蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

無意識の姿

2024-08-20 | 趣味
まず最初に。
今日の記事は長いだけの、ツマラナイ(自問自答)内容なのでスキップすることをオススメします。
・・・・・

久々久々ぶりの趣味の時間。
暑い中、お出かけ。
これがあるのと、ないのとでは全然違う。
自分という客体と向き合う。
マイワールドから外に出て、外から自分を見る。

ちなみに。
夫の実家で孫たちと皆んなで夜に花火をした時、娘がスナップ写真をさりげなく撮っていて、家族限定共有の写真アプリにアップしていた。
ぎゃ。
何これ?
だれがどう贔屓目に見ても、正真正銘のおばあさん真っ只中。
服装、髪、姿勢、仕草、顔、、、!!
いくら周りの他人の目がないからといって、わたしの自然体はこんな姿だったのか。
わたしの知っている自分の姿の中で、今までで一番ひどかった。
孫との楽しい時間、穏やかに喜んでいるわたしの姿は、なんの人工的加工も修正もしなければ、あんな風だったのか。
衝撃。
いくら意識していないからといっても、、、あれが手を加えない自然なわたしか、、、。
朝には髪も整えお化粧もしたのがまるで嘘のよう。

たんに、実物そのままの姿なのだが。ありのまま。
自分をいったいどんな風に思っていたのか。
こっちのほうが笑える。

最終日、孫たちと行った外食レストランで順番待ちをしていて、目に入った若い女性。
あんなにスラリとした美しい人なのに、背中が猫背。
骨の異常?
それなら仕方ない。
が、健康体で、意識の持ち方で修正出来るものなら、ピシッと伸びた背中を心がけたい。
せめて人目があるところでは。

そう考えると、今のわたしの趣味は、かなりアンチエイジングに役立つ。
意識するのとしないのとでは、長年経つと違ってくる。
積み重ねで差が出る。
病気ではないのなら、自分のために、せめてそれぐらいの努力をしたい。

・・・・・
と、行きに電車の中で、上記↑、意気込みを鼻息荒く書いて目的地に向かった。

今は、その帰り。
全然、違うこころ行き。雲行き。
行きの、やる気はどこへ行った?
出先での皆さんのレベルの高さに打ちのめされた。
しかも、その質の高さは、天賦のものに加え、やる気、時間、お金がかかっている。
若々しく瑞々しく目視できる筋肉の動き、整えられた肉体。
わたしと言えば、、、どれも皆目ない。
あるのは、見た目がそう変わらないならラクしよう、という怠けごころだけ。
目指すレベル、目標に近づくには、天賦のものがないなら、せめて、やる気、向上心、努力、時間、お金、忍耐力、持続性が必要だ。
サボりのわたしは、自分の非力を実感して、打ちのめされただけ。
ぱっと見、表面の包装紙だけをホンモノに真似て、皆さんと同じ場に入り込んでいる。
が、混じり込んでいるだけで、ホンモノではない、ニセモノ。
溶解してはいない。
それがよくわかる。

趣味の場で皆さんの話を透明人間になって聞くと、、、
70代になると、健康もお金も体力も伸び代も、ガタ減り。
競技ダンスはもう見切りをつけようか、と。
80代でも90代でも、先生(プロ)とのデモンストレーションは出来るが、競技は無理のよう、、、などなど。
隣の更衣室から、まる聞こえ。声が筒抜け。
確かに、確かに、確かに。
70代が方向転換、舵の切り替え時か。
ということは、逆にわたしは競技という選択肢もあるということだ。
皆さんが辞め時だと言っている70代に、まだ70になっていないわたしは、あえて逆行して、競技?!
が、通勤通学ラッシュアワーに、都心から郊外に向かって電車に乗っているような逆流。

やめておこう。
競技は相手に左右される。
もうごめんだ。

ということは、70代の皆さんより一足お先に、頑張ってもいないのに、引退・お遊びコースか。
ほんの少しでも皆さんよりわたしは若い、この60代ラストスパート時期。
(わたしと同世代の女性もいたが、既に前々から積み重ねてきたものが、大きな差となって現れている)
皆さんより先に早く引退してしまうのは勿体無いか。
(が、元々、精進していない)
より良い70代、80代のために、今を有意義に使うべきか。
有意義とは、、、?
70代、80代を楽しく過ごすためのストック。
どんなストック?
頑張って、筋肉?運動技能?頭脳?仲間・人脈づくり?
黄金時期を、引退して消費していいのか?

わたしは、今はまだ健康だから、病気と付き合う事態を想像できない。
健康を気にせず、好きなこと、やりたいことをするのは理想だ。
好きなことをするために生きているのではないのか。
だが、健康に翳りが見えると意欲が減退するだろう。
ただただ無事に毎日を送るというのも、望むものかも知れない。
ではあるものの、安泰は結果であって、目的ではない。

歳が行けば病気にもなる。当たり前。
病気になれば、そればかりに囚われる。当たり前。
それまでの健康体に戻りたいのに、戻れないうちは、いつもの自分ではない。
そこで、「いつもの自分」そのものを(マイナスに)アップデートする。
もう以前のようにはなれないことを知る。
覚悟が必要だ。

決して20歳にはなれない。
小学生にもなれない。
バリバリだった働き盛りにも戻れない。
過去との差を少しは縮めることは出来ても。
悪あがきこそが、生きている証だ。

健康は、なくして初めて有り難みがわかると、よく言われる。
今、この瞬間は、2度とない。
やれるときに、すべきか。
でもわたしは、サボりなのだ。(堂々巡り)

ではあるが、、、、、最後に、一言。
母を見ていると、するりと赤ちゃんになっている。
とことん歳を取ると、最後は赤ちゃんになる。

※写真は、一昨日、車に乗り切れず、1番上孫と2人だけ電車で帰宅。