雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

イギリスが手本 ・ 小さな小さな物語 ( 868 )

2016-10-12 13:10:24 | 小さな小さな物語 第十五部
イギリスの国民投票によるEU離脱の意思決定は、世界中に大きな波紋を広げています。
まず、株式市場は世界の主要な市場は敏感に反応し暴落していますし、為替相場も激しく動いています。「金」価格は最近にない上げ幅を示しているそうで、今更のように人類は「金」を越える安全な資産を見つけ出すことはできていないようです。
そういった中で、通貨で言えば、ドルに対する主要国の相場は、これは日本時間の27日夜頃のデーターですが、イギリスのポンドはじめ、ユーロもウォンも元も軒並み下げていて、唯一わが国の円だけが上昇しています。円高が企業の収益を圧迫し、アベノミクスは崩壊すると騒いでいますが、これ、円の実力が認められているってことではないのでしょうか。

将来予測で激しく変化し、想像を絶するような資金が世界中を駆け巡る相場の世界は激しく動揺していますが、イギリス並びにEU諸国、それにわが国をはじめとした世界中の国々が影響を受けるのは、まだまだこれからのことです。
通貨の変動や株式市場の動向などがニュースの中心になっているのは、瞬時に膨大な金額の損得が発生することから仕方がないとしても、本当はそれは入り口に過ぎず、やがては、国家間の力のバランスの変化という大きな問題へと連鎖していく可能性があります。世界経済の縮小という懸念は、もしそうなるとすれば、それは間違いなく、弱い地域、弱い人たちへの打撃となるはずで、それは地域の不安定化、悲劇の拡大となるはずです。当然、わが国がその連鎖の外に身を置いておくことなど出来ることではありません。

今回のイギリスの国民投票は、私たちに重要な手本を示してくれているように思われます。
確かチャーチルの言葉だったと思うのですが(間違っていたらゴメンなさい)、「民主主義という政治手法は愚劣だが、これに勝るものを見つけ出せない」といった内容のものがあったように思います。
今回のイギリスの国民投票は、まさにそのようなものであったような気がします。国家を二分するような激しい争いとなり、死者までだし、何でもリーダーの発言の中にも悪意の虚偽らしいものもあったとも伝えられています。
それでもなお、民主主義政治は多数決をもって決することを良しとしています。私たちは、これを超える意思集約の方法を見つけ出すことが出来ないのでしょうか。
民主主義政治の手本のように言われるイギリスが示してくれた今回の国民投票について、その内容をよく吟味し今後の手本とすべき点がたくさんあるように思うのです。これは決して嫌味を言っているわけではありませんので、念のため。

世界の動きも気になるところですが、わが国は目下参議院選挙の真っただ中です。
党別でいえば、何を争点にすべきかさえ格闘それぞれ違っていますし、人物となると、つい最近痛い目に遭わされた私たちとしては、人物評価に自信を失いそうです。
しかし、私たちの国は、平和に選挙ができ、相当際どい発言も許され、少々の悪事も殺されるようなことはなく、世界に一大事が発生すれば買われる強い通貨を持っています。
あと、今少し望むとすれば、品格ある政治家をあと少しだけ増やすことではないでしょうか。
参議院選挙、しっかり投票しましょう。

( 2016.06.29 )


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リーダーを選ぶ ・ 小さな小さな物語 ( 869 )

2016-10-12 13:09:07 | 小さな小さな物語 第十五部
イギリスの国民投票の結果を受けての混乱は、なお落ち着きを見せる気配がありません。むしろ、混乱はまだ始まったばかりなのかもしれないという感さえあります。
そうした中で、イギリス保守党の次期党首を選出する選挙に、離脱派の中心人物だったという人が立候補を見送ると発表したことが大きなニュースになっています。
その理由について、幾つかの報道がなされています。まず一つは、立候補をしてもとても勝てないと読んだという見方です。残留派議員が多い保守党内では、突然離脱派となったこの人物に対して、保守党内では支持が低く勝てそうもないと判断したというもので、勝てないというのはおそらく事実でしょう。 
もう一つは、もともと残留派であったこの人物は、党内の立場、あるいは国民人気を高めるために離脱派を演じただけで、まさか離脱派が勝つとは思っていなかったので、その後の国家の運営の青写真など全く持っておらず、いわんや、EUとの困難な交渉や、国内の混乱の終息に当たるなどは勘弁してほしい、というものらしいのです。こちらは辛らつに過ぎる気もしますが、当たっているような気もします。

この人物の支持者はもちろん、残留派からも、敵前逃亡だといった非難があるようです。国民投票の選挙中に彼が訴えていた内容には、相当作為的なものもあるらしく、かき混ぜるだけかき混ぜて後は良しなに、というのであれば相当ひどい話です。
前回の当コラムと重なる部分もありますが、国家の意見を二分するような案件の国民投票、そして、多数決による意見掌握の難しさ、といったものがますます感じられてなりません。
今回のイギリスの国民投票の分析を見ても、「若者たちの残留支持の比率は高いが投票率は低い。高齢者層はその反対」といった現象を、投票しない者が悪いのだと割り切ってしまっていいのかということも考えさせられます。

それにしても、リーダーを選ぶのは難しいことだと思います。イギリスのこの人物もロンドンオリンピックを成功させた立役者だということですから、その考えに乗った国民も少なくないと思うのですが、途中で放り出されたのでは情けなくなってしまうことでしょう。
他国の話もさることながら、私たちも首都とされる街で、「政治家の金銭面の問題を強く指弾し、介護行政を自分の経験も踏まえて推進する」などという口から出まかせの主張に、圧倒的な票を投じて煮え湯を飲まされたのはつい最近のことです。
国民は、あるいは住民は、その民度の水準以上のリーダーを持つことなど出来ないというのが真実だとしても、どのように見分ければいいのでしょうか。

次の都知事選挙を廻っても、「出たいという人よりも、出てほしい人」を推薦したいと、ある党の有力者らしい人が述べていました。なかなか味がある言葉ですが、果たしてそれも優れたリーダーを選ぶ絶対条件になり得るのでしょうか。
「出たい、出たい」という人にもうさんくささがありますが、それだけの覚悟を抱いているのであれば、自ら手を挙げる人を支援したい気もします。いざ選挙になれば、全員が「我こそは」と言い出すのですから。
いずれにしても、真のリーダーとは何か、本当にそんな人物が簡単に出てくるのか、考えればきりがありませんが、無い物ねだりをするわけにもいきません。
そこで、今回の参議院選挙では、じっくりと最善と思われる人物を選んで、末永くその人物の成長を見守ることに決めました。

( 2016.07.02 )
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普通程度 ・ 小さな小さな物語 ( 870 )

2016-10-12 13:07:46 | 小さな小さな物語 第十五部
先日のことになりますが、総務省が発表した2015年国勢調査の「1%抽出速報」なるものが発表されました。
各紙幾つかのデーター分析がなされていましたが、その多くは、「六十五歳以上の人口が全人口の四分の一を越えた」というものでした。正確に言えば、調査開始以来最高の26.7%になったというものです。1%の抽出によるデーターがどの程度正しいのか知らないのですが、高齢化が進んでいて、さあ大変だというわけです。

最近では、少子化という言葉もセットのようになっていて、新聞などの記事をちょっと意識して見ていますと、「少子高齢化社会」といった言葉を見つけ出すのは簡単なことです。
目下、参議院選挙の真っただ中ですが、候補者や各党の方の公約(だと思うのですが)を見てみますと、全員の分を見ていませんので断言はできないのですが、「少子化対策」「高齢化対策」といったことに触れていない候補者なり党はないのではないでしょうか。そうだとすれば、たとえ何方が当選しようと、これらの問題はそう心配することはないのでしょうね、きっと。

それに、ふと思ったのですが、「高齢化が進んだため滅びた国家」というものはあるのでしょうか。
大分前のことになりますが、わが国の人口減少に伴い消滅する市町村が多数できるようなことが公表されました。人口問題、地方自治問題などに一石を投じたようですが、あれ、大地震発生の予報とどちらが信憑性があるのでしょうか。地方の市町村を中心に、人口が激減する地域は今後も出てくるでしょうが、普通程度にしっかりした首長がおり、郷土を愛する人がそこそこいる限り、どっこい町や村は消滅したりしないはずですよ。
国家も同じことで、高齢化社会がいくら進もうと、普通程度の内閣が組成され、この国を愛する人がそこそこいる限り、それが原因で国家が滅びることなどないはずです。

それにしても、「高齢化社会」の問題が表面化してから何年経ったのでしょうか。幾つかの対策は検討され実施もされているのでしょうが、例えば、十年前に比べてこの問題が緩和されたとは思われません。ほころびそうな所を張っていくような対策では、高齢化の進展に追いつけないということなのでしょう。 
若干の資金と少し本気を出しさえすれば解決できると思われる、保育所の充実さえ遅々たるものなのですから、国家は滅亡しないとはいえ、この問題の一応の解決は、そうそう簡単ではないようです。
例えば、年金でいえば、一定の国家予算の投入は必要だとしても、自分の年金は自分で積み立てる方式に変えない限り解決しないと思うのです。子供や孫の世代が親や祖父の世代を背負うという麗しい道徳を前提とした仕組みも、少子高齢化で持続が困難になってきたなんていうのは、ネズミ講の親玉の泣きごとに似ているような気がしてしまいます。まあ、こんなことは誰でも承知していることで、それでも実現させられないのが政治の難しい所なのでしょうね。
どの公約を見ても、そのほとんどに納得してしまいます。同時に、そのほとんどに「言うのは勝手だからなあ」とも思ってしまいます。しかし、それでもなお、『普通程度の内閣が組成される』ことを祈って、一票を投じることにします。

( 2016.07.05 )
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社会的制裁 ・ 小さな小さな物語 ( 871 )

2016-10-12 11:48:51 | 小さな小さな物語 第十五部
「社会的制裁」、嫌な言葉ですが、よく耳にすることがあります。
別に、言葉の意味を調べるためにテーマにしたわけではないのですが、「制裁」という言葉には、「リンチ」といったような陰惨なイメージが浮かんできて仕方がないのです。つまり、「社会的制裁」とは、私たちが日常を過ごしているはずの社会が、「陰惨なリンチ」を執行しているということになるのです。それも頻繁に。

最近の事件でも、芸能人などの著名人が起こした事件は、法的な処罰より、いわゆる「社会的制裁」の方が遥かに重いことが珍しくありません。
それも、懲役何年というような犯罪を犯してしまった場合は仕方がないとしても、普通の人であれば、それこそ「井戸端会議のネタ」程度の出来事であっても、テレビなどで格好の芸能ネタにされてしまい、仕事の多くを失い、数億円、あるいはそれ以上の損失を被ることもあるようです。これまで社会から散々稼いでいたのだから、少しでもつまづけば全部吐き出してもらう、ということなのでしょうか。
それに、それらのゴシップ化されたものは、本人だけにとどまらず、家族や遠く離れた出身地まで出向いて被害者を掘り起こしてしまうことさえあるようです。
「社会」という奴は残酷だと思うとともに、わが国の社会は、未だに「連座制」を引きずっているのだとつくづく思うのです。

反対に、「社会的制裁」のもつ疑問点もあります。
私たちの社会は、「法的に平等な社会」とされていて、百パーセントとはいかないまでも、まずまずそのような社会だと思うのですが、「明快にそうではないですよ」と示されているような気がすることが時々あります。
つい最近判決が出された元県議の恥ずかしすぎる事件での判決文の一部ですが、『 ・・・刑事責任は重いが、一定の社会的制裁を受けている』とあり、懲役3年、執行猶予4年を言い渡したと報じられていました。
これ、少し変な気もするのです。つまり、「社会的制裁」を受けているので少し刑を軽くしましたよ、ということで、「社会的制裁」を受けないような立場の者であれば、同じ犯罪でももっと厳しくなっていた、と法の番人たる裁判官が公言しているわけですから、「法の上での平等」とはどのようなことを指すのでしょうか。

このような判決文は本件だけのことではなく、よく聞く話ですし、「社会的制裁」に限らず、「賠償の程度」でも影響があるようですし、カネの力で弁護士を集められる人は、丸裸で訴訟に臨む人より有利になるのは、これは「社会の常識」なのかもしれません。
いよいよ参議院選挙の投票日が近付きました。私たちが投じることが出来る一票は、これだけは平等だと思いますよ。一票の格差云々という意見もありますが、必ずしも人口に比例させることが正しいともいえない部分がありますから、この一票だけは、社会的地位や貧富の差に影響されないものであり、私たちの代理として国政に励んでくれる人を選出できるものと信じて投票したいと思います。
そうあってほしいと祈る思いですが・・・。

( 2016.07.08 )
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選挙結果を受けて ・ 小さな小さな物語 ( 872 )

2016-10-12 11:47:30 | 小さな小さな物語 第十五部
今、参議院選挙の最終結果を見ながら、このブログを書いています。
各党の獲得議席は、大雑把に言えば新聞など大手メディアの事前の予想と大差ない結果のように見えます。すなわち、与党側の勝利であり、改憲勢力と言う区分けをするならば、ほぼその数に達成したとされています。
同時に、個人的な意見としては、民進党は大幅に議席を減らしたと言われているようですが、獲得議席の結果は相当善戦した感じがしています。野党統一候補が成功だったか否かは意見が分かれているようですが、民進党が得をして共産党が割を食ったような気がしています。

まあ、私が選挙結果を分析してみたところで何の意味もないでしょうから、このぐらいにしておきますが、各テレビ局が工夫を凝らした選挙報道は、なかなか興味深いものでした。
担当しているアナウンサーやタレントも、各局の狙い所や、右寄り左寄りの立場も微妙に透けて見えたりして、チャンネルを移しながら楽しませていただきました。各局の担当者やスタッフのご苦労もさることながら、選挙運動中の候補者や支援者、応援の国会議員などの様子を見ていると、やはり、国会議員は凄いと思いました。その行動力、その体力、絶えることのない言葉の洪水、どれをとっても並の能力の持ち主でないものを感じさせられました。

さて、その並の人では到底及ばない能力の持ち主たちの中から勝ち抜いて国会議員となった人たちに、私たちは国政を託すことになります。
経済発展、雇用改善、憲法改定の可否、高齢者問題、保育所問題・・・、等々大きな物から小さな物まで様々な公約の達成に向けて邁進してくれることを、私たちは祈るだけになってしまいます。
議員となった人の立場になれば、それぞれ党や支援者の意向を無視することは出来ず、特に新米議員の場合は大きな期待をかけられては困ってしまう、と言いたいところでしょう。せっかく六年の任期を獲得したのですから、一、二年はじっくり勉強させてくださいよ、という人の方が多いのではないでしょうか。

「そんな呑気なことを言ってもらっては困ります、子育て支援に力を注ぐと言っていたでしょう。一、二年勉強してからなどと言っていたら、私の子供は小学校に入ってしまいますよ・・・」という人もいることでしょう。
残念ながら、私たち有権者は、選挙まではちやほやされますが、選挙が終われば、国会議員となった人の資質に任せるしか方法がないみたいです。あるとすれば、あらゆる機会をみつけて、投票した議員の(当選していたらの話ですが)今後の活躍を注意深く見守ることだと思うのです。
ただ、今見ているテレビは、参議院選挙の結果はごく簡単で、興味はすでに都知事選挙の候補者に移っています。参議院選挙は、早くも過去のものになりつつあるわけです。
マスコミも、国会議員の動静をもう少し伝える工夫はできないものでしょうか。不祥事を起こした議員を弾劾するだけではなくに、ですよ。

( 2016.07.11 )
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平均台を渡る ・ 小さな小さな物語 ( 873 )

2016-10-12 11:46:12 | 小さな小さな物語 第十五部
十八歳まで引き下げられたとか、野党共闘がどうだとか、憲法改定勢力の議席がどうだとか、与党の大勝利らしいが民進党は善戦だったらしいとか・・・。
参議院選挙の結果を受けて、様々な分析がなされているようです。しかし、どの党が勝ったので、どの人が当選したので、何かが変わるぞという声はなかなか聞こえてこないようです。

確かに、与党の勝利を受けて市場は反応しているようです。政権側からは、内閣改造や、補正予算投入の話が流されています。首相としては、消費税引き上げ見送りの是非について国民の判断は「良し」と示されたので、自信をもってアベノミクスを一層力強く推進して行こうということのようで、今のところ市場はそれを好意的に受け取っているということなのでしょうか。
イギリス発の大混乱は、まだ何かが解決されたわけではないのでしょうが、新首相も決まり、混乱の本家は終息への第一歩を踏み出したようです。
何かと騒がしい海洋をめぐる混乱のなか、仲裁裁判所がフィリピンの主張を全面的に認める判決を下し、わが国なども歓迎すべき判決といえます。

しかし、果たして、私たちの生活にどのような変化が現れるのでしょうか。
新しく参議院議員となられた方の国会デビューはまだ先のことですし、いわんや国政にそれなりの影響を与えるということになれば、相当の時間を要するのは仕方のないことだと思われます。願わくば、その期間が六年以内であってほしいものです。
政府は若干もたついているとされる経済の立て直しに強気で、十兆円を超える補正予算が組まれそうですが、景気立て直しへの起爆剤になることは期待できるとしても、国民生活にプラス効果を実感させるためには、政府だけが逆立ちしようと、十兆円や二十兆円ぐらい投入したところで大きく変化するほど我が国の経済規模は小さくないはずです。
イギリスは新政権での立て直しが始まるようですが、EUを取り巻く問題はむしろこれからが大変なような気がします。南シナ海を廻る判決も、当事者が判決を受け入れない、と言っているのですから、どうすればいいのでしょうかねぇ。

考えてみれば、私たちの生活は、平均台の上を歩いているような気がします。
サーカスの綱渡りほど危なっかしくはないと思うのですが、平均台の上を歩くのもそうそう簡単なことではありません。ちょっと風が吹くだけで身体は揺らされますし、足は震えます。私たちは、左右に開いた手で懸命にバランスをとって、何とか落下を防ごうとします。しかし、私たちが自力でバランスを保つことが出来る手段は、ごくごく限られています。風がもっと強くなり、雨まで降ってくると、平均台の上を歩き続けるのは厳しいものです。いわんや、平均台そのものを揺らす輩が出て来れば、もう、平均台にしがみつく以上のことはできません。
遠い外国で何が起ころうとも、参議院選挙の結果がどうであろうとも、都知事に誰が選ばれようが、私たちの生活にどれほどの変化が起こるのでしょうか? おそらく身体に感じない程度のことでしょう。
しかし、それらの一つ一つが積み重なっているうちに、いつの間にか平均台が嫌に細くなってしまっていたり、地上からとんでもない高さにされていたり、そんな変化が静かに進行している可能性があります。
私たちの生活は、今日一日のことで精一杯な部分がほとんどですが、少し目線を上げて、今少し広い視野を持つことも必要な気がしています。

( 2016.07.14 )
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賞味期限 ・ 小さな小さな物語 ( 874 )

2016-10-12 11:45:05 | 小さな小さな物語 第十五部
「賞味期限」とは、ご承知のように、消費期限と共に食品の有効期限を表示する言葉です。つまり、「開封せずに決められた方法で食品を保存した場合、美味しく食べることが出来ると認められる期限」のことです。スナック菓子や缶詰など品質の劣化が比較的遅い商品に使われます。
これに対して「消費期限」は、弁当などのような調理食品を中心にしたもので、劣化するまでの時間が短い商品に使われます。こちらは、消費期限を過ぎると、味が落ちるばかりでなく、腐るなどして健康に悪影響を与える可能性が出てきます。期限には注意が必要というわけです。

一方の賞味期限の方は、美味しく食べられる期限を保証しているものですから、期限を少々過ぎても健康面の不安はまず無いようです。たいていのメーカーは、若干の余裕を見て賞味期限を設定しているようですから、若干の経過などにはあまり神経質になる必要はないようです。
ところが、スーパーなどでは、例えば賞味期限にまだ一か月以上余裕がある場合でも、五日ほどの差でも新しい方から売れる傾向があるそうです。販売店では頭の痛いことですが、その販売店自体が、賞味期限に相当余裕があっても、製造日から時間が経っていると仕入れを拒絶するそうですから、こちらはメーカーいじめということになります。
食品ロス、ということが問題になることがありますが、この問題もかなりの悪影響を及ぼしているようです。

ところで、「賞味期限」という言葉は、食品の有効期限を表す為に生まれたことは確かでしょうが、それ以外のことに使われることも時々あります。
ニュースとか、ジョークとか、才能とか、人物そのものに対してさえ使われることがあるようです。多くの場合は、揶揄するような場面で使われるようで、褒め言葉で使われることは少ないようです。
例えば、それがジョークであれば、少々賞味期限を過ぎていても、「あまり美味くないなあ」と顔をしかめる程度ですみますが、それが人物、特にチームや団体のリーダーとなれば、これは相当困ったことになります。

消費期限の方は、少しくらいの経過はともかく、大幅に過ぎたものであれば、多くの人が食べる時点で異常に気付きますし、無理して食べれば相当の割合で健康被害が発生します。
しかし、賞味期限の方はそうは行きません。かなりの時間が過ぎていれば味に変化はあるでしょうが、重大な健康被害が出るのにはさらに長い時間を要するかもしれません。
人物の場合も同様です。国家や自治体、企業やさまざまな団体において、その指導者や影響力のある人物が「賞味期限」を大幅に過ぎている場合は、実に不幸な状態を食べ続けさせられていることになります。それも、重ねて不幸なことに、賞味期限は少々過ぎているくらいでは、食べさせられている者に致命的なダメージを与えることがないため、「まあ、まあ」と言いながら時を過ごしてしまうことです。さらに困ったことに、自分が賞味期限を過ぎていることを認識することは、極めて難しいようです。
しかし、気付かなうちに、私たちの生活環境は、蝕まれ続けることになるのです。
私たちは、賞味期限を過ぎた指導者をどう見分け、どう退いていただくか、知恵を磨く必要があります。
選挙は、そんな知恵を具体的に表現できる数少ないチャンスのような気がします。

( 2016.07.17 )
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こんな人に一票を ・ 小さな小さな物語 ( 875 )

2016-10-12 11:43:59 | 小さな小さな物語 第十五部
東京都の知事選挙が熱を帯びてきています。
残念ながら、と言いますか、幸いにも、と言いますか、私は東京都民ではないので、遠い都での大騒ぎとばかりにテレビを見ているのですが、これがなかなかどうして、へたなドラマを見るより面白いのです。

今回の選挙には大勢の人が立候補していますが、有力候補は三人だというのが大方の予想で、新聞やテレビなどの報道でも明らかにそのように決めつけた報道がなされています。ただ、報道倫理のようなものがあるのでしょうね、大勢の立候補者全員を、一括で紹介だけしています。
報道量が圧倒的に多い三人に対しても、それぞれ偏らないように構成することに苦心しているようですが、時々、コメンテーターなどがうっかり贔屓の人物を押すような場面が見られることがあるのも、ちょっとしたスリルが楽しめます。
それにしても、現在の選挙報道体制は、公正と言えばそうなのかもしれませんが、報道の有効性、視聴者のニーズといった観点から見れば、制限が強すぎるような気もします。
この前終わった参議院選挙のテレビ報道でも、強くそれを感じました。大勢に大きな変化を及ぼすなどとても思えない政党に対しても、党首会談だとか、選挙対策の責任者のような人を集めて行われる会談などは、テレビの放送を見ていてもイライラしてしまいます。それは、見ている者以上に、司会者や番組を担当している人などはもっと感じていることでしょう。発言の量などは、ある程度国会の勢力を加味しているようですが、現在のように多くの政党が乱立しているとなれば、本当に見たい、あるいはぜひ聞きだしたいことを報道するのは大変です。
何でも、視聴率もあまりよろしくないようで、民放の多くは、選挙中のこの種の報道は減少していると聞いています。

現在進行中の都知事選挙の場合はどうなのでしょうか。関東の放送では、どうなのでしょうか。関西の放送を見ている私には、やはり報道する側が窮屈そうなのを感じてしまいます。政党の代表者がずらりと並ぶ参議院選挙ほど退屈ではありませんが、付け足しのように三人以外の写真を報道するのは、興ざめしてしまいます。
公正、あるいは公平ということを考えれば、三人とその他の人の報道の仕方は、現在の形では全く守られていないのですから、もう一歩踏み込んで、テレビ各局がより特徴のある報道を可能とすることは無理なのでしょうか。

さて、東京都民の有権者の方々、その一票をどなたに投じますか。
申し訳ないのですが、有力とされている三人以外のことはほとんど知らないのですが、競り合っているとされる三人は、それぞれ特徴がはっきりしていて、選び甲斐があるように思われます。
手元にある本には、優れた人物とは、「品格」の高い人物を言う、とあります。この主張が正しいのかどうか理解できていないのですが、その品格とは、勇気・分別・賢明さから成り立っており、それらを心身の健康をもとに実行できる人物が品格ある政治家といえるらしいのです。
なかなか立派な意見だと思うのですが、都知事候補の有力者とされる三人を見比べた場合、勇気が一番あるのは誰なのか、分別が一番あるのは誰なのか、一番賢明なのは誰なのか、さて、それが難しいんですよ、ねぇ。

( 2016.07.20 )
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GO,GO,GO !! ・ 小さな小さな物語 ( 876 )

2016-10-12 11:42:47 | 小さな小さな物語 第十五部
「ポケモンGO」、大変なことになっているようですね。
社会現象と表現すべき大ヒットには拍手を送りたいのですが、アメリカなどでは、すでにいくつかの事故が発生しているようです。どんなレジャーにも事故は付き物だと言ってしまえばそれまでなのですが、どうも黙認できないような現象も発生しているようです。
他人の私有地に無断で侵入してしまうとか、公共用地を他の利用者に大きな影響を与えてしまうなど、これからトラブルが増えるのではないかと心配してしまいます。容認派の人に言わせれば、ドローンほどの危険はないし、かつて正月の風物詩であった凧揚げなども、他人の土地の空を勝手に使っていたのだから、難しいことは言いなさんな、とすまし顔です。
さて、大きなトラブルの元にならなければいいのですが。

ロシアのオリンピック参加問題が難しい局面を迎えています。
ドーピング問題が国家ぐるみだと認定された感があり、スポーツ仲裁裁判所もロシア・オリンピック委員会と同国の68選手による訴えを棄却する裁定を下したことにより、少なくとも陸上選手のオリンピック参加が厳しい状態となりました。
スポーツ界において、ドーピング問題は看過できない課題だそうで、このような厳しい判断もやむを得ないという意見は少なくないようです。
しかし、これによって、ロシア自体がオリンピックをボイコットしてしまうのではないかという懸念が感じられます。
違反は違反として厳しい処罰は必要なのでしょうが、おそらく、選手の多くは被害者ではないかと想像され、何とか穏便な方法を見つけ出してほしいものです。
それにしても、国際陸上競技連盟もスポーツ仲裁裁判所も、思い切って「GO」のサインを出したものです。

国内では、東京都知事選挙がますます熱を帯びています。それも、このところは、政策論議でない所で白熱化しているようです。
かの有名な某週刊誌が、候補者の一人に対して、それこそ目玉が飛び出しそうなトラブルを記事にしました。当候補者は、即座にその週刊誌の編集長を訴えたようですが、週刊誌側は自信満々のようですし、ある著名な元某市長は、「他の人のトラブル報道には説明せよと厳しく指弾しながら、自分のことになれば告訴だというのはどうか」と候補者の態度に異議を唱えています。現職時代に厳し指弾を受けたことがあるような感じですが、参戦も辞せずといった感じです。
いずれにしても、選挙期間のことで、かなり神経を使うことだと思うのですが、思い切った「GO」を発信したものと興味津々です。

何事につけ、「GO」サインを出すということは決断を必要とすることでしょう。
あるプロ野球監督経験者は、スクイズの「GO」サインを出すのには、大変な勇気を必要とすると言っていました。失敗すれば一瞬にして三塁ランナーを失ってしまうからです。一般的に、ノーアウト三塁の場面でスクイズのサインを出すことは少なく、ワンアウトになってからスクイズのサインを出すことが多いそうです。つまり、何とかスクイズではない形で得点できる方法を模索したいわけです。
上記した「GO」は、いずれもノーアウトで出すスクイズのような気がします。いずれも失敗した時の代償は大きそうですが、いくら選挙中であっても正すべきものは正さなくてはなりませんし、悪意であれば、厳しく糾弾されることになります。
相手が大国であっても、正さなくてはならないものは正さなくてはなりません。しかし、一歩間違えれば、オリンピックの危機につながるかもしれません。
「ポケモンGO」にも危険を感じます。発生する事故は大したことはないでしょうが、事故に遭う当事者個人にとっては決して小さなダメージではないはずですから、十分な注意を心がけたいものです。

( 2016.07.23 )
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経済効果 ・ 小さな小さな物語 ( 877 )

2016-10-12 11:41:25 | 小さな小さな物語 第十五部
「ポケモンGO」、やはり、かなりの騒動になっているようです。
まあ、「単なるゲームの一つじゃないか」と超然と見過ごすのも、それこそ一つの方法でしょうが、下手をすると、日常生活に少なからぬ影響が出てきそうな予感がしています。
すでに、交通事故や、衝突や転倒などの事故、あるいは一般社会人では考えられないようなマナー違反も発生しているようです。
このゲームの基本原理は今回が初めての物ではないそうで、「ポケモン」と言うアイテムを組み合わせたことや、当然多くの人を引き寄せる工夫もなされているのでしょう。「このゲームには、狩猟と採取という人間の本能を刺激する所があるのが素晴らしい」といったご高説を述べられていた方もいますが、たいていのゲームはそうなっていますよ。さらに加えるとすれば、「戦う本能と、貯め込む本能」などでしょうか。

ゲームに限りませんが、新しい制度やルールが登場すると、歓迎する声の裏には、必ずと言っていいほど反対、あるいは消極意見も顔を見せるものです。
その消極意見派になるわけではないのですが、「ポケモンGO」の問題点を一つ挙げさせてもらいますと、「ポケモンをどこに登場させてもよいのか」ということです。
すでに、一部の神社や施設などでは、登場させないように運営会社に申し出たと報道されていましたが、それに要した直接間接の費用は、誰が負担するのでしょうか。まさか、申し出た施設などが負担するというのではないでしょうね。運営側は、この点をはっきり意思表示すべきだと思います。
このま放置しておけば、この後、バッタ物のようなのが登場してくるでしょうから、中には、通常では入れないようなとんでもない場所専用の「冒険もの」が出てくる可能性があると思うのです。

わが国がどの程度なのかはまだよく分かりませんが、海外からの映像などでは、すでに大ブームと言う感があります。
そこで、やはり「経済効果」云々という話も出てきています。
株式市場では、任天堂の株価が大変上昇したとか、関連する会社の株式も値上がりしているとか、その関連する企業というのも、どんどん広がって、靴を作っているメーカーまでが値上がりしているそうです。歩き回る人が増えるので、靴の消費が増えるかもしれないというわけです。
このゲームの生産や運営に関わっている企業の場合は、収益向上が期待され「経済効果」は少なくないことでしょう。
しかし、よく話題にされる「経済効果」とは、その事柄により動く資金の規模を言うのであって、富を生むこととは違うのです。例えば、「何々チームが優勝すれば、その経済効果は百億円を超す」などと報道されることがありますが、それは、フアンが喜んで乾杯したり、特別セールの売り上げなどを加えた金額を言うのであって、新しく富を生み出すということとは全く違うのです。
「ポケモンGO」による経済効果として膨大な金額をぶちあげている人がいるようです。しかし、もしそれが本当だとすれば大変なことで、その金額だけ消費が増えるということですから、利用者は精神面では満足を得るとしても、懐はそれだけ寂しくなるわけです。別に収入が増えるわけではありませんから、蓄えを減らすか、他の消費を節約するしかありません。蓄えを減らす分には日本経済にプラスに働くでしょうが、節約する分は、他の企業の業績の足を引っ張ることになるでしょう。

何かと話題の多いオリンピック誘致もそうですが、「経済効果」という数字に浮かれることは慎む必要があります。大切なのは富の創出であって、資金だけが動き回る時には、多くの場合は、限られた人が富を享受し、多くの人が富を失うというのが現実のようです。
東京都知事選挙も終盤戦、多くの公約が飛び交っています。政府は、大型の経済対策を模索中のようです。どれもこれも、私たちの生活を豊かにしてくれそうにも見えますが、多くの場合は、恩恵は限られた人に偏りがちです。
公正・公平な為政者を選びたいものですが、「経済効果」などと言った言葉に踊らされない、どっしりとした生活態度も必要な気がします。

( 2016.07.26 )
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