ある人、Kさん。
絶対に人の話を聞かない。
自分の考えを曲げない。
自分がこうと思ったら、それ以外は全く認めない。
諸説ありますね、という柔軟な逃げ方、濁し方が出来ない。
カチンコチンで鋼鉄のよう。
なので、意見が合わない話になると、話の途中でわたしは降りる。
「はい、この話、おしまい。
これ以上は、不毛なので時間の無駄遣い!」
議論を戦わすのは理解を深める意味でも悪くない。
賛否両論あって当たり前。
「ふむふむ、そういう考えや見方もありますね、でも、わたしはこうです」
なら良いが、「ふむふむ」の部分がない。
頭から「違う」と決めつける。
なので、その話は切り上げる。切り捨てる。
これがもし、建国の話や領土の話しなら、大変なことになる。
しかも長い長い時間、解決できないことだとすると。
火種は火種として、そっと触らず温存するしかないのかも知れない。
上述のKさんなど、かわいいものだ。
わたしとしては、広く深く知った上で自分の考えや方針、意見を持ちたい。
そんな見聞や考えもあるのかと、驚く。
弊害としては、知るばかりで一向に考えがまとまらない、決まらない。
だが、熟考ではなく感覚で決めたのにもかかわらず、結果的には良い判断だった、なんていうこともある。
何が良く何が悪かったかなど、後になってみないとわからない。
検証は後から。
利害関係が絡むと複雑、深刻になる。
理想論では収まらない。
政治家の皆さんは、よくまああんなに大変な仕事を責任を持って引き受けるものだ。
政治学なんていうのもあるし、法律などと一緒に学ぶのだろう。
歴史、経済、文化、、、色々絡み合う。
1番小さなコミュニティである家族、しかもミニマム中のミニマム、二人だけでも、上手くいかないことがある。
難しいものである。
住めば都。
例えば、フランスと母国との比較。
軸足がある方に、重心がある。
いつまでもバランスよく両足で立てない。
しかし、片足より、やはり両足が揺らぎがない。
ではあるものの、片足だと、いつも次の動き、移動をスタンバイできる。
一長一短。
両足だと安定するが動けない。
片足だと、ぐらつくが、ハイブリッド・カーのように臨機応変にシフト出来る。
危機に瀕した時のピンチヒッター。
2本の大黒柱。
逃げ道があるか、ないか。
煮詰まった時に逃げ道がないと、壊れる。
空気抜き、息抜きがあると、しのげる。
皆さん、工夫しておられると思う。
Kさん。73歳。
軽い病気で診てもらったところ、再検査が必要になり、その結果、手術。
初期なので実に軽い手術であり、術後も爽快。
だが、手術、入院をキッカケに、人生を見つめ直したという。
これからは、思い出作りを積極的にするそうだ。
わたしは、思い出を作りたいために、あれこれするわけではない。
結果的に良い思い出になった、という流れ。
たぶん、性格の特徴、スタンスからだろう。
受け身、受動態的な生き方。
あまり自発的にしたいことはない。
むしろ、何もしたくなく、現状維持でその現状延長が続くことを願う。
そのための最低限の努力はする。
そうすると、意図したわけではないのに、また面白いことに出会う。
しかし、よく言われるが、偶然は必然。
受ける側に、喜んで受ける意識があるかどうかにもよる。
今までの経緯、積み重ねがあるからこそ、ほんの些細なことでも、喜びが倍増する。
わたしの感性が呼応する。
ちなみに、
谷村新司さん、亡くなりました。
ショック。
アリスを結成する前の、ロック・キャンディーズ(通称・ロッキャン)時代、桃山学院大学生の頃のチンペイさんは、中学生のわたしにとっては、近所のお兄ちゃん感覚で慣れ親しんでいた。
勉強机に置いたラジオから流れる、僕は〜呼びかけはしな〜い、と小椋佳の「さらば青春」の歌声と共に「3時30分前の男」として現れるDJチンペイ。
深夜ラジオで彼が語るH話を勉強そっちのけで聴いていた。
神戸でミニライブがある時は追っかけもやっていた。
思春期の頃、リアルタイムで一緒に過ごした思い出。
突然のお知らせに、なんだかピンと来ないわたしがいる。