蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

懲りないひと

2012-02-16 | ブログ

なにが一番、こわいかというと、それは・・・自分のブログだ。

過去のブログをふと読んでみると、ぞっとする。
途中で、いたたまれなくなって、もういいっ!、と、読むのをやめる。
全速力で、逃げる。
最後まで読む勇気は、とてもわたしにはない。

あんなもの、よくもまあ、いけしゃーしゃあとアップしていたなあ思うと
ほんとうに心臓に悪い。
過去は、振り返らないことにしよう。(ブログに関しては)


わたしのブログをお読みになられた方は、一定期間、短期間、あるいはスポットならまだしも、
長い間・・・だとしたら、目に見えない毒を盛られているかのごとく・・・
毎日の食べ物に、少しずつヒ素を盛られているかのごとく・・・で・・・
もし少しずつ体調を崩された方がおられるとしたら、その件に関しましては
責任を負いかねますので、自己責任でお願いします。

このやろうっ!!とお思いの方も、不快なコメントを残すのも馬鹿馬鹿しいほどで
(おそらく、あほらしくて、時間がもったいない)
今日に至っております。

ということで、忘れてくださいね。


と、せっかく懺悔、反省、自己弁護を述べた、その舌の乾かぬうちに、
また、しょーもないことを書きたくなった。

しかも、性懲りもなく、また人さまのブログのこと。
嫌なら行かなきゃいいのに、行ってしまう、とある、浮気亭主を持つ会ブログ。
わたしは、まったく共通する事柄がないにも関わらず、ちょいちょいのぞいてしまう。
すごく嫌な読者だろうと、自分でも思う。
なぜなら、そのブログは、家庭になにかしら不幸を抱えていないと、一人前と見なしてもらえないからだ。

不幸を抱えていない者は、つまはじき、資格なし、無認可の烙印を押される。
ちょっと意見(コメント)でも言うものなら、
のうのうと生きている、おまえにゃ、わかるまい、と、あっさり切り捨てられる。

なんで、ここに来た?
とっとと帰りな。

会長に、そうスゴまれる。(ような気がする)
会長(ブロガーさん)は、たいそう気が強い、姉後肌の方。
で、いつも、きゃいんきゃいんと、足を引きずりながら尻尾を巻いて逃げるのだが、
ついついまた、行きたくなる。これって、なに? たちの悪い、わたし。
会長さん、ブラックユーモアが効いて文章がお上手なもので、つい・・・

ある、匿名の人がコメントを寄せていた。
わたしと同じ方向性の意見。
「同じ意見ばかりで凝り固まらないで、たまには、他の部外者からも意見を聞けばどうですか」
そうコメントされていた。
気持ちいいほどスルーされていた。
あれは、匿名だからよくない。
「ブタ」さんでも、「うし」さんでも、「たつ」さんでも、
「みかん」さんでも、「はっさく」さんでも、「牡蠣」さんでも、「ほっけ」さんでも・・・(もういいか、しつこい・・・)
なんでもいいからハンドルネームを書けばよかったのかも。

不幸をバネにして、マイナスをプラスに転じて頑張りましょう!!
そのスローガンはとても素晴らしい。異議なし。
不幸を不幸と認めない、不幸なんかであるまいか、こっちが正しいという、
なにがなんでも、どんなことがあっても、浮気亭主とは離婚しない、というスタンス、
それを推し進めて、離婚しない方向に努力するよう助言して、サポートされている。

客観的な目で見るということは、されないのが大きな特徴だ。
一度、突き放して、「自分で考えてみたら?」という、カウンセラーのようなスタンスはない。
頼ってくる人は、自分では考えられないから、
手取り足取り、ああしろ、こうしろ、と言ってもらうほうが楽なんだろうけれど。


これぞ、まさしく、嫌なら来るな!
というもので、勝手に見に行くわたしが、500%悪い。
しかも、自分のブログでグチグチ言っているなんて、最悪だ。

冒頭の反省、懺悔は、もう、効力はゼロとなっているだろう。
というか、ハッキリ言って、わたしは、ヒマ人だ。

ということで、今日は、スポーツのことを書こうと思っていたのに、
とんだ大脱線。
今から、スポーツクラブに行って、不浄な汗を洗い流してきます。

 

 

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やっぱり、やめときゃよかった

2012-02-14 | ブログ

昨日のブログ、タイトル通りになった。
やめときゃよかった・・・

下娘に、昨夜、ブログと同じ内容を話したら、
「おかあさん、そうとう、ひねくれてるなあ」
と言われた。

「嫌やったら、見にいかんかったらええやん」

身内でもそう思うんだから
そして、自分でもそう思うんだから。。。。

ということで、無意味にブログに、しょーもないことを綴るのも
自主規制を課したほうがいいなあ・・・と反省する次第です。
しょんぼり・・・

と、ここで、持ち時間(4分)制限いっぱい。
やはり時間は、あまり余らないほうが、よろしいようだ。

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やめときゃいいのに

2012-02-13 | ブログ

言っておきます。(もう何度も言ってますが)
わたしは、ひねくれ者です。

なので、まっすぐなひとが、まぶしくて、まぶしくて、目が開けられない。

純正の優等生という人種には、子供の頃から苦手意識があった。

真っ当な、真面目な、理想的な、模範的なことを、本気で自然に考え、
口に出し、行動する人。
これだけを聞けば、素晴らしい人だと、誰の目にも映る。
もちろん、わたしの目にも。

なので、尊敬し、お仕えする信者(取り巻き)も多い。
優等生・教祖様と信者との会話がまた、素晴らしい。

教祖様が素晴らしいことを仰って、信者が口々に、
「おお~~っ、素晴らしいっ。すばらしき行動、有難きおことば」と褒め称える。

そのやりとりをブログ上で見ていて、わたしは、やにわに、用意していたサングラスをかける。
それをわかっていて、そのブログを拝見奉っておりますので。(この謙譲語は、かなり怪しい・・・)

もちろん、ROM。
いちど、ばか丸出しで、コメントを入れたことがある。
劣等性のくせに、場違いな優等生ブログに迷い込んだわたしが、バカだった。
で、場違いコメントを入れた。
内容は、教祖様に対して「王様の耳は、ロバの耳っ!!」
そう書きなぐって、一目散に退散した。
(※注釈→実際には、そんなロバとかの話は書かなかったです・・・誤解なきよう、念のため
「わたしは、そんなふうに思いません」、みたいな、でも、やんわりした内容。)

すると、慈悲深い教祖様のお取りになった行動は・・・
シカト・・・(無視)・・・だった。

コメントは非公開にすることもできるわけだから、わざわざアップして無視、というのも・・・
おそらく、できそこないの信者以下の人間に対して、指導的処置、対処、という意味もあるのだろう。
わたしは、そう受け取った。
「教祖様は、そんなチョコザイな卑怯なマネは、しないんだよ~」、という、
清廉潔白さが無意識に、(光り輝きとともに)表出されてしまったのだろうか。

その件以来、わたしは恨みを抱いて。。。。なんて、そんなに「うっぷん過激攻撃型」ではないし、
わたしの、こころは、ひね曲がっていはいるけれど、「恨み」とかのカテゴリーには、無縁。
人を陥れるとか、そういう行為には絶対に走らない。
さよなら、って、自分が去っていくだけだ。


「本当は怖いグリム童話」みたいに、
美しい話であればあるほど、その裏みたいなものを勝手に感じてしまう。
それは、わたしが、裏のある、醜い人間だから。

そして、裏のない、美しいこころを持つ人々は、純粋に、感動し、思いを伝える。
いいな~、羨ましいな~、わたしも、ほんとうは、そうなりたい。
でも、かなしいかな、裏を知った挫折人生で、こころがぼろぼろ。

ま、それは、わたしが勝手に歩んだ道なので、それとして、べつにいいのだけれど、

美しいこと、ほのぼのしていること、楽しいこと、頑張ったこと、
そういうキレイ事のテーマばかりで、逆の醜いテーマには絶対に触れない。
それは、その人に、醜い部分がない、清らかな人なのだろう。
ブログに来る人も、安心して清らかな空気を吸いに来るのだろう。
ふいに、不快な内容になる、などという嫌な思いをさせられることもなく、
こころの洗濯に、集まってくるのだろう。

それはそれで、わたしは、素晴らしいことだと思う。
クラスの人気者に対して
「そりゃあ、あの子は、カワイイし、勉強も運動もデキるし、お金持ちだしね」
なんて、教室の隅っこで、拗ねているかんじか。
(教祖様は、いつの間にか、クラスのAKB48になってしまった・・・)

うーーん、自分にないものを嫉んでいる??
おそらくそうでないと、思いたいが。
深層心理は、そうだったりして???
自分では「違う」、と、あくまでも思いたいが。

ま、なにしろ・・・だ・・・
なにが、言いたいのかよくわからなくなってきたが、

自分のこころがひね曲がっているせいで、
コメントの中には、裏の意味もありえる、と読み取ってしまう。

たとえば、善人(いい人)の例

パターン1
「すばらしいことですね。じつは、わたしのところも、同じように・・・」
とさりげなく、人を誉めている風で、実は自分の自慢話を聞いてほしい。

パターン2
「ボクにはよくわからないけれど(境遇が違う)、すばらしいです」
ほんとうに、よくわからなくて、(内心、反対のことを思っていたりするが)
こういう人は、ブロガーさんが、どうコメントしてくるか、楽しみにしていたりする。

でも、実際に共鳴、賛同、感動された方々もおられるようで、
それはそれで、イチャモンをつける気は全くない。

わたしのような、ひねくれ曲がり者の正体を、自分のブログで暴露しても、なんの得にもならない。
なんの評価にも、自己満足にもならない。
冷たい風がひゅーっと吹いて、このブログを去って行かれるだけの話だ。

同じテーマを扱うにしても、
それだけ、自分ってヤツは、そうとう、ひね曲がっているんだなあ・・・と、
自分で、へんに、妙に、感心したりする。

たぶん・・・
昔、観た映画「エデンの東」(リアルタイムでは観ていませんが)
あの、ジェームス・ディーン扮する、ひねた弟。ああいうかんじかなあと・・・
兄に、父の愛をさらわれ、ひとり、ねちねち、いじける役どころ。
頑張って、両親に認められようと、あれこれするのだが、裏目に出てしまう。
「お前は、また、こんなことをして」と、いつも父に叱られる。
「父さん、違うんだ。ボクは、いいことをしようとして、父さんに誉められようとして・・・(もごもご)」
こころの声は、伝わらない。
なにをしても、親に信じてもらえず、すさんでいく。

あれかなあ・・・
そんな幼い頃のトラウマが、まだ克服できてないのかも知れない。
克服できないまま、一生、影を落として引きずっていくのね・・・
なんて・・・いい年して、わははと、笑ってしまうが。

というわけで、ねちねちと、ぐだぐだと、かぎりなくくだらないことを書いてしまった。
なんで、こうなんだろう・・・
筆の進みはいたって遅く・・・ノリは悪く・・・。
なら、やめときゃいのに。

 

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同じような内容の記事をつい最近、アップしている。
その時の反応は、無反応、北風びゅーびゅーだった・・・
懲りないようだ・・・


戦も終わってしまえば、夢の中。

2012-02-12 | 思い出

高目を狙うタイプと、確実路線、手堅いタイプがいる。

例えば、受験もそう。
就職もそうかも。
恋人、結婚相手も。

えいやっと、火事場の馬鹿力を武器に、ひとっ跳びでジャンプできる人。
逆に、日ごろの努力が活きず、本番に弱い人。
試合や試験には、この性格が大きく左右する。

度胸や馬鹿力も、能力のひとつ。
(かなしいかな・・・わたしには、ありません・・・)

わたしは、日ごろ、さぼっているのが、そのまま正直に出てしまうタイプ。
なので、馬鹿力は出ない。ごまかしも、きかない。
実力以上のことは出来ない。
実力以下のことも、多い。

年々、年を重ねる毎に、手抜きが、日常になってしまい、実力がどんどん低下し、
手抜き状態が真の実力になっている。
つまり、頑張れない。


わたしの第一希望は、十分、自分の力でやっていけそうな、難易度が低いところ。
第二希望は、さらにそれより低く、第三希望は、もう、なんでもいい。

背伸びができない。
上には伸びることはできないが、横には伸びることができるかも?
(カラダの話では、なくて)


長女は、いつも、高め設定の第一希望がクリアできす、泣く泣く第二希望に落ち着く。
本人は、いつも希望が叶わないことを経験し、なかばあきらめ、さめている。
そして、偶然、どれもこれも、学校も職場もマンモス、大人数のところばかり。

長男は、第一希望は、手を抜いて落ち、第二希望や第三希望は、すっとばし、
絶対確実、というよりは、なにもそこまで確実路線でなくても?という下の線で、落ち着く。

次女は、まったく周りから期待も想像もされない、かけ離れたところに、
ある日、突然、大転身する。

みんなギャンブラーにはなれない、リスキーな賭けに挑戦しない、守りタイプ。
おそらく、世の中には手堅く行く人も多いように思う。


合格した時や入社した時がピークだったら、
自分より優秀な人に囲まれ、これから長い期間、いっぱいいっぱいで、ふふーいって、
いつ緊張の糸が切れるとも限らない。
でも、人間は、楽なほうに流れるので、はじめから楽なほうを選ぶのではなく
まわりの優秀な人たちに刺激され、
仲間と同じ方向を向いて頑張る環境作りは、能力を上げるには大切なことだと思う。

ただ、その集団に入れるか入れないか、属することができるか、できないか、
それは、向上心を持つか、持たないか、本人の能力と努力にかかっている。

ちなみに、わたし本人に関しては、そういった集団とは、まったく何のご縁も、かすりもしないで・・・
評論家、批評家としての資格は、ゼロ。
(だから説得力なく、誰も聞いてくれないので、ブログで熱く力説するのみ・・・)
親の第一希望がわたしの実力とかけ離れていて、
わたしの第一希望が、親の意向に沿わなくて、両者が歩み寄り合意した学校を第一希望にした。
そこは、学力としては難易度が低くて、楽勝)
この話は、つまらない蛇足でした。


義母は、親がもっと子供の進学も就職もバックアップすべきだ、と主張する。
わたしは、義両親とはバックアップの方法が違うと思っている。
マザコン息子を再生するコースは、決して選びたくない。

本人の力を出せるようバックアップはするけれど、
それ以外のバックアップはする気がない。
自分たちの力でするべきだと考えている。

一喜一憂していた頃が懐かしい。
今では、もう夢物語。
すっかり過去のお話。

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過去があって、今があり、そして未来につながる。。。。
だけど、喉もと過ぎると、忘れちゃうんですよね。
思い出すのは、かわいらしい子供の頃ばかり。
親を踏んづけて肥やし(または、反面教師)にして、大人になって成長してくれたら、まあいいか・・・


胸が痛いことばかり

2012-02-11 | 思い出

昨日のブログは、ほとんど詐欺といっていい。

ダスキンモップの交換時間が、家を出る前に迫っていたこともある。
しかも、同じ時間帯に、NHK朝の連ドラの「カーネーション」のヒロイン女優が、
NHKの「あさイチ」に出演していて、めちゃくちゃ見たかったのだが、
ぐぐぐっとこらえて、ダスキン掃除を選んだ。

究極の選択は、2つではなく、3つの中から選ばれたわけだ。
しかも、いちばんキライなこと、義務感にかられて、ダスキンモップを選んだ。
前日にすませておけばいいものを、ダイっきらいな掃除は、ついつい後になる。
モチベーションを高めるために、事前に封筒に、レンタル代金を先に入れて用意はしていたが、
実際の掃除には、やはり好きなことを削ってでしか、出来なかった。

ブログの内容があまりにもヒドイので、事務所で手を加えよう、と思ったが、
また消えてしまっては、こころもダウンしそうなので、放置した。
で、あんな、タイトルだけが重々しい、詐欺まがいのブログになってしまったというわけだ。
ごめんなさい。


あ、話は、変わりますが・・・

うちの息子、あちこち、いろんなエリアにわたり、中学受験した。
試験の結果発表は、遠いA校は、同じ塾で、同じ学校を受けたH君のお母さんに、頼んだ。
結果は、H君は受かって、息子は落ちた。
わたしは軽い気持ちで(いつものように、手抜きで)頼んだのだが、
H君お母さんは、たいへん、気の毒がられて、
しかも、あからさまに、気の毒がるのは失礼だろうと気を使われ、とても申し訳ないことをしてしまった。

言葉もじつに慎重に選ばれていた。
「お聞きしていた受験番号は、見つけることができませんでした」
と。
わたしは、まるで気にしなかったが、彼女のことを考えると、胸が痛い思い出となった。

もう一校、これもはるか遠方のB校。
これは、義母に見に行ってもらった。
同じ学校を受験したM君のお母さんに、
「うちの義母が、発表を見に行くんで、いっしょに見てきてあげましょうか?」
と、これまた、自分で行くわけでもないのに、
お気楽に、まったく深く考えずに、M君のお母さんの労力削減のために、提案した。

こんどは、またこれが、ややこしいとになった。
義母によると、うちの息子が受かっていて、M君が落ちていた、という。
その旨をM君のお母さんに伝えると、A校のわたしの時のような、
気に病むこともなく、あっさりした反応だった。

ところが、なにを思ったのか、M君のお父さんが、夜に、車を飛ばして、はるばるB校に合否を確認に行くと、
なんと、M君は受かっていたらしい。
義母の見マチガイだったようだ。
義母は、何度も、受験番号を、他のその場にいた人に見せて、
「この番号で合ってますよね」と念を押し、確認したという。

でも、他人なんて、自分の子供のことで必死で、
そんなに一生懸命、人の番号なんて確認してくれないに違いない。
そして、年齢とともに、いくら気合を入れても、チェックミスなんて、ありがちなこと。

この件については、わたしも、夫も、M君のご両親も、だれも、義母を責めなかった。
むしろ、義母の善意に甘えて、軽く頼んだわたしに責任がある。(しかも、M君の分まで)
関係者一同、わたしを責めることもなく、わたしは、自分の過ちにもほとんど気付かずにいた。
あれが、もし、M君のお父さんが確認に行かなかったら、M君の人生が大きく変わっていたかも知れない。
(結果的には、M君もうちの息子も、B校には進学しなかった・・・)

善意って、どんなところで、逆の方に向きを変える危険性もはらんでいるのか、予測できない。

登場人物は、全員、善人で、気持ちも、全員、善意。

その後の人生が、うまく行っていれば、笑い話になるが、
そうでない場合は、逆恨みされたりするのかも知れない。

たまたま、わたしが、よそ見しながら渡った綱渡りが、偶然、綱が切れなかっただけで、
一歩間違えると、痛い目に遭っていたことだろう。

わたしのまわりが、たまたま善人しかいなかったから、よかったものの・・・。

 

それにしても、大事な息子の合格発表を人に任せるなんて、その根性が終わっている。

よくよく考えると、自分の学校の合格発表も、いっしょに受けた友人に頼んで、ついでに見てもらい、
わたしは、自宅で、結果待ちをしていた。
運良く、ふたりとも、受かっていたからよかったものの・・・
その頃から、手抜きで、いい加減な人生をひた走りしていたんだなあ・・・と、反省しかり。

いちど、綱から、ずっどーんと頭から谷底に落下しないと、この病気、治らないのかも知れない。

 

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落ちることにも、麻痺しているかも・・・


究極の選択

2012-02-10 | 日々のこと

ダスキンのモップを朝に出さなくてはいけない。


まだ、かかってない。

出発時間は延ばせない。


だからブログ更新は、できない。


5分前行動を心がけるようにしたいが、今で5分遅刻。


さあ、ダスキン掃除します。


なので、今日はこれでオシマイです・・・。


ああ・・・


スタートラインに立つか、立たないか

2012-02-09 | 趣味

2月1日の記事といい、昨日の記事といい、
ここgooで、新規投稿入力してから、公開前に、いったん保存したら、消えた。

なにか手を加えたら、記事入力画面に、「自動保存された記事データが存在します(反映する)」と
いつもは出てくるのだが、消えた日は、突然、消えて、それっきり。
いずれも、事務所のパソコン(MAC)での作業で、起こった出来事。
消えた後、帰宅してから自宅のパソコンでカチャカチャしても、消えたものは二度と戻らなかった。
パソコンが悪いのか??
goo疑惑、パソコン疑惑、どっち?

同じ内容のものをもう一度、書く気になれない。
書いた段階で、熱は一気に下がり、もう自分の中では終了しているようだ。

事務所のパソコン、今後も要注意。
パソコンに問題があるような気がしてきた・・・

でも、アップされないとなると、まだ、もやもやしている。
くすぶっている。
昨日の「おハイソな生活」

ううう~~ん・・・・・

いえ、ちょっと、おハイソな方の生活を垣間見る機会が最近、増えたもので・・・
どう思う?って、自問自答した次第。


社交ダンスをなさる方は、お金持ちも結構多い。
あまりお金をかけずに出来る方法もあるが、最低限度のお金はかかる。
なぜかというと、社交ダンスは、オリジナルなダンスではなく、
決まったルール通りに踊らなければならないからだ。

個性や芸術性を出すとすると、基本をしっかり身につけてから、応用で、ということになる。
その基本を身につけるまでに、お金と時間がかかる。
力や、やる気があっても、究極のところはお金かも知れない。
(学連の競技選手の場合は、どういうふうになっているのか知らないが)

地道に、お金をかけずに、公民館で運動がてら、交流がてら踊る、というのも、おおいに大賛成。
シニア生活を活性化させるのに、一役買う。
国をあげて、推進したいほどだ。

問題は、その枠を脱したい、上手くなりたい、という場合、お金が要る。
どの世界もそうかも知れない。
よい先生にめぐり合う情報、ルートを手に入れること、
よい先生に支払うレッスン費用を捻出すること、これが必要になってくる。

この業界、レベルの高い先生のレッスン費用はお高い。
レベルが低いと、安い。
どの業界も?

ただ、ネームバリューだけで、お高い先生がいたとしても、生徒間で、
「あの先生は、名前だけで高くとるけど、レッスンはイマイチだ」
と情報が流れると、プロの世界を目指すわけでもない、実質を求める生徒さんの間では、
名前ばかりの先生では見向きもされなくなる。

中級ぐらいの生徒は、どうにかもっと上達したいと願うので、必死でその方法を模索する。
その時に大きくものを言うのが、お金。
マネー、マネー、マネーだ。

必死で上達を願わなくなる、という自然の流れもある。
老化現象が進んできて、思うように体が動かない、
家の事情で、ほいほい外に出られない、
心配事があって、趣味どころでない、

趣味にかける情熱は、あらゆる状況が揃っていないと、燃焼するにも、足をひっぱられる。

もっとめんどうなのは、すべての材料、条件が整っていて、負の原因がないのに、うまくいかない時。
頭打ちやスランプにまで、たどり着ける人は、いったい、どれぐらいいる?
たいがいは、そこまで到達する前に、目標が遠すぎてあきらめたり、適当に惰性でやったり、自分を甘やかしたり、
たんに、飽きたり、うまくならないから情熱の火が消えたり・・・

そうなると、お金だけの問題でもないかも知れない。
ねばり強く、よりよい練習相手を探すとか、お金以外の方法で、上達の道を探る手もある。
よりよい人にめぐり合うには、自分も相当、努力しなくてはだめ。
そして、よりよい練習相手は、現時点での相手より、さらに、よりよい相手との練習を望んで、
パートナーシップを解消される可能性も常にある。

だらだら楽しむだけというスタンスが同じなら、それはそれで、いい。
要は、同じ目的の人と、同じ目標に向かって、時間を共有するのが一番いい。


はじめは、今日は、お金にまつわる、おハイソな生活のことを書こうと思ったが、
わたしの中では、やはり昨日、入力した段階で終わっていたようだ。


お金の力が及ぶ範囲と、及ばない範囲がある。
ある程度のところまで行くには、お金は必要不可欠だけれど、それ以降は、本人次第。
どんな少数精鋭塾に入れても、超難関校に入れる保証はないのと同じ。
才能と努力は、お金では買えない。


ある程度のところまで、「行かない」、「行かなくてもいい」、という選択肢もある。
ただ、それは、お金、その他の条件が整わなくて「行けない」と、泣く泣くあきらめるのか、
行かないのは、実際は「行けない」からだけど、それを認めるのは負け意識が伴い、シャクなので、
あえて、選んで、「行かない」と自分で言い切る、言い聞かせるのか、

いろんな自分への説得方法がある。

そういう、途中で挫折せざるを得なかった人が、意地悪な目で、
お金にモノいわせている、へたくそな人を見て、
「いくらお金かけても、ぜんぜん、だめね、あの力量ではね。金持ちの自己満足ね」
なあんて、お腹のなかでは思うんだろうなあ・・・

条件が整って、競争のスタートラインに立てたものの、自分の力が及ばず負けた場合と、

条件が整わなくて、競争のスタートラインに立てなかった人が、
自分のせいではない理由で、自分の力を出す機会に恵まれず、悔しい思いをした場合とでは

ものを見る目が違ってくるだろう。

これは、趣味の世界なら、お遊びだけれど、
実社会、仕事などの分野なら、生活も左右するだろうし、もっと深刻なことになる。


しょせん、趣味、お遊びでよかった・・・
負けて惨敗したら、いつまでも勝っている人のなかで、いじけてないで、
とっとと撤退して、やめたらいいんだし。
そう言って、また自分を甘やかしている、わたし・・・。


これが、わたしが何事においても大成しない、大きな原因である。

 

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おハイソな生活

2012-02-08 | 暮らし

ここの記事、また消えた。

時間がないなか、焦って入力したのに・・・

これで2回目。前は、保存機能あったのに。

(先日,消えた記事は非公開に切り替えた)

 

gooさん、ひどいやん...

タイトルだけ残しときます・・・

 


ひとつ、心配ごとが、消えた

2012-02-07 | 日々のこと

とあるブログを読んだ。
たぶん、2回目ぐらい。

読んだあと どっと嫌な気分になった。
もう、二度と読まないだろう。

それは、美しい?楽しい? 苦しい?思い出に浸る、
不倫の思い出を綴ったブログ。

「いやなひとは、読まないでください。
人の感性は、ひとそれぞれですから。」
そういったブログ・スタンスなので、なにも、PRされ、呼び込まれて読んだわけではない。
のこのこ読みに行った自分が悪い。

そりゃあ苦しいんだろう。
忘れられないんだろう。
うんと前の恋(だそうだ)。
あああ・・・やはり価値観の違いは大きかった。
不倫ですよね?
理屈を超えた、悪寒のような、嫌悪感。
しかしまあ、なんで女性には、この手のブログが多いんだろう。
男性は、あんまりこういうのって、ぐちぐち書かない(と思う)。

読後の感想って、自分では予期せず、突然、やってくる。
映画もそう。
期待してたのに、面白くなかったとか、その逆もある。
自己責任で、映画も、本も、なんでもかんでも、チョイスしないと。
ふいに、ぐちゃっと、食あたりする。

そもそも、わたしは、どうでもいいことを、グチグチとブログで愚痴る。
それと同じと思えばいいのか。
わたしのブログを読んだ人は、
嫌悪感というよりは、時間がもったいなくなって、あほらしくなって去っていくんだろうなあ・・・


ちなみに、・・・
わたしの手の指の先っちょは、この季節、ひび割れする。
右手、人さし指とか、頻繁に使う指、場所に、ひび割れはよく発生する。
で、キーを打つと、痛いわけで・・・
そんな痛い目をしてまで、キーを打つ内容か???
すみません・・・。

そんなヒマがあれば、新聞を読むとか、もっとタメになる経済サイトで研究するとか、
やるべきことが、あるはず。
さきほども、口座を持つネット証券にログインすると、重要メールとやらが、どさっと溜まっていたが、
ひとつのメールには、何ページにもわたる書類がいっぱい詰まっていて、
ひとつひとつ目を通すには、わたしの錆びたアタマでは、黄色信号が点滅している。
で、中途半端に、しっかり読んでもいないで、ざざっとナナメ飛ばし読み状態で、
読んだという証拠の「確認」ボタンをクリックする。
(確認ボタンを押さないと、取引が制限されることもある)

こんなことしていて、いいのか?
もっと経済の動きを勉強して、把握すべき、
わからないことには、クビを突っ込むべきでない、と、まわりからアドバイスを受ける。
ほったらかしたまんまにしている株(大損)、確認すべき分厚い書類メールを見たとたん、
ため息とともに、恐怖感に襲われた。

このままボケて、それと同時に、日本も世界も、どんどん傾いて、
なにがなにやら、わからなくなって・・・

自分の老人施設への入居費用と、月々の介護料はキープしておかないと。
それもすべて無くなったら・・・不安なのは、わたしだけじゃないと思う。

あああ、こんなこと書くぐらいだったら、
まだ、恋の話のほうが、マシ? (いえ、不倫はあきません)
もっと、明るい、前向きな、役に立つ、楽しい話をしましょう!!!

さて、どんな話?

とりあえずは、この話を。
今日は、ガス機器メンテナンス会社に、ガス機器を修理してもらい、
今夜からのお風呂の、給湯温度がぬるいまま上がらない心配、シャワーが突然、水になる心配はなくなった。
それだけでも、すばらしいことじゃない?!
ぶるぶる寒くてお風呂から上がれない状況から、開放された。
長い間、放置して我慢していたが・・・やっと・・・やっと・・・

急に、安堵の色。

取ってつけたように、
最後は、(超個人的ではありますが)、明るい話で締めくくれました。

 

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敵なしオバちゃん軍団を、敵にまわすな

2012-02-06 | グルメ

昨日は、城崎温泉に足を伸ばして、蟹を堪能した。
うんと、う~んと昔、愛読していた「家庭画報」(いまも、あるけれど)に、いつもよく掲載されていた
老舗旅館「西村屋」。



世界文化フォト社の素晴らしい撮影技術の成果も相まって、
その本を、ほーーっと眺めていた、若き時代。

仕事がらみでも、使うため、定期購読していた。

 

西村屋・本館には宿泊したこともあるが、今回は、日帰りで蟹料理を満喫した。
昨年は、同じく日帰りで、新しいほうの「招月庭」だったが、今回は、築150年の本館。

わたしのイメージ通りの、昔の西村屋。
お味も、量も、創作も、見せ方も、器も、ぜんぶすべて、とってもよかった。


毎年、この時期、蟹ツアーにはしぶしぶ、お付き合いで参加していて、
今年こそは、「来年から不参加にします」と宣言しようと思っていたが、
あらら、この場に及んで、・・・・意外や意外・・・
とても素晴らしくて、振り上げたこぶしを上げたまま、つんのめっている状態。

ある程度、年齢を重ねると、
大量の蟹をただただ無言でパクつくだけではなく、
器や、お部屋の雰囲気、調度品、景色、いろんなものを楽しみながら、一品一品、味わっていただくほうが
ずっと自分の好みに合っていると感じる。

建物内部の手入れの仕方も、とても参考になった。
昔の木の扉をそのまま再利用し、壁や床も、古風な日本テイストに合うよう手を入れてアレンジされ、
そして近代的な快適性も兼ね備えられていた。
その風情あるな佇まいに趣をそえる、選び抜かれた調度品、
スタイリッシュな機能美が、和にモダンな粋を加える木工家具、
躍動感を演出するダイナミックな生け花、
この調和空間、ぜひぜひ参考にしようと、まじまじと目に焼き付けた。
生まれ育った家、慣れ親しんできた日本家屋、今後も維持すべき姿のお手本を見るようだった。


浴場に一歩、足を踏み入れると、
グループのオバサマたちが(「オバちゃん」と、書きたいところだが、自分もオバちゃんなので)、
あわただしく、賑やかに(賑やか過ぎる・・・)
ばたばたと入っておられた。
露天風呂も、彼女たちが占拠し、地下鉄の座席みたいに、おひとり様だけが入れるスペースが空いていた。
わたしは、思わず後ずさり。

彼女たちが室内のお風呂に、がやがやいるときは、その目の前に見える露天風呂に移動するまでの間を、
わたしは個人ブースでシャワーや、なんやらかんやらして時間をつぶし、

彼女たちが露天に行けば、行っている間は、手前の室内のお風呂に浸かって時間待ちし、
露天から戻ってきたのを見届けたら、入れ替わりに、わたしが露天に移り、
時間差攻撃で、オバちゃんパワーを避けた。

ひとりひとりは、オバサマなのに、5人寄ると、たんなる、うるさい「オバちゃん」いや、「オバハン」かも?
同じ時間に殿方の浴場にいた、夫たちは、後で

「となりの女湯、うるさかったなあ」と言っていた。
わたしは、接近していて、臨場感極まったが、壁を越えても、うるささが大迫力で、こだまするようだ。

お風呂から上がっても、わいわい団体で、駆け足で忙しなく次の行動に移る彼女たち。
せっかくの老舗・西村屋も、昼の客を迎えないと、経営はやっていけないんだろうけれど。

お風呂は、ゆったりが大原則と思っているわたしは、そのほかの行動も、マイペース型。
わたしは、ぜったいに、あのグループには入れそうもない。

湯船の中でもぎゅっと満員電車のように、団体でつながって行動する、あのパターンを見て、ある図を連想した。

食後の大量の食器を、スタッフが金網の大カゴに入れて、お湯にドブンとつけ、ざざっと引き上げる、
大型食器洗浄器。
洗剤も投入して、キレイになったかな?


わたしは小さいときから、大浴場、町の銭湯(お風呂屋さん)が好きではなかったので、
よけいにそう思うのか?
お風呂で交流、裸のお付き合い、なんていうのは、とても不得意だ。
入るなら、ひとりで、ゆっくり。貸切みたいに。

しかし、ほんの少し時間をずらすだけで、オバちゃん軍団の後、擬似貸切でお風呂を堪能できた。

ものは考えよう。
意地になって、なにがなんでも、貸切の環境を固持するのは、たいへん。
ちょっと時間をスライドすると、とても気持ちのいい、優雅なリラグぜーションを手に入れられる。


そして・・・
古き良きものは、やはりいい。


パリが好きなのも、アバンギャルドな一面も持ちながら、古き良きものを大切にする、
目に見えない、歴史の底流を感じるからだろうか。

  

 

 

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