蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

明るく元気な孤独

2024-08-30 | お付き合い
最近、撮った写真がなくなってきた。 
ブログのイメージ写真として使うもの。
少し前の写真ならあるが、私が、こころ躍らない。
暑くてあまり出かけていないから、写真も撮る機会がない。

さて。
ここ連日、ブログに使っている写真。
とある都会、大阪市内のマンション一階にあるお店。
テレビで紹介されていたらしい。
オリジナルシュウマイが売りで、他の料理もとても美味しい。
若い女性がオーナーのため、女性目線に耐えられるお店。
しかも、すごく安い。
そのためか、17時になると、仕事終わりのお客さんがどっと増える。
各グラスの色々なWordが、キュン。
店名を記せばよいのだろうけれど、すみません。
多くの人に知って欲しいという気持ちはないので。

まあそれは良いとして。
そのお店に連れて行ってくれたBさん。
今、近場の国内旅にはまっている。
前々から行きたいとは言っていたが、実行に移し始めたのはここ最近。
やはり、実践するまでには熱量チャージが必要なのか。

ちなみに。
Bさんとの距離を見て思う。
人とあっさり浅くお付き合いするには、手軽で簡単な共通項があればいいようだ。
例えば飲食を共にするとか。
どんな人とでも、理想を押し付け、深く追求すると破綻してしまう。
一定の距離感を保ち、踏み込まないことが良さげだ。
悪い面は見えず、良い面しか見えないから。
距離があると、もっとさらに良い面は見えないが、悪い面が見えるよりマシ。

そもそも、人に自分をわかってもらおう、理解してもらおう、同じ感性、嗜好になって共鳴したい、などと求めることは不毛だ。
それぞれ個人的に考えや好みある。
おおざっぱに、大きく括って、ざくっと共通点があれば、それでよい。

人には人の考えや好みがあるのに、自分と違うから、自分を認めてもらえないからと、嘆き、面白くないと思うのはマチガイ。
なんと押し付けがましいことか。
共通項に導かれて自然に集まってくるのなら、まだしも。

好みや考えが違う人とあえて、一緒にいる必要はない。
だが、自分が寄って行ったり、他の人が好みのものに集まって行くと、同好の緩い輪ができる。
緩い輪には強制力がないから、自然に離散してしまうこともある。
それでもいい。

自分が求めているものがそこにある、自分の居場所だと感じる、そんなところを少しずつフォーカスしていく。
ゆったりした、ゆっくりした、ゆるい輪。
一人でもいい。
今日は、輪にはならないね、というかんじでも。
ずっと輪にならないね、でもいい。
全員おひとり様という輪もある。
吸収合併せず消滅せず、存在、独立。

自分一人だけでは絶対に気づかない、行けない、見つけられないことも、他人さんが見つけているのを見て、その存在を知る。
こんなものもあったのか。
悪くない。
気づきを得る。発見。
自分の枠を広げたり取捨選択したりして修正する。
その作業は楽しい。

わたしの感じる「ひとり」には、孤独の匂いや陰は付きまとわない。
「孤独」という言葉には、悲壮で悲惨で不幸な響きを感じるから、あまり好きではない。
人は元々ひとりなんだから。
何を今更。
例え大勢でいても。
わたしを理解して!わかって!なんて思うことは、あつくるしい。
ただしこれは、命を守るレベルの話をしていない。
命の存続にかかわるようなシリアスな局面を迎えていない、余裕のあるお一人さまである。
余裕を得るには自分を追い込んではいけない。
妥協もしないと、生きていけない。
食べなければ生きていけない。
時として、マズイものでも。