蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

無意識の姿

2024-08-20 | 趣味
まず最初に。
今日の記事は長いだけの、ツマラナイ(自問自答)内容なのでスキップすることをオススメします。
・・・・・

久々久々ぶりの趣味の時間。
暑い中、お出かけ。
これがあるのと、ないのとでは全然違う。
自分という客体と向き合う。
マイワールドから外に出て、外から自分を見る。

ちなみに。
夫の実家で孫たちと皆んなで夜に花火をした時、娘がスナップ写真をさりげなく撮っていて、家族限定共有の写真アプリにアップしていた。
ぎゃ。
何これ?
だれがどう贔屓目に見ても、正真正銘のおばあさん真っ只中。
服装、髪、姿勢、仕草、顔、、、!!
いくら周りの他人の目がないからといって、わたしの自然体はこんな姿だったのか。
わたしの知っている自分の姿の中で、今までで一番ひどかった。
孫との楽しい時間、穏やかに喜んでいるわたしの姿は、なんの人工的加工も修正もしなければ、あんな風だったのか。
衝撃。
いくら意識していないからといっても、、、あれが手を加えない自然なわたしか、、、。
朝には髪も整えお化粧もしたのがまるで嘘のよう。

たんに、実物そのままの姿なのだが。ありのまま。
自分をいったいどんな風に思っていたのか。
こっちのほうが笑える。

最終日、孫たちと行った外食レストランで順番待ちをしていて、目に入った若い女性。
あんなにスラリとした美しい人なのに、背中が猫背。
骨の異常?
それなら仕方ない。
が、健康体で、意識の持ち方で修正出来るものなら、ピシッと伸びた背中を心がけたい。
せめて人目があるところでは。

そう考えると、今のわたしの趣味は、かなりアンチエイジングに役立つ。
意識するのとしないのとでは、長年経つと違ってくる。
積み重ねで差が出る。
病気ではないのなら、自分のために、せめてそれぐらいの努力をしたい。

・・・・・
と、行きに電車の中で、上記↑、意気込みを鼻息荒く書いて目的地に向かった。

今は、その帰り。
全然、違うこころ行き。雲行き。
行きの、やる気はどこへ行った?
出先での皆さんのレベルの高さに打ちのめされた。
しかも、その質の高さは、天賦のものに加え、やる気、時間、お金がかかっている。
若々しく瑞々しく目視できる筋肉の動き、整えられた肉体。
わたしと言えば、、、どれも皆目ない。
あるのは、見た目がそう変わらないならラクしよう、という怠けごころだけ。
目指すレベル、目標に近づくには、天賦のものがないなら、せめて、やる気、向上心、努力、時間、お金、忍耐力、持続性が必要だ。
サボりのわたしは、自分の非力を実感して、打ちのめされただけ。
ぱっと見、表面の包装紙だけをホンモノに真似て、皆さんと同じ場に入り込んでいる。
が、混じり込んでいるだけで、ホンモノではない、ニセモノ。
溶解してはいない。
それがよくわかる。

趣味の場で皆さんの話を透明人間になって聞くと、、、
70代になると、健康もお金も体力も伸び代も、ガタ減り。
競技ダンスはもう見切りをつけようか、と。
80代でも90代でも、先生(プロ)とのデモンストレーションは出来るが、競技は無理のよう、、、などなど。
隣の更衣室から、まる聞こえ。声が筒抜け。
確かに、確かに、確かに。
70代が方向転換、舵の切り替え時か。
ということは、逆にわたしは競技という選択肢もあるということだ。
皆さんが辞め時だと言っている70代に、まだ70になっていないわたしは、あえて逆行して、競技?!
が、通勤通学ラッシュアワーに、都心から郊外に向かって電車に乗っているような逆流。

やめておこう。
競技は相手に左右される。
もうごめんだ。

ということは、70代の皆さんより一足お先に、頑張ってもいないのに、引退・お遊びコースか。
ほんの少しでも皆さんよりわたしは若い、この60代ラストスパート時期。
(わたしと同世代の女性もいたが、既に前々から積み重ねてきたものが、大きな差となって現れている)
皆さんより先に早く引退してしまうのは勿体無いか。
(が、元々、精進していない)
より良い70代、80代のために、今を有意義に使うべきか。
有意義とは、、、?
70代、80代を楽しく過ごすためのストック。
どんなストック?
頑張って、筋肉?運動技能?頭脳?仲間・人脈づくり?
黄金時期を、引退して消費していいのか?

わたしは、今はまだ健康だから、病気と付き合う事態を想像できない。
健康を気にせず、好きなこと、やりたいことをするのは理想だ。
好きなことをするために生きているのではないのか。
だが、健康に翳りが見えると意欲が減退するだろう。
ただただ無事に毎日を送るというのも、望むものかも知れない。
ではあるものの、安泰は結果であって、目的ではない。

歳が行けば病気にもなる。当たり前。
病気になれば、そればかりに囚われる。当たり前。
それまでの健康体に戻りたいのに、戻れないうちは、いつもの自分ではない。
そこで、「いつもの自分」そのものを(マイナスに)アップデートする。
もう以前のようにはなれないことを知る。
覚悟が必要だ。

決して20歳にはなれない。
小学生にもなれない。
バリバリだった働き盛りにも戻れない。
過去との差を少しは縮めることは出来ても。
悪あがきこそが、生きている証だ。

健康は、なくして初めて有り難みがわかると、よく言われる。
今、この瞬間は、2度とない。
やれるときに、すべきか。
でもわたしは、サボりなのだ。(堂々巡り)

ではあるが、、、、、最後に、一言。
母を見ていると、するりと赤ちゃんになっている。
とことん歳を取ると、最後は赤ちゃんになる。

※写真は、一昨日、車に乗り切れず、1番上孫と2人だけ電車で帰宅。


甲子園野球は涙なしでは見られない

2024-08-19 | 日々のこと
夫の実家で見つけた蝉の抜け殻?
枯れた木から新しく生えてきた枝に、くっついている。
朽ちても新しく生まれ変わる。
廻る廻る、自然の世界。

と、昨夜、書きかけて寝てしまった。
今朝は、朝ドラ「虎に翼」が終わってから、延々と8:15〜18:10過ぎまで高校野球を観ていた。
仕事をするより長時間。
席を立ったのはトイレと、冷凍冷蔵庫から何か引っ張り出した時だけ。

にもかかわらず、わたしが気合いを入れて応援していた側の高校は、ことごとく負けた。
わたしが買った株がことごとく下がるのと同じ現象。
わたしが熱を入れない側が勝利するのは、結果予測するには実にわかりやすい。
無意識ではあるが、落ち込み、がっかりするのを防ぐためなのか、相手側チームの良い点も必ず(どんな小さなことでもいい)一つは好きになっている。
負けても、リスク分散。
そして勝っても負けても涙。
彼らが全力投球、一生懸命の姿に、わたしは涙。
毎試合、涙していたら、4回も泣くことになる。(昨日は試合なし。今日は4試合)
もはや、ベルに、犬の涎、条件反射か。
高校野球に、わたしの涙。
「虎に翼」も、毎回涙だから、涙の大安売り。
ドライアイ対応の目薬要らず。

ちなみに、高校球児が孫の年齢に近いにしても、監督さんが、すでにわたしの娘、息子の年齢。
監督さん、これだけ熱心に練習や試合をして、家庭での子育てに参戦できるのか、奥さんからブーイングはないのか、ちょっと心配した。
監督さんは、高校球児との野球タイムは就労時間ということになるのだろうか。
日々、わたしは娘婿の子育て&家事の奮闘ぶりを目の当たりにしているため、余計なことがアタマをよぎる。

それはそうと。
応援していた学校のひとつの高校では、双子で出場していた。
双子の名前がとても可愛い。とわ君、そら君。
親御さん、大変だろうなあ。応援し甲斐はあるかも知れないが。
兄弟で明らかな優劣がついたりすると、これまた困るが、同じ道に進んでいるのは、頼もしい。

それにしても、わたし、朝から晩までよくまあテレビの番をしていたものだ。
若い皆んな、エネルギーと感動をありがとう。

あくまでも宿題をしない

2024-08-17 | 日々のこと
今日で長い長いお盆休みが終わる。
5日間にわたるステイ生活、夫の実家を引き上げる。
使った全部の布団を干し、シーツを洗濯して、立つ鳥跡を濁さず。(実践者は長女)
ゴミも分別ゴミに仕分けして所定のゴミ出し位置に。
まるで合宿所。
麦茶はちょうど飲み切るように分量を考えて作った。
ささっと掃除もして、持ってきた荷物は全て引き上げる。
大きな浮き輪が嵩張って、車に入らないため、急遽、空気を抜く。
最後はかなりのバタバタ、急ピッチ。
台風が去ったかのよう。
が、荷物が多いせいで、自家用車輸送から人間2人がはじかれた。

わたしと1番上孫(小6男児)。
桃鉄コンビだ。
2人は電車で帰宅となった。
が、夫の実家を出る時、鍵を締めてさあダッシュで駅に向かおう、という時に、キッチンの窓が開いていたことを孫が発見。
靴を脱ぎ、鍵を開け、一手間も二手間もかかる。
ただでさえ電車の発車時間が迫って時間がないのに。
坂道を上がったところの駅に行く直前の三叉路の信号の待ち時間がまた長い。
なかなか青にならない。長過ぎる。
やっと青になって、坂道を猛烈ダッシュ。
心臓破りだ。
日傘を差して、へんなカッコ悪いダッシュ。
孫は、切符を買わなければならず、あと1分なのに、自販機で足止め。
(行き先までの駅の、買いたい金額が自販機画面にズラズラ並ぶ数字のどこに表示されているのか)「どれかわからない」と孫が言うので、なんでもいいから、後で清算するからどこでも適当に押して切符を買いなさい!と、わたしは、お叫びモード。
もう電車はホームに到着していて、発車を待つのみ。
孫は後から走って滑り込みセーフ。
孫もわたしも汗だく。
こういうの、わたしは好きでない。
のだけれど、致し方ない。

自動車チームと電車チームは、同時に夫の実家を出た。
心臓に悪い出発の仕方だ。
しかしまあ、長くステイしたものだ。
火曜日から土曜日まで、丸々5日。
最後の最後になっても、ちんたらこんたらだらだら宿題を終えない2番目孫(小4男児)には、最後まで宿題にママが付き合っていたが、ついにサジを投げた。
選手交代、出発するギリギリまで付き合っていたパパ、お疲れ様。
今時の親は、優しい。
が、一向に宿題をしない孫には本当にイライラする。

今から、自宅へ。 
長い長いお盆休暇だった。

※写真は、二階建て農具蔵

熱が出た。熱射病か熱中症か?

2024-08-16 | 日々のこと
2番目孫(小4男児)が発熱。
(熱が出たのは、わたしではありません)
彼は今日は川には出かけず、家で安静にするほうがいい。
1番目孫(小6男児)Yは、夏休みの宿題、読書感想文に四苦八苦。
難しい内容の本を選んでしまった故の苦しみ。
もっと抽象的な内容の(例えば「星の王子様」とか)を選んだら、感想はなんでもオッケーだったのに。
理数系の「確率」に関する内容では、感覚的な感想や感情描写では適さない。
分析や解析、理論が必要。
社会系視野も必要。
だが、宿題が感想文なんだったら、「僕には難しかった」で良いのでは。
どこがどう難しかったのか、書けば、文字は埋まると思うが。
生真面目で石頭のYは、鉛筆はピタリと静止したまま微動だに動かない。
そんな、やっつけ仕事は嫌だろうと思われる。

よく聞いてみると、本の内容は、ジャンケンで勝つ確率を例に取り、どうやればものごとをうまく進めることに成功する確率が高まるか、方法を決めるにはどうすればいいか、皆んなを納得させるためには??
などなど、思考方法論???
導入部は、ジャンケンで勝つ確率を解説しているようだが、読み進むとその先は、なんだか難しそう。
世の中の色んな意見や要望を公平に取り入れるための手段、具体的方法は?
大人に投げかけられている命題でもある。
パパママに甲子園高校野球の実況生放送TVを消されて、宿題に取り組んでいるが、なかなか終わりそうもない。
重い重い腰をあげ、一文字一文字、一行一行、考えに考え、やっと、先ほど、鉛筆のアタマ、先っちょが動き始めた。
やれやれ。

女児2人は、ごっこ遊びで盛り上がっているものの、長い待ち時間に、いつ何時、退屈し始めるか予想できないが、どうにか、兄ちゃんの筆が動き、川遊びへ出かけられるようになった。
2番目孫(小4男児)が寝ている間に、水着に着替えた5人が出かけた。

わたしは、2番目孫の看護というテイ(大義名分)で、川には着いて行かず、家でステイ。
2番目孫が起きるまで、また、彼らが帰ってくるまで、短いお一人様タイムを満喫しなければ。
追いかけられるかのようで、あんまりのんびり、まったりは出来ないが。
というか、眠くなってきた。
なんで?

※写真は、夫の実家、土蔵前通路の土壁に掛けられていた金属性の何かのツール。錆錆。
いったい、何に使うものなんだろう。

お盆も後半になると疲れてきた

2024-08-15 | 日々のこと
お盆帰省、3日目。
ちびっ子たち、プールに行くと疲れてよく眠れるらしい。 
が、プールから帰ってきても、元気そのもの。
夜になっても、なかなか寝ない。

1番下孫はもう4歳になっているので、子供たちが4人いても、だいぶん、楽。
3番目と4番目女児孫たちは、女児同士2人で仲良く遊ぶものの、家の中にいると、だんだんデッドヒートしてきて、声はMAX、かなりうるさい。

まあそれはそれとして。
明日は4日目に突入。
ひょっとしたら、明日も泊まるかも?という流れ。
だんだん疲れてきた。
朝食、昼食、おやつ、夕食、、、。
3日も4日も続くと、食事の用意や片付けも大変。
娘婿は一番、疲れていることだろう。

今回は、あまりにも酷暑のため、娘一家も我々も旅行に行かず、娘婿の実家にも帰省せず、我々の帰省先で川遊びやプールで済ましたため、こうなった。
長い長い盆休みとなった。

仏さんたちも今日の夕方にお墓に帰っていただいた。
雨雲が突然、接近して雷がゴロゴロ鳴るなか、お墓に向かって、天候に追われるように、急いで送った。
例年より1日、遅めのご先祖様たちのお見送りになった。
ご先祖様たち、1日長く帰省したからといって、取り立てて特別に何かをお供えするわけでもなく、ご先祖様たちも間延びしたことだろう。
昨夜、夢にはご先祖様は誰も出て来なかったので、たぶん、不平はないと踏んだ。
だが、夢というものは、見る人(本人)が気にしている場合に見るわけで、わたしが気にしていないから、夢にも出て来ないということだろう。

子孫の我々は家族皆んなで仲良く、里帰りして過ごしているから、ご先祖様たちも笑顔で見守ってくれていると思う。
少々のお供えの手抜き、不具合については、目をつぶってくれるだろう。(希望的観測)

ちなみにわたしがご先祖様で直接会って知っているのは、舅、姑、先代の姑、、、の3人だけである。
舅の弟も知っているが、仏壇もお墓も別。
逆に、写真でしか知らない(直接知らない)先代の舅などは、先代の姑と共に同じ位牌に入っている。

お供えものをする時は、知っている人をイメージする。
知らない人は、その他大勢としてイメージする。
直接、仏壇に向かって話しかけるのは、やはり一緒に生活していた姑、舅。
生きているかのように、そこにいるかのように、自然に語りかける。
ご先祖様の皆さんは、お盆で実家に帰って来ているが、わたしにとって、ご先祖様代表は大昔の人ではなく、直近にご先祖様の仲間入りをした姑、舅。
いずれ、わたしもそちらに行きます。
よろしく、とは言わないが、順番、順送り。

お盆は、ご先祖様たちの同窓会だ。


お盆のお供え、令和流

2024-08-14 | 
またまた暑い、お盆続行。
引き続き、夫の実家にステイ。
今日は、夫は早朝からゴルフ、ちびっ子軍団は、パパママと町内プールへ。

朝に夫がいないので、どこに行ったのだろうと思っていた。
1番下孫に、「じいちゃん、居るか、見てきて」と頼むと、居なかったとのこと。
じいちゃんの部屋の隣の部屋だけを見に行ったようだが。
それにしても、起きてこない。
どうなっている?
イレギュラーの仕事か?
コンビニにしては長い、、、。
よくよく考えると、ゴルフに行くと前々から聞いていた。
すっかり失念。
暑さで脳が溶けている。

笑顔で皆んなを見送り、一人にこにこ。
水を得た魚のように、お一人様時間は、とても重要だ。

お盆のお供えは、わたしが嫁いでから毎年毎年、同じ日に同じ決められた献立を用意していた。
お迎え団子、朝食、昼食、おやつ、夕食。
親戚たちも同じ。
先先代から、あんころ餅を手動からお餅つき器(電動)で作るようになった。
先代からは、あんころ餅は購入し、5膳備えていたお供えを3膳に減らした。
わたしは、さらに2膳に減らした。

そして、、、さらにわたしは、代々受け継がれているお定まりメニューを、おやすみした。
令和の休憩。
また再現してもよい。
が、とりあえずは、休憩。
お供えする日にち、メニュー内容を写真か手描きで、見てわかるように残しておくつもり。
お膳もお椀も江戸時代のものを代々使っていたが、ちょっとおやすみ。
平成に先代が法事用に買った、小ぶりの朱塗りセットにした。
前日から蔵からお盆用お膳とお椀を出して来る必要もないし、楽で楽で、時間に追われることがない。
ただ里帰りしてきているご先祖様一同は、慣れない新しい小さなお膳や器で不満たらたらかも知れない。
せっかく里帰りしているのに。
おもてなし精神がない、なんという嫁だ。
ブーイングの雨嵐で、御先祖様たちが夢に出てきたら再考しよう。

基本お供え膳を出し、あとは思いついたように、好きなようにオプションでメニューを追加してお供えしている。
すみません、令和の嫁は気まぐれで。

娘一家が来ているように、長男の嫁が来ているなら、一応、伝承の昔式をやって見せるのだが、踏襲しようがしようまいが、自由。
とかなんとか、長男は独身。お嫁さんはいない。
娘婿に教えるわけにもいかず、わたし流に超手抜きになっている。
わたしがお盆行事、お供えが出来なくなったら、夫が代わりに出来るよう、この令和流にするのも悪くない。
誰でも気軽に手間取らずに出来るようなものでないと、受け継ぐことを拒否したくなる。
ただでさえ、墓じまい、家じまいが進んでいる世の中なのに。
引き継ぐ人の負担を軽くするのが、わたしの責務。
誰も引き継がないかも知れないが。
わたしが出来る間は、簡略バージョンでやっていく。

写真は、kidsたちのオニヤンマ付きキャップ。
プールで濡れたら困るからと、着けて行かず、置いて行った。



今年のお盆

2024-08-13 | 日々のこと
お盆。
夫の実家に来ている。

オニヤンマ2匹を残して、孫たちはパパママと川遊びに出かけた。
この暑いのに、さすがにお供する気にはならず、しばし、冷房の効いた部屋で休息。
ガヤガヤドヤドヤと帰って来るまでの静かな時間。
河原にはテント、キャンプがいっぱい。
ぎゅうぎゅうの人、、、まるで梅田地下街のよう。(→誇張表現を通り越して、むしろ、嘘)
河原がキャンプで賑わっているというのは、今朝、読経に来てくれたお坊さんからの情報。
その後、義叔父一家がウチ(夫の実家)にお詣りに来た。
仏間の和室、全員、椅子希望。
わたしも含めて、座布団に座れない。
椅子に座っている状態でお茶を置く場所がないため急遽、紫檀の座卓を出す。
畳に低い椅子4脚で、座卓を囲み、どこかの和食店で会議のようになった。
ちなみに、義叔父は、4男のため、お盆にはお墓から戻ってくるご先祖様はいない。
その分、ウチに団体さんでどっと帰って来る。
あくまでも、宗教的、特定の宗派の考え方だが。

精霊流しをする地域もあるようで、お盆の、あの世の人々との関わり方は、それぞれ。
メキシコもお盆のような行事がある。
亡き人々を偲び弔う。

朝一、里帰りしている仏さんたちにイレギュラーに、淹れたてホットコーヒーをお供えした。
日本茶のほうが良いのだが、義父はコーヒー党。
「おじいちゃん、コーヒー淹れましたよ、どうぞ」と、声をかけた。




「郷土愛」とは似て非なるもの。たぶん自己愛。

2024-08-12 | わたし
わたしのブログをご覧になる方には全く1万%興味がないと思われますが、、、
お読みになった場合は、読後、もやもや感が残ると想像します。

・・・・・

昨日は、実家愛に溢れる行動を取った。
友人一家をご招待した。
友人一家は、友人Fさんのご実家に向かう途中に、わたしの実家に立ち寄った。
待ち合わせは、わたしの実家の近くの電車の駅。
Fさん一家は、車で、隣の府から出発。
わたしも自宅(隣の府)から電車で出発。
お互いにほぼ同じ時間に、自宅を出発し、同じ時間に電車駅に到着した。
所要時間、2時間半。
待ち合わせ時間よりお互いに30分早く着いた。

Fさんは、ご主人と息子さんとで、Fさんお母さん(92歳)が一人で暮らす広島県へ帰省される道の途中。
わたしの実家に、寄り道。

わたしの実家では、義甥が一人でスタンバイ。
我々を笑顔で迎えてくれた。
19時までステイして、Fさんは帰りに駅でわたしを下ろして、その後は、夜にFさんのご実家に到着予定。(2時間ぐらい?後)

わたしが、Fさん一家をわたしの実家にご招待したのには理由がある。
今、義甥がわたしの実家を使って、ひとりで、人の交流を軸にした、あるビジネスをしている。
内容を具体的に書けばよいのだが、ごめんなさい、書きません。
(ネズミコウだの、宗教だの、政治だの、物販だの、、、ではありません)
知る人ぞ知る、少しずつ紹介の輪を広げている。
わたしの実家や、義甥の取り組みを知っていただきたいためではあるが、多くの方には気軽には行けないお値段のため、わたしは自腹でご招待というかたちを取っている。
癒しの場、文化、空間の提供。
海外や、企業、行政の3本立てで展開していけたらいいという理想を持つ。
海外有名チーム・リアルマドリードの方々の利用など、実績もポツポツ見え始めている。
(一昨日は、日本のプロバスケット選手が来ていた)
が、民間に関しては、わたしの関係者にはポケットマネーを使ってご招待。
(義甥に援助)
運営が成り立つのがどうかはまだ未知数ではあるが、目先の利益にとらわれず、細く長く、やっていっていただきたい。
最悪の場合、運営中止になったとしても、義甥には実家を細々と管理、保持してほしいと願う。

自分のため、実家愛が詰まっている。
Fさんにも、わたしの実家愛を強く感じた、と感想を言われた。
ねえねえ、見て見て!ではない、静かな実家愛なので、末永く見守って行きたい。
わたしが出来る範囲で、協力できることは協力したい。
今のところは、知人「ご招待」という協力の仕方である。
大大的ではなく、いたって消極的。
ではあるが、義甥を応援している。
同窓会でも、個人的にキーマンをわたしがご招待する運びになった。

という、内容が具体的に見えない、ブログ記事になった。
広報したいけれど、したくない、、、
知ってほしいけれど、宣伝はしたくない、目立って欲しくない、、、
複雑な心境だ。
一本釣りピンポイントで、コツコツ活動していくつもり。
派手さがない、じわじわ路線、限られた人だけのご愛顧を目指す。
そのうち、細い線は途切れて、また元のように、他の外の人に向かっての活動はしなくなるかも知れない。
それはそれでもいいと思っている。
わたしって、攻める姿勢がまったくない。
欲がない。あるのは実家愛だけ。が、それも欲の一種かも知れない。
愛は、感情なのか?
感情よりはもっと強い、動かないもの。
ではあるものの、ほんとに自然体だなあ、、、と、つくづく感じる。





なかなかのKISS

2024-08-11 | 日々のこと
同窓会のことを書きたいのに、次から次へと、毎日、新しい事柄が起こり、前のことを書くより、直近の出来事を書きたくなる。
そうやって、どんどん日が過ぎて、感激や感動が薄れていく。
いざ、時間が取れて、書こうと思っても、もはやあまり突き上げるような書きたい意欲はなくなってくる。
アイスクリームのようなものか。
冷凍庫から出したらすぐ食べないと、溶けてしまう。
すぐ書かないと、ふやける。
同窓会参加から1週間が経ってしまった。

話を提案したら、具体的に進む方向になった。
声をかける人は、キーパーソンであること。
箸にも棒にもかからない、影響力が薄い、即戦力のない人では、世間話に終わってしまう。
効率が良くない。
スイッチが入ると、一直線。
非社交家で内向的、消極的で受動的なわたしだが、自分に鞭打って頑張った甲斐がある。
今日はその活動の一環で、早朝から実家に向かっている。

ではあるものの、胸の中でしっかり熟成されている場合もある。
焦って書かなくても、落ち着いたら少しずつ、引っ張り出したい。

ちなみに、直近の記事で書き足りなかったことは、、、
「虎に翼」のキスシーン。
うまかったなあ、、、
寅子の、察知感、驚き感、ドギマギ感、協力感、接近感、無事にしっくり終えた感、、、実に演技がうまい。
身長が30センチ違う岡田将生との、顔の位置を合わせるタイミング、、、これは、岡田の仕事。
こうかな?もっと低く?こんなあたり?と、ん?鼻が当たる?
短い時間で高さや向きを直前・微調整。
ミニ段取り、試行錯誤感。あくまでも協力体勢。
臨場感は、半端ではなく、絶妙だ。
岡田将生は、演技もさることながら、とてつもなく美しいお顔に、ただただうっとり。
気持ちよく、廊下を滑ってスッテンコロリンと転んだ、あの転び方がまた上手。
どうやればあんなに上手に上品に、喜劇的にならず転けることが出来るのだろう。
コメディなら、吉本のノリ、がっつり見せ場なんだが。

それにしても、あのKISSは、混じり気ない純粋で美しい見本みたいなものだった。
いいわあ、いいわあ、、、、、KISSは、ああでなくっちゃ。
透明感、美の極み。理想的。わあわあ。
肉感的でないところが、大共鳴。大賛同。
First kissは、たったの一回しかないので、価値があり貴重だ。
とかなんとか、この盛り上がり、熱の入れようは、相手が岡田将生だからかな、と、認めざるを得ない。
理屈や解説は、付け足しに過ぎない。

愛だ恋だ結婚だ

2024-08-10 | 日々のこと
昨日はまた地震。
ああ怖い。
一昨日は枕元に、スニーカーを用意した。
昨夜は、しなかった。
緊張感が、やや緩和された?
ずーっと緊張していては、こころが、もたない。
が、TVで速報が出ると、どきり。
一番心臓によくないのは、携帯アラームが周囲あたりに一斉に鳴り出すこと。
日本は治安は良いが、自然災害が多い国だと実感する。


ちなみに。
熊谷真実が3度目の結婚だそう。
2回目の離婚から3年後。
64歳で、3人目の夫、8歳年下の男性と再々婚。
身軽な人は良いなあ。
何のしがらみもなくて。
かといって、羨ましいわけではない。
8歳も年下だと、老化の進度が違うから、老化による心身の変化について、年齢差による実体験を伴う理解は出来ないだろう。
だが、その一方で自分が介護する側ではなく、される側になるので、不安は薄まる。
8歳も若いと、かなり心丈夫。
8歳上と比べると16歳も若い。
自分が70歳近くなると、身近な人が若いと頼もしい。
もはや恋愛感情や男女感覚ではなく、別の、生活サポート、協力体勢がアタマに浮かぶ。

さて、そこで。
好きな人について。
仮に私が今、独身で、好きな人が出来ても結婚しない。
入る墓まで決まっているし、(もちろん、やめることだって出来る)わたしの私物やら、お気に入りのものや、居場所、空間を失うのは辛い。
失わずに結婚することも不可能ではない。
(あくまでも仮の話し)
が、全てを捨てて、例えばハワイに移住、、、だとか、、、不可能ではないにしても、わたしは行かない。
取らぬ狸の皮算用、とは、このことだが。


日本人にはカップル文化は育たないそうだ。
男尊女卑の思考が蔓延り、有能な女性を活用しきれない社会風土。
結婚も然り。
亭主達者で留守がよい。
ただし、必要な時に居なくてはならないそうだが、必要な時にも居ない亭主も多い。
必要な時に役に立たない亭主もいる。

わたしは、現在は専業主婦なので、イエとセットになって夫がいる。
ついでに墓も付いてくる。
あの世の先も予定が立っている。
生活の一部、パーツである。
大黒柱とはよく言ったものだが、今の世の中では大黒柱は2本になっている。
1本だけだと嫌がる男性もいる。

そもそも、わたしは自分が生まれ育った環境とほぼ同じような位置へ、結婚によってスライドした。
夫はその結婚というジグゾーパズルの中の1ピースである。
重要なピースは、ひとつひとつ消滅していき、その代わりに新しいピースが生まれた。
ジグゾーパズルそのものを増やしていくならいざ知らず、何度も変えるのは、せっかく微妙に組まれたパズルなのに、リセットしたくない。

例え、ピースの一つである夫が消滅しても、ジグゾーパズルは枠はそのままで、しっかり存続する。
だが、わたしが消滅すると、ジグゾーパズルも消滅するかも知れない。(思い上がりではある)
しかし、わたしがジグゾーパズル構想を、過去の先祖の人々から受け継ぎ、打ち立てた。
構想者がいなくなると、壊れてしまうことは想像できる。
とは言え、さほど体勢は変わらず、どうにかなるのは、目に見えている。

わたしは単身ではないからか。
夫が消滅しても、大きな流れの中の1パーツが欠けるだけ。
わたしが消滅しても同じこと。
だが、後に残る子孫たちに、なんらかの意思表示はしたい。
なんていうと、一代一代で完結する他宗教とは違い、いかにも仏教的思考なのだろうか。
とかなんとか、よくわからないが。
うちの家系だけのオリジナル思考かも知れない。

なので、いろんな人と結婚、離婚を繰り返すのは、大ゴトで重い。
「身軽」の反対。
宗教や家訓の名を借りて、離婚しないことを勧めているだけか。
ではあるが、なぜか一族、離婚した人はいない。
離婚が重罪だなんていう教えは残っていない。
たぶん、昔は生き方に選択肢がなかったのだろう。

選択肢がないのは、不幸か?
だが、多すぎる選択肢は、幸福感を減少させる。


あ、最後に、「虎に翼」。
ドキドキの展開に、心臓が躍る、躍る。
ああいう愛情表現、言語化説明もあるんだなあ、、、と、すごく参考になった。
参考にしてどうする?ではあるが、恋愛について、とても納得できた。
ではあるが、相手が岡田将生では、理屈なんか溶けてしまう。
好きに理屈はない。