今日も、まとまり悪く、あほみたいに長くなってしまった。
最初の甲子園の段落だけにして、あとはスルーが良いでしょう。(なぜか上から目線表現)
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今日の甲子園、準決勝。
2試合ともしっかり見た。
負けたチームのメンバーが涙を流す姿には、いつもいつも、もらい泣きしてしまう。
2度と来ない青春の日々。
負けも勝ちも、絶対にこれからの人生には良い経験になる。
ちなみに、体育会系は、礼儀正しいところに、わたしは大変好感を持つ。
わたし自身は何をやっても中途半端な軟弱、落ちこぼれだから、自分の歩めなかった道には、惜しみなく拍手を送る。
それはさておき。
わたしは、すべて、時間潰しだと捉えているのかも知れない。
「うさぎと亀」の、初めから最後までのろのろ、途中も昼寝、負けた亀か。
負けてもいいと思っているからだろう。
そのくせ、人生には無駄はないと信じている。
無駄と思えるかも知れないのは、時間待ちタイム。
結果待ち。
待って待って待って、、、。
これもある意味、信念。
果報は寝て待て。
卑下自慢は嫌味らしい。
過度な謙遜も、不愉快。
自慢は嫌われて、自己顕示は煙たがられ、、、
ではあるものの、人は人を見ている。
有言実行、有言不実行、不言実行、不言不実行。
いろいろ。
あるSNSの会員さん。
そのSNSで日記をアップし、他の人からコメントが付き、やり取りする。
ときどき、その中に軽薄な人がいる。
感性や価値観がお互いに違うだけだろう。
お互いそう感じるため、接近することもなく自分のテリトリーは確保される。
インターネットの利用法は人それぞれ。
ちなみに。
酷暑の中、家の中でエアコンをつけて過ごすと暑さから逃れられ、快適。
夫の実家に1週間近くいると、自分の変化を感じる。
マンションのように、すべての生活空間が室内というわけではない。
室外が多い。
43年前、その暮らし、室内と室外の寒暖の差が激しいことが不快だった。
冬は室外は寒い、室内は暑い、真ん中はないのか?と、イライラした。
夫をはじめ、家族の温度の好みはまちまち。
それぞれの好みを全て反映するのは無理。
そこで、時間別、空間別シェアということになる。
今と同じだ。
それに比べると、一人時間は最高だ。
自分の好きなように出来る。
誰にも合わせなくてよい。誰にも文句を言われない。
そう思うと集団生活や居候は大変だろう。
それはそうと。
昨日、趣味の会場で、隣に座っていた人と、そのまた隣に座っていた人の会話。
(わたしは部外者)
二人とも70代女性。
夫に合わせていて、やっと夫がこの世からいなくなっても、もう自分は80過ぎている。
そんな高齢の時から得た自由なんて、遅過ぎる、と。
夫が他界した時、子供達から「おかあさん、いままでありがとう」と労いの言葉をかけられるかと思いきや、子供達の出方を見ていると、、、
きっちり自分の相続の取り分、権利を主張、申し出られた、とのこと。
女性は、そういう傾向に向けさせたのは、自分の育て方のせいなのか、、、と自問、自責、自省したという。
それで目が覚めたそうだ。
もう子供達とは一線を引こうと。
自分は自分の人生を歩もうと決めたそうだ。
遅くない?
高齢の夫がいなくなってから、自分の人生?
自分も80近くなっていては、もう何年も残っていないではないか。
わたしとそう年齢が違わないその女性たちの話を聞いて、不思議に思った。
ちなみに。
いつもわたしが訪れるお気に入りブログは、高齢の人々の苦しそうな実態ばかりを紹介されている。
もちろん、楽しげな人の生活も紹介されているが、ちょっとだけ、偏らないようにバランスを考慮して、形ばかり、、、
あくまでも言いたいことや興味あるのはそこではない、刺身のツマのように感じるが。
わたしがひねくれているからか。
もっと人生を楽しんでいる人はいると思うが、あえて見ないようにしているのか、目と脳を素通りしているのか。
苦しいことは引っかかるが、楽しいことは、こころに留まらないのだろう。
感性のアンテナがそれぞれ、人によって違う。
それでもわたしは、その、苦しい人ばかり紹介されるブログを訪れるのには、おそらく、暑苦しくない、クールな、哲学的で端的な短文が読みやすいからだろう。
長々、文章が続いて、結局、何が言いたい?という(蝶ブログのような)ものは、イライラする。
大量10000文字も、言いたいことをまとめると50文字ぐらいになる?
書いている間が楽しいのだから仕方ない。
と、話は逸れている。
高齢になってから解放されても遅い、という話。
だが、病気になったりし始めるのも、自分が解放される年代。
解放されても、病気で一人、、、なんていうのは、予想していた展開ではないはず。
自分が病気になる前に慌てて急いで、自分の好きなことをする??
て、配偶者がいては出来ない、自分の好きなことって?
まさか、恋人探しではあるまいし。
姑も舅を看取ってからの10年は黄金時期だった。
自分が病気になるまでの10年が、老後人生の華。
この10年がある人、ない人。
もっと短い人、長い人。
いろいろだろうけれど。
人は支え合って生きている。
支える相手、支えられる相手がいなくなると、拍子抜けするのでは?
良いことも悪いことも、望むことも望まないことも、一塊になって混ざり合っていて、切り離せない。