方らしい。(Kさんから直接聞いたので、まちがいない)
いかに、優秀かというと、英語教育に力を入れている学校だとかで、
お嬢様は、英検や、TOEICの点数がとても、お高いらしい。

高校3年の時に、何点を取得して・・・と皆の前で、細かくご披露されていた。
その方面に関しては、わたしは別になんとも思わなかったので、
「へーー、ふーーん」と受け流していた。
わたしは、カチンとこなかった。

ただ、それって自慢してないかい?とは、ちょっと感じたが。
もっともっと数段、優秀な人が、ごくごくフツーに佃煮にするほどゴロゴロいたら、どうするんだろう?


その次。
おうち。新築のお宅。
そのお家にわたしはお邪魔したのかどうか、ちょっと忘れたけれど、おそらく行ったことがあるのだろう。
そこでも、いろいろ、仰ってたように思う。
だんだん、思いだしてきた・・・
ご主人は、貿易関係のお仕事、かなにかで、・・・素敵なエピソードがいっぱいあったような。

あまりハッキリ記憶にはないのだけれど、・・・まあ、いま、思えば、頑張っておられたのではないだろうか。


Kさんの印象は、なにしろ、カチンのひと。
笑顔を絶やさないのに、細く鋭く尖ったなにかが、瞬時に刺さるような。

ま、それはいいのだが、
つい最近、広告チラシで、Kさんのお宅が売りに出ているのを見た。
すぐには売れなくて、何回もその物件のチラシを目にした。

昨日、Iさんに聞いたら、売れたとのこと。
「よかったね。
Kさんは、どこに引っ越しされたの?」
と聞くと、離婚したという。

え?
あんなにラブラブだったのに。
「なんで、知ってるの? Kさんがご近所に、ご挨拶でもあったの?」
とIさんに聞くと
「うううん。わたし、直接、本人の口から聞いたの。わたし、Kさんと親しかったから」
という。

それで、ちょくちょくKさんの話をIさんから聞くことになったのだ。
内容は、人に聞かれて困るような話ではないけれど、
相変わらず、自慢げな話が多く、人のいいIさんは、羨ましそうに目を輝かせて聞いていたことだろう。

そういえば、IさんがKさんのことを、
「夜にひとりで、飲みに行ったりするんだって。ステキやね~」
なんて言ってたことを思い出したが、
わたしは、そのとき、ステキだという感想は抱かなかった。
Iさんになら、自慢できる、と思ったんじゃないだろうか。
わたしは、そんなことは自慢する内容ではなく、自分の危うさを匂わせているだけのように感じたけれど。
こころが満たされていないのではないか、すきま風ビュービューなんじゃあ・・・と、直感したが、
Iさんは、実にお人よしそのもので、
「大人の女性ってかんじで、カッコイイ~」なんて、ずっこけるようなコメントを発していたのを思い出した。


この地に住む、子供会・旧メンバーの、わたしたちより、だいぶん後から、住み始め、先に出ていく。
我々よりずいぶん短い、この地との関わりとなったKさん。
わたしたちは、以前のまま、誰も、転出することもなく、そのまま住み続けている。

引っ越して行った人のことを悪く言うほど、わたしの趣味は地に落ちていないはず。
ただ、Iさんが、意外な人と深くお付き合いがあったことに、びっくり。


アタマのなかで、こんなシーンが繰り広げられた。

将来、わたしが越して出て行ったあと、
Iさんが、ご近所のMさんに「スローさん、どこに越されたんですかね?」と聞かれ
「スローさんは、離婚したんです」
と、何事もないように言うIさん。

「え?
スローさんが、ご近所に、ご挨拶に回られてそう仰ったの?」

「うううん。わたし、スローさんと親しくしていたから。
わたしがスローさんから、直接聞いたの」

そう淡々と答えるIさん。

そう言えば、スローさんは、カチンのひとだった・・・
そういう思い出をめぐる、子供会ごいっしょメンバー、昔のママ友であるMさん・・・
子供のこと、家のこと、夫婦のこと・・・
Mさんのアタマに、カチンが、ひとつひとつ、よみがえる。

想像シーンは、ゆっくり進み、展開される。

わたしの発言に、どこかカチンカチンときていたMさんの胸の内を、
わたしは知らないだけかも知れない。
しかも、それは、Mさんという特定のひとではなく、不特定多数のひとなのかも知れない・・・

 

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トップ画像は、ご近所で撮ったお花。
可憐で清らかで、けがれを知らないのは、お花だけ?
こわっ。