『 一夜寝にける ・万葉集の風景 』
春の野に すみれ採みにと 来しわれぞ
野をなつかしみ 一夜寝にける
作者 山部赤人
( 巻8-1424 )
はるののに すみれつみにと こしわれぞ
のをなつかしみ ひとよねにける
意訳 「 春の野に すみれを摘もうと思って 来た私は 野を去りがたくなって 一夜野宿しました 」
* 作者の山部赤人(ヤマベノアカヒト・660 ? - 724 )は、万葉集を代表する歌人の一人です。万葉集には、長歌・短歌合わせて50首が採録されており、勅撰和歌集には全部で49首が選ばれています。
平安時代にはその評価はさらに高まり、紀貫之は古今和歌集の仮名序の中で、「人麿は赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」と、柿本人麻呂と並び称される歌人と評価しています。
また、赤人は三十六歌仙の一人に選ばれていますが、柿本人麻呂と共に歌聖と称されることもあります。
* 赤人には、天皇を称える歌が多いことから、聖武天皇時代には宮廷に仕えていたと推定されます。ただ、その名前は正史には記録されていないようなので、六位以下の中下級の官人であったと考えられます。
その作風は、宮廷歌人的な色合いもありますが、叙景歌人としての評価が高いようです。
掲題の歌も、春の野を楽しむごく分かりやすい歌といえますが、個人的には、「いくらすみれを摘むのが楽しかったとしても、野宿などするものだろうか」という気持ちを持っています。
むしろ、この歌は、「すみれのように愛らしい人のもとで、一夜泊まってしまいましたよ」と受取りたいと思うのですが、少々邪推が過ぎますでしょうか。
☆ ☆ ☆
『 ドイツが政権交代へ 』
ドイツの連邦議会総選挙で
中道右派政党が 第一党となり
これまでの 中道左派政党中心の政権から
中道右派政党中心の政権に 交代になりそう
政策に どの程度の差が出てくるのだろうか
移民政策が かなり大きな論点になっていたようだが
ウクライナ支援にも 影響がありそうだ
今日は ロシアによるウクライナ侵攻から3年にあたる
トランプ大統領の登場も合せ
ウクライナに厳しい変化が 心配される
☆☆☆
『 穏やかに一般参賀 』
天皇陛下が 六十五歳をお迎えになった
なお 大雪が続く地域もあるが
東京は 好天に恵まれていて
穏やかに 一般参賀が行われた
天皇皇后両陛下 愛子さま 秋篠宮ご夫妻 佳子さま が
宮殿のベランダに お立ちになって
お祝いに集まった人たちに 手を振って応えられていた
平和な国なればこその ありがたい風景だった
☆☆☆
『 うつせみ 』 ご案内
大手商社の常務に昇進した飯島は、大阪支社長として赴任する。
そして、かつて交際していた女性と瓜二つの若い女性と偶然出会う。
物語は、そこから始まる。
全十二回の比較的短い作品ですので、ぜひご一読くださいますよう案内申し上げます。
『 予算成立へ右往左往? 』
少数与党となり 予算成立が難航中
幅広い英知が 集められていると見るか
右往左往と見るか 微妙
全体像は あまり討議されず
おいしそうな部分の 食い散らかしのように
見えてしまうのは 私だけかな?
与党の横暴も困るが 良いとこ取りも
どうかなと 思ってしまう
☆☆☆
『 妻も子も捨てる ・ 今昔の人々 』
深草の天皇(仁明天皇)の御代、蔵人頭右近少将良峰宗貞(ヨシミネノムネサダ)という人がいた。大納言安世という人の御子である。
容姿が優れ、正直な心の持ち主であった。学識にもすぐれていたので天皇は格別に信頼し目をかけていらっしゃった。
そのため、同じように天皇の側近くに仕えている人たちから心よく思われていなかった。その時の春宮(トウグウ・東宮に同じ。道康親王で、後の文徳天皇。)は天皇の御子であられたが、宗貞を憎む人々は、事に触れて、春宮に宗貞は無礼な者だと吹き込んでいた。
天皇と春宮は親子ではあるが、春宮はしだいに宗貞を疎んじるようになっていった。
宗貞も春宮の気持ちを察してはいたが、天皇の寵愛に応えるべく、春宮とのわだかまりを気にすることなく、日夜朝暮に宮仕えを怠りなく勤めていた。
ところが、天皇は病に罹り、数か月病床にあったが、遂に崩御なさった。
宗貞は、胸の張り裂けるような思いで天皇の快気を祈っていたが、その甲斐なく失せられたので、闇に迷うような心境に陥った。そして、「この世は、幾ばくもない。いっそ法師になって、仏道を修行しよう」と思う気持ちが深まっていった。
しかし、この宗貞は、宮方の娘を妻にしていて、たいそう睦まじく通っていたが、男の子一人と女の子一人を産ませていた。「その妻には身寄りがなく、自分以外に頼りにする者がいない」ことを思えば、大変かわいそうに思い心が揺らいだが、なお出家しようとする気持ちを抑えられず、天皇の御葬送の夜の儀式が終った後、誰にも何も告げることなく行方をくらましたのである。
妻子や使用人などは泣き惑い、聞き及ぶ所の山々寺々を捜し求めたが、消息を掴むことが出来なかった。
さて、宗貞は、御葬送の明け方に、ただ一人で比叡山の横川(ヨカワ)に登り、慈覚大師が横川の北の谷にある大きな杉の木の洞に入られて、法華経を書いておいでになるところに参って、法師になられたのである。
その時、宗貞は、
『 たらちねは かかれとてしも むばたまの わが黒髪を なでずやありけむ 』
と、つぶやいたという。
その後、慈覚大師の御弟子となって仏法を学び、その後もさらに深く仏道修行を続けた。
新しい天皇が即位され、年月は流れた。
そして、ある年の十月頃、宗貞入道は笠置寺に参詣して、ただ一人拝殿の片隅に蓑を敷いて勤行をしていたが、その時、参詣にやって来た一行が見えた。
主と思われる女が一人と、女房らしい女一人、侍と思われる男一人、召使いの男女が合わせて二、三人ほどである。
宗貞入道が座っている所から二間ばかり離れて一行は座を占めた。宗貞の居る所は暗いので、そこに人がいるとも知らないで、忍び声で仏に願い事を言っているのがおおよそ聞こえてくる。
耳を澄まして聞いていると、主の女人は、「行方不明になった人の消息をお知らせ下さい」と、涙ながらに切々とお願いしている。さらに聞いていると、どうやら宗貞の妻であった人の声であることが分った。
宗貞入道は、「自分を捜し出そうと、このように祈願しているのだ」と思うと、哀れに悲しい限りである。「私はここにいる」と言ってやりたいと思ったが、「知らせて何とするのか。仏は『このような仲を断ち切れ』と返す返すお教えになっている」と思って、ひたすら堪え忍んでいるうちに、夜明け近くになった。
その詣でている一行は退出するようで、拝殿から歩き出すのを見ていると、男は、宗貞の乳母の子で武官であった者で、七、八歳ばかりの男の子を背負っている。女は四、五歳ばかりの女の子を抱いている。どちらも宗貞の子であった。
一行は、拝殿から出ると、一面にかかっている霧の中に姿を消していった。
こうして仏道修行を続けているうちに、宗貞入道の霊験は強さを増していき、病で悩んでいる人のもとに、彼の念珠や独鈷(ドクコ・金剛杵の一種)を遣わすと、病人に乗り移っていた物の怪が現れるという霊験などがあった。
そして、春宮時代に何かと軋轢のあった文徳天皇がご病気の末崩御され、その皇子が清和天皇として世を治められていたが、ご病気になられた。
多くの優れた霊験あらたかな僧たちを召して、様々な祈祷などが行われたが、何の効験も現れなかった。
その時、ある人が、「比叡山の横川に、慈覚大師の弟子である蔵人頭少将宗貞がいますが、熱心に仏道修行して、霊験あらたかでございます。その人を召して祈祷させるのが良いと存じます」と奏上した。
天皇はこれをお聞きになって、「速やかに召すべし」と度々宣旨が下されたので、御前に参って御加持を申し上げたところ、たちまちの験(シルシ)があって、御病は快癒なさった。そこで、天皇は法眼(ホウゲン・僧正、僧都、律師からなる僧綱職とは別に制定された僧の位で、僧都にあたる。)の位を与えられた。
その後も、たゆまず修行を続け、陽成天皇の御代になって、またもや著しい霊験を示したので、僧正の位になられた。
それから後は、花山という所に住んだ。名を遍照と言った。
長年その花山に住み、封戸を賜り、輦車(テグルマ・皇族や高官に宣旨によって乗車して内裏に出入りが許可された車。)の宣旨をこうむった。花山の僧正というのはこの人のことである。
そして、寛平二年( 890 )正月に波乱の生涯を終えた。享年は七十五歳であった。
僧正遍昭と言えば、私たちには、
『 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 』
という小倉百人一首でお馴染みの人物である。
桓武天皇の孫として誕生し、出家したとはいえ僧正の地位にまで上り、歌人としては六歌仙の一人として後世まで高く評価されている。
しかし、その生涯は、ほんの一端に触れるだけでも、そうそう平安なものではなかったようである。
☆ ☆ ☆
( 「今昔物語 巻第十九の第一話」を参考にしました )
『 1円玉の原価は3円? 』
1円玉の製造原価は 3円ほどかかるそうだ
それがどうした という気がする
1セント硬貨を造るのに 2セント以上掛っているとして
製造中止を命じたらしい 大統領もいるらしいが
そもそも 通貨って 安く造って高く売る物なのか
と 思ってしまう
例えば 1万円札を焼却廃棄してもらうと
日銀は相当儲かる計算になるが
まさか そんなことを狙っているのではあるまい
貨幣経済を護るためには 相応のコストは
当然必要だと思うのだが・・・
☆☆☆
『 ギクシャクが目立ちすぎる 』
トランプ大統領の 過激発言に
一喜一憂していては 身が持たないが
ゼレンスキー大統領への批判は 激しすぎる気がする
何もかも 計算ずくと 信じたいが
米露間だけが 仲良しで
米とEUやウクライナとの関係が ギクシャクしているように
見えて仕方がない
わが国も よほどしっかりとした立ち位置の必要性が
増しているように思う
☆☆☆
『 健康そのものにあこがれがあって、それが何よりも大切だという強迫観念のようなものに、取りつかれているのかもしれません。 』
それにしても、私は、なぜこれほど健康になりたいのでしょうね。
長生きしたいから? 病気になるのが怖いから? 周囲に迷惑かけたくないから? まだまだやりたいことがあるから?・・・
どれも少しは関係しているようですが、どれも十分納得できるものでもありません。もしかすると、健康そのものにあこがれがあって、それが何より大切だという強迫観念のようなものに、取りつかれているのかもしれません。
何だか、これ、不健康かと思いませんか。
( 「小さな小さな物語」第一部 NO.25 より )
( 2009.02.21 投稿分 )
『 自動車産業の大きさ 』
トランプ関税 どうやら 自動車関税が実現しそう
わが国だけが 対象から外れるというのは
期待はしたいが 難しいだろう
ただ すべての国の大半の輸入品に 関税を掛けることが
米国財政や米国民に それほどの利益をもたらすのだろうか?
関税で輸入制限を行っているわが国は 大きなことは言えないが
何とか お手柔らかにと 言いたいところだ
それにしても わが国の自動車産業の大きさに
今さらのように 驚かされた
何とかしなくては いけませんねぇ・・・
☆☆☆