雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

除夜の鐘 ・ 小さな小さな物語 ( 698 )

2015-03-16 09:41:10 | 小さな小さな物語 第十二部
今年もはや大晦日となりました。
落語などでは、大晦日の掛取りから逃れるために大わらわといった光景が描かれているものがありますが、さすがに最近ではそのような風習が残っている所は無いようですが、商店、特に市場と呼ばれる所などでは、歳末特有の活気が夜遅くまで見られるようです。
大晦日を、新年を迎える準備の総仕上げに忙しいお方もおいででしょうが、旅行中であったり、故郷の地で新年を迎えようとされているお方も少なくないことでしょう。
何ということはなくともどこか気ぜわしく、やがて除夜の鐘を聞く頃ともなれば、やはり時間の流れというものが感じられ、幾つかの出来事が心に浮かんできたりします。

百八つ鳴らされる除夜の鐘は、人々の煩悩を祓うためのものだといわれています。
なぜ百八つなのかについては諸説あるようです。
例えば、「12か月、24節気、72候、この合計が108で、一年を表している」とか、「四苦八苦を祓ってくれるもので、4×9+8×9から108という数になった」などというものがありますが、一般的には私たちが抱えている煩悩の数が108で、それらを払うために撞かれるとされています。

それでは、その百八つあるという煩悩とは何かと言いますと、これはなかなか難しそうです。
「お金が欲しい」「美味い物を食べたい」「あいつが嫌いだ」「好きなのに振り向いてくれない」等々、数え上げればいくらでも出てきそうですが、さて、百八つとなればなかなか大変です。
一説によれば、この百八つという煩悩の数は次のように算出するそうです。
「まず、六根{眼(ゲン)・耳(ニ)・鼻(ビ)・舌(ゼツ)・身(シン)・意(イ・意志)}のそれぞれに{好(コウ・好ましい)・悪(アク・悪いこと)・平(ヘイ・好悪どちらでもないこと)}の三種の区分けがあり、またそれぞれに{浄(ジョウ・清いこと)・染(セン・汚れていること)}があり、これらの三つを掛けて三十六種となります。この三十六種の煩悩が、前世・今世・来世に区分けされて合計百八つになるというのです。

もっとも、人間が抱えている煩悩の数は八万四千種だという話もありますから、百八なんてものは計算の内にも入らない程度のものなのかもしれません。さらに言えば、こんな計算をしていることこそが煩悩の発生源かもしれません。
除夜の鐘は、一般的には、百七つが旧年中(三十一日のうち)に撞かれ、最後の一つは新年に撞かれます。
抱えている煩悩の数が百八つなのか八万四千なのかは分かりませんが、今夜は、除夜の鐘など聞いて、その幾ばくかを身軽くしたいと思っています。
そして、おそらく新しい年も、祓っていただいた数だけ煩悩を重ねることになるのでしょうが、せめて、精いっぱいの日が送れるように心がけたいと思っています。
この一年、当ブログをご覧いただきありがとうございました。
皆さまに取りまして、新しい年が良いお年でありますよう祈念申し上げますとともに、御礼申し上げます。

( 2014.12.31 )
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特別な日 ・ 小さな小さな物語 ( 699 )

2015-03-16 09:40:06 | 小さな小さな物語 第十二部
今年の初日の出はテレビで拝観しました。
最近は、ほとんど毎年同じ場所で初日の出を拝むのですが、今年は、いざ出かけようと思った時には少し雨がぱらつき、それ以上に冷たい風が相当強く降参してしまいました。
結局、テレビの中継で富士山頂あたりからのものを中心に素晴らしい初日の出を堪能させていただき、その後で冷たい風の中を近くの神社に初詣しました。
その神社の参拝者はほんのちらほちら程度でしたが、やはりテレビ放送を通じてですが、除夜の鐘からカウントダウン、そして初詣とつながる頃は、著名な寺院や神社の人波は大変なものでした。初日の出の中継でも、絶好ポイントという辺りには、厳しい寒さの中で大勢の人が集まっていました。

一年三百六十五日、閏年の時でも三百六十六日ですが、どの一日でも時間の長さは同じであり、昼と夜の長さは季節により違うとしても昼夜があり、暑い寒いといっても何とか過ごすことが出来る日ばかりです。
元旦だ、大晦日だといっても、それぞれは三百六十五日の一日を占めているにすぎないわけですが、やはり多くの人々にとっては、普通の日とは少し違う特別の日のようです。

そう考えますと、私たちは、それぞれに「特別な日」というものを持っているように思われます。
元旦などは大半の日本人にとっては「特別な日」だと思いますし、まだ小さな子供がいる家庭においては、三月三日や五月五日などは「特別な日」になるのではないでしょうか。
そもそも、国民の祝日というものは、それぞれに意味があって(むりやりのものもありますが)、多くの国民にとって「特別な日」となるべき性質を持っている日だといえます。もっとも、多くの国民にとって、休日になる以外にほとんど意味を感じ取れない日もありますし、三月三日をなぜ祝日にしないのかという意見も根強いそうです。

「特別な日」というものには、元旦などのような、社会の慣行や風習に基づくようなものもありますが、それぞれの個人にとっての「特別な日」もあります。誕生日や結婚記念日などといったおめでたいものもあれば、命日などの悲しみを伴うようなものもあります。あるいは、「試験や大会の当日や発表の日」といった、その時限りの重要な「特別な日」もあれば、大切なデイトやお見合いなどの人生を左右させるような「特別な日」もあります。まあ、これらはうまくいくことが幸せかどうかは別問題ですが。
実は、今日一月三日は、私にとっては「特別な日」です。その日をどう過ごすのかと聞かれますと困るのですが、残り物のお屠蘇と箱根駅伝を楽しむ位なものですが、それでもやはり心のどこかには「特別な日」と感じている気がします。
「特別な日」であろうと、それ以外の日であろうと、それぞれの一日を気取らずゆったりと、それでいて精一杯生きたいと願っているのですが、後から振り返ってみますと、そのほとんどが川が流れているように、いつの間にか過ぎ去っているように感じます。
今年もそのような一年が始まったわけですが、「特別な日」には少しばかりアクセントを付けながら、身の丈にあった精一杯の日を過ごしたいものと考えています。

( 2015.01.03 )
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六日年越し ・ 小さな小さな物語 ( 700 )

2015-03-16 09:38:38 | 小さな小さな物語 第十二部
本日一月六日は、「六日年越し」の日だというのですが、ご存知でしたか。
私は全く知らなかったのですが、調べてみますと、ちょっとした暦には必ず記載されています。
一月七日の「七草」はよく知られていて、今でも七草粥を食べる風習は広く行われていると思うのですが、その前日が、「六日年越し」あるいは、「神年越し」「女の年越し」「馬の年越し」などと呼ばれていて、大晦日に似た行事が行われたとされるのですが、現在でも地域によっては残っている行事なのでしょうか。
大いに興味がわき、少々調べてみました。

かつて、正月の行事はほぼ一月中にわたっていて、元旦を中心とした大正月、十五日の小正月があり、その他にも、七日正月・二十日正月というものも大切にされていたようなのです。地域差はあるのでしょうが。
その関係から、その前日は大晦日に準じて年越しのような行事が行われていたようです。
また、一月七日は、五節句の最初の「人日」に当たりますが、これらの節句はとても大切な行事とされていました。「人日(ジンジツ)」というのは「人の日」という意味ですが、これは中国からきたもので、一日に鶏、二日に狗、三日に羊、四日に猪、五日に牛、六日に馬、七日に人、八日に穀、の吉凶を占ったそうで、これからきたそうです。「六日年越し」を「馬の年越し」ともいうのも、これからきているようです。

「人日」つまり「七草の節句」は、七日の朝に七種の野草(野菜)を入れた粥を食べ、邪気を祓い無病息災を願う行事ですが、その野草は六日に摘んできてその夜に下拵えをするそうで、「枕草子」などにもその様子が描かれています。
五節句というのは、「人日」の他に、三月三日の「上巳(ジョウシ)」一般的には「桃の節句」、五月五日の「端午(タンゴ)」一般的には「菖蒲の節句」、七月七日の「七夕(シチセキ)」一般的には「七夕の節句」、九月九日の「重陽(チョウヨウ)」一般的には「菊の節句」です。
いずれも、月・日に奇数が重なる日ですが、一月一日の「元旦」は特別として「一月七日」に代行させたようです。

暦などを細かく読んでいきますと、かつて、実に様々な行事が行われていたらしいことが窺えます。
農作業に関することや、中国などから伝わったものが多いようですが、それぞれにわが国の感性や風土が加味され、さらに地域による独特の文化にも磨かれて、多くの行事が生まれてきたのでしょう。
時代の流れと共に、それらの多くが姿を消し、残ったものも大きく形が変わって行ったりしていますが、同時に、「何々の日」といったものはそれを上回る勢いで加えられていっているようにも思われます。
記念日や行事に一喜一憂していては慌ただしい限りですが、奈良朝時代から逞しく生き残ってきた「七草粥」の伝統などは、真似事でも参加したいものです。そして、そのついでというわけではないのですが、今夜は「六日年越し」であることも心に留めてみたいと思っています。

( 2015.01.06 )
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小さな小さな物語  目次

2015-03-15 15:32:01 | 小さな小さな物語 第十二部
          小さな小さな物語  目次 ( No.701~720 )

     No.701  裏と表
        702  立ち止まる勇気
        703  二十年が過ぎて
        704  境界線
        705  言葉の力


        706  やりきれない思い
        707  思いを伝える
        708  貧困の緩和
        709  旧正月と立春
        710  お天道様は見ているけれど


        711  テストのない勉強
        712  138億年と1秒
        713  落し物
        714  少し違う 
        715  特別扱い 


        716  政治と金
        717  春の訪れ
        718  住処は何処?
        719  時間の尺度
        720  骨肉の争い 
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裏と表 ・ 小さな小さな物語 ( 701 )

2015-03-15 15:30:43 | 小さな小さな物語 第十二部
新年も十日余りが過ぎ、正月気分もぼつぼつ終わりにしなければと思っています。
今日は成人の日で、各地で華やかな催しが行われことでしょう。
新成人の方々が、希望に胸を膨らませてスタートする日のテーマが「裏と表」というのは、いささか気が引けるのですが、社会人になるということは、裏と表が渦巻く中に身を投じることでもありますから、あえて選ばせていただきました。

新年になって、個別の事件はともかく、社会的なというほどの問題としては、大雪による被害や交通障害が一番ではないでしょうか。つまり、まずまず落ち着いた新年をスタートしたということではないでしょうか。
しかし、世界的な規模で考えれば、フランスでは新聞社に対するテロという事件が発生してしまいました。これを単なる殺人事件と考えれば、不幸なことではありますが、ままある事件だともいえますが、今回の場合は、言論の自由、宗教、人種、不公平などの要因が色濃く浮かんでいて難しい事件といえます。
また、原油の暴落は依然止まらず、わが国などは恩恵を受けるのでしょうが、世界全体で見れば、財政的に追い込まれる国家も少なくない可能性があります。
各地の紛争や、傷病、極限状態の貧困などの問題も、ほとんど解決への道筋さえ見つけられないままに新年はスタートしたわけです。

これらの問題を考えてみるとき、その多くから「裏と表」ということが浮かび上がってきます。
「裏表(ウラオモテ・ウラウエともいう)」あるいは「表裏(ヒョウリ)」という言葉が生まれたもともとの意味は、「上下」「左右」などと同じように、物事の対象を成すものとして出来たのだと思うのですが、どうも「裏表」には人間の心情的な鬱屈のようなものが感じられてならないのです。
もちろん、「上下」や「左右」という言葉もそのように使われることがありますが、「裏表」であれ「表裏」であれ、その色合いが強いように思うのです。
原油が下がれば喜ぶ人々がおり、その裏で苦しむ人がいる。言論の自由を多くの血を流して得た人々がおり、絶対に容認できない誹謗というものを感じ取る人々がいる。豊かな生活を得ている人々の裏には、個人の努力では抜けきれないような極限状態の貧困がある。
「裏と表」があるのは物体に限ったことではなく、社会現象や人間の心情にも存在していて、それは、物体の裏表よりはるかに複雑で深刻なように思えるのです。

「裏を見せ表を見せて散るもみじ」
この句は、良寛のオリジナルではないようですが、良寛の辞世の句として紹介されることがよくあります。
良寛が辞世の句としてこの句を残したかどうかはともかく、晩年よく口すさんでいたらしいことは伝えられています。
江戸時代後期、厳しい飢饉の時代を禅僧として各地を行脚し、一家を成すほどの終業を積みながらも絶望を感じながら生きた良寛が、最後に辿り着いた心境が「裏を見せ表を見せて・・・」というものであったとすれば、「裏と表」を山ほど抱えた身としては、少なからず考えさせられています。

( 2015.01.12 )
 
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立ち止まる勇気 ・ 小さな小さな物語 ( 702 )

2015-03-15 15:29:14 | 小さな小さな物語 第十二部
少々大げさですが、考えてみれば、私たちが生きているということは常に何らかの選択のもとに時間を過ごしているということのように思うのです。
新年になって、今日でまだ十五日目に過ぎませんが、私たちがテレビなどを通じてみることが出来るニュースからだけでも、その大小はあるとしても、何ともやりきれないような事件なり悲惨な状況などが伝わってきています。
ある事件は、どうしてそうなってしまったのだろう、などと考えさせられ、どこかで行なったちょっとした判断が大きく道を変えてしまったように思われますし、海外から伝えられる難民キャンプなどの報告をみると、個人の判断など働く余地のない厳しい定めのようなものがあるような気もしてしまいます。

人が生きていく上において、考えようによっては、そのほとんどが運命というか、どうにもならない大きな枠組みのもとで生かされているように思ってしまうことがあります。
しかし、そうであっても、実際に生活していく中では、常に何らかの選択と決断に迫られていることも事実ではないでしょうか。例えば、五十歳まで生きてきた人であれば、意識的であれ、無意識のうちであれ、幾つかの、というより膨大な量の決断をしてきているはずです。
あとから考えてみても意味ないことかもしれませんが、「あの時別の選択をしていたらどうなっていただろう」と考える事の一つや二つは誰にでもあるのではないでしょうか。

「どうすることも出来なかったんだ」とか「それ以外に考えられなかった」などという言葉を聞くことがあります。
ギリギリの状態で決断を迫られ、あるいは、いつの間にか自分を追い込んでしまっていて、行くか戻るかのどちらかを選択せざる状態になることも、人生には、ままあることなのでしょう。それは、たとえ五十年生きた人であっても、まだ少年や少女と呼ばれるような年齢であっても、厳しい選択を迫られるのは全く同じではないでしょうか。
しかし、どんな厳しい選択であっても、決断を迫られているその問題には「AかB」しか選択肢はないのでしょうか。
多くの場合は、そのように思い詰めているだけではないのでしょうか。

私たちが生きていく中で迫られる選択は、答えが一つしかない設問など、ほとんどないのではないでしょうか。
「AでもなくBでもない」もっと違う方法もあるのではないでしょうか。それも、一つだけではなく、いくつかの選択肢が用意されているはずなのです。例えば、「C」や「D」の可能性を探す方法もあるでしょうし、若い人にはずるく見えるかもしれませんが、「AとBを足して2で割る」という方法がとれる場合もあります。
そして、何よりも若い人に心に留めておいてほしい選択肢は、「立ち止まってみる」ということです。
「チャンスは今しかない」「もう、どうすることも出来ない」といったことも、きっとあるのでしょうが、そのときにこそ、勇気をもって「立ち止まってみる」という選択肢があることを思いだしてほしいのです。

( 2015.01.15 )
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二十年が過ぎて ・ 小さな小さな物語 ( 703 )

2015-03-15 15:27:53 | 小さな小さな物語 第十二部
昨日、一月十七は阪神・淡路大地震から二十年目にあたる日でした。
各地で様々な追悼行事が行われ、大勢の人々が直接参加し、参加しないまでも、テレビの報道などを通じてあの日の思い出やその後の出来事などを思い起こされた人ははるかに多いことでしょう。
テレビの報道も、特に関西を中心とした放送局では相当の時間を割いて特別番組を組んでいました。

二十年前のあの時、私は被災地の真ん中にいたわけではないのですが、相当激しい揺れを感じ、住居などにも若干の被害を受けました。
勤務していた場所は神戸市にありましたが、そこも中心地から離れていたこともあり、比較的軽微な被害で済みましたが、取引先などでは壊滅状態になったところも多く有り、仕事の上では少なからぬ影響を受けました。
神戸市の中心地へは、早い段階で入りましたし、交通手段が厳しい中でも、多くの場所に出向いたことを今でも鮮明に覚えています。

今、神戸の街は、少なくとも表面的には震災の跡形を見つけ出すのが難しいほどの復興を遂げています。
街並みは復旧したばかりでなく、以前にも増した建物群が見られる地域もあります。
しかし、同時に、二十年を経たことで、様々な問題点や歪みが表面化してきている部分も報道されています。例えば、旧来の古い住宅地や商店街などが整備されて、大規模なビル群に変貌を遂げた地域では、それに見合うだけの人口の復帰や集客力が回復せず、新たな都市問題が表面化しつつあるようです。また、緊急的に実施された民間からの借り上げによる復興住宅では、契約期間の二十年という期限が到来しつつあり、その期間が明確に知らされていなかったり、住民が高齢化などで移転に負担を感じる人も多く、厳しい選択を迫られている人がいるのです。
追悼行事における挨拶などを聞いていましても、建造物の復旧に比べ、人々の心の傷の復旧は、二十年という年月はまだまだ短いように思われました。

私たちは、自分以外の出来事や変化に関しては、トータルで感じ取ることが出来ます。
例えば、神戸市の大震災からの復旧がどの程度で進んでいるかと質問されれば、神戸市民や近隣の市民の九割程度の人が復旧どころか復興していると答えるような気がします。しかし、人的な被害を受け、住む場所を失い新たな安住の地を得ていない人などにとっては、今もなお二十年前の延長線を歩いているのではないでしょうか。
人が傷つくのは、大地震だけではありません。規模の小さな災害であっても、当事者にとっての痛手は全く同じですし、むしろ、社会の共助には救われないことが多いものです。
東日本大地震からの復旧は、原発の問題もあって、その目途さえたっていない地域が多いと聞いています。その他にも、自然災害だけでみても、すでに忘れ去られようとしている地域もあります。
一月十七日という日を、一年で一度きりの日で終わらせることなく、災害や事故で生活の基盤を根こそぎ傷つけられた人に対する共助を、今少し考え直すきっかけとしたいものです。

( 2015.01.18 )
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境界線 ・ 小さな小さな物語 ( 704 )

2015-03-15 15:26:12 | 小さな小さな物語 第十二部
話題を集めていた少年の犯罪のニュースを見ていて、ふと思いました。
その人物の生い立ちや背景などは知りませんので、事件そのものや事の良し悪しを云々するのは避けたいと思います。
ただ、気になったことは、彼が生活保護を受けていて、その費用で逃亡劇を演じていたらしいことが伝えられていたことです。少年院を出た後の厳しい生活を一定期間支援するために生活保護費が提供されていたらしく、それはそれで必要な処置だったと思われます。そのどこが気になるのかといいますと、少し前に見た、高齢の一人暮らしの方を取材したテレビ番組を思い出したからです。その番組も断片的に見ただけなのですが、高齢なうえに病弱なその人は、病院に通う交通手段が無く、国民年金とほんの少しの蓄えを取り崩しながら、まことに厳しい生活を送っていることが伝えられていました。生活保護を受けるように動いてくれた人もいたようですが、今にも倒れそうでとても換金できないと思われるものでも持家があり、百万円にも満たない必死に蓄えてきた貯金があるため、生活保護を受けることはできなかったらしいのです。
その高齢の人についても、犯罪に走った少年の場合も、どちらも詳しい事実関係を知っているわけではないのですが、何処にどういった「境界線」があって、受給が決められているのかと思い、実に腹立たしい気持ちが治まらないのです。

ルールを定めるにあたっては、何事にも、線引きというものが必要になることは当然のことです。「境界線」の設定が必要だということです。
大きなことで言えば、国境がそれにあたります。
かつての国境は、自然発生的に生まれてきたものがほとんどでしょうが、時間の経過や相互の力関係により「境界線」は大きく揺れ動くものです。かといって、人工的に引かれた国境線は、例えば、中東やアフリカの一部にみられるように、地図上で一直線に線を引いたようにして生まれた国境は、風土や民族や部族の事情を無視していて、長年を経ても問題が残っています。
国境とまでいかなくとも、都市計画などで線引きされた場合は、それによる有利不利は常に発生しますし、大規模なものであれば、政治家やその道のプロたちが暗躍する場所を提供することになることは、よく知られているところです。

先に挙げた生活保護の受給条件などもそうですが、様々な制度でも「境界線」は微妙な影響を私たちに与えます。
最近の話題でいえば、税制における「配偶者控除」の問題があります。現行の配偶者控除などが主婦の勤労意欲を減殺しているとかで、改定がうわさされたりしていますが、その案とやらを見てみますと、何のことはない、増税を意図しているものとしか見えないような気がするものなのです。それはともかく、ここでも「境界線」が厳正かつ冷酷に区分けすることになるでしょう。
また、刑法において言えば、飲酒や薬物による交通事故に対する量刑の設定が話題になりました。何処でどのような「境界線」を引くかということは、法令や裁判においては特に難しい問題のようです。

「境界線」は、私たちの心の中にも数多く存在しています。
私たちは、対人関係において、一人一人と全く違う「境界線」を持っているようです。
一般敵には、配偶者や肉親との「境界線」は緩やかなものですが全く無いというのは、勘違いしているだけでしょう。
他人との間は、それよりは高く親友といえども鮮明な「境界線」を有しているものです。親しくない人や嫌な人との間の「境界線」は高く頑丈なことはもちろんですが、たとえ肉親や親友との間であっても、緩やかであった「境界線」を閉じることになると、想像を絶するほど頑強なものになるようです。しかし、「境界線」があるのを冷たいと考えるのも間違いです。どのような人間関係においても、お互いに「境界線」を持ち合っているからこそ関係を永続させることが出来るのですから。
さて、限りなくある心の「境界線」。出来る限り穏やかなものばかりにしたいものです。

( 2015.01.21 )
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言葉の力 ・ 小さな小さな物語 ( 705 )

2015-03-15 15:24:53 | 小さな小さな物語 第十二部
インターネットの時代といわれて久しいですが、パソコンや携帯電話などを中心とした技術の革新はいちじるしく、一般の私たちなどが容易に手にすることが出来る通信手段は、止まる所を知らないかのように発展を遂げています。
まあ、それが科学技術がもたらす文化の発展ということなのでしょうが、同時に、半世紀前であれば想像もつかないような事件やいたずらの手段としても使われるようになってしまいました。
国際的な不幸な出来事においても、国内のまことに馬鹿げた事件にも、素人同然の知識の持ち主であっても、全世界にアピールすることが可能な環境を手にすることになってしまっているのです。

「言霊(コトダマ)」という言葉がありますが、わが国に限ったことではないのでしょうが、かつて、言葉には特別な霊力があると考えられていたようです。
「古事記」の中にも、天つ神々一同が、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱の神に、「このただよへる国をつくろひ固め成せ」と『言依賜也』。と記されています。この「言依賜也」の読み方には諸説あるようですが、要は、「言葉で命じられた」ということだと思われます。この命令によって、わが国の誕生が始まるということが「古事記」には記されています。
この頃、天上の神々が文字を持っていたのかどうかは分かりませんが、イザナギノミコトとイザナミノミコトに命じられたのは「言葉」であり、その言葉には絶対的な力があったのでしょう。
時代が下ってからも、神仏などへの願い事や呪詛の場合も、文字にしたためることはあっても、自分や代理人(僧侶や神官など)が言葉に出して訴えることが必要であり、それには、単なる伝達ということ以上に、言葉そのものに霊力があると考えられていたのでしょう。

現代の私たちの日常においても、「言葉の力」を強く感じることは少なくありません。
あの、「たった一言」が、ある人に勇気を与え、ヒントを与え、その人の人生を大きく左右させることさえあるようです。優れた書物や指導書がその役を果たすこともあるでしょうが、インパクトの大きさは「言葉の力」が優っているように思われます。
同時に、「たった一言」が、一人の人間を絶望に追い込んでしまうことも、残念ながらあるようです。
「言葉の力」つまり「言霊」というものは、どうやら諸刃の剣のようです。

書店や図書館などには、名言や故事などに関する書物が数多くあります。
テレビやビデオや映画などを通じて、感動を受ける言葉に出合うこともあります。
確かに、優れた言葉や人に力を与えたり決断を助ける言葉もあるのでしょう。しかし、同じ言葉であっても、ある人には大きな力になっても、ある人にはさしたる影響がなく、ある人には害を与えてしまうことさえあります。
つまり、書かれていたり語られたりする言葉や文字が持っている力など大したものではなく、その言葉に、「言霊」と表現するかどうかはともかく、生命力のようなものが加えられてこそ、その言葉は輝きを見せるのではないでしょうか。
私たちは、一日にどれだけの言葉を話すのか知りませんが、「言葉は諸刃の剣」であることも心に留めておくべきのように思うのです。

( 2015.01.24 )
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やりきれない思い ・ 小さな小さな物語 ( 706 )

2015-03-15 15:23:13 | 小さな小さな物語 第十二部
この数日、何ともやりきれない日が続いています。
世界は広いけれど、あらゆる出来事が緊密に繋がりあっているのだということを、思い知らされました。それも、実に悲惨な現実を突きつけられた形で。

私たちの日常においても、様々な事件が起こり、それらの中には、一般的な常識を越えるような理不尽なものや残酷なものも、残念ながら恒常的に発生しています。
大きな事件が発生するたびに、「二度とこのような事が起こらないように、再発防止に努めます」などと、当事者や管轄部署の人などが発言していますが、努力するということは本心だとしても、そのような事件が二度と起こらないなどと本気で思っているとは考えられません。聞かされている一般国民の多くも、そのような決意や思いだけで、類似した事件が根絶されるなどとは思っていないことでしょう。
しかし、そうであっても、一部の人たちに拭いきれない傷跡を残しながらも、私たちは、おおむね平穏な日常を取り戻していきます。
今回の、わが国の国民が海外で人質に取られるという事件は、これまでにも発生していますから、繰り返される事件の一つだともいえますが、それにしても、何ともやりきれない思いが募ります。

文化の相違や、地域性、人種、宗教、生い立ち等々、私たち個々の性格や考え方は千差万別であることは当然のことです。
国家や部族や、その他のどのような集合体についても、個人個人が千差万別であるように、その性格や価値観は違ってくるのでしょう。
互いの利害の対立は紛争を呼び、相手を殲滅させようとまで考える戦いに発展することは、ほんの少し前のわが国の歩みを考えれば、人間の集団同士においては、特異な出来事ではないのかもしれません。

しかし、それらのすべてが当然のことだとしても、あらゆる人間同士が容認しあうことの出来る「最小限の何か」はないものなのでしょうか。
そのようなものがないことは、人間の歴史を少し振り返ってみれば分かることだ、と言われればそれまでなのですが、人間には、その「最小限の何か」を見つけ出す程度の知恵さえ与えられていないのでしょうか。
そして、何の知恵も術もない私などは、ただ「やりきれない思い」を噛みしめることしかないのでしょうか。

( 2015.01.27 )
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