今年もはや大晦日となりました。
落語などでは、大晦日の掛取りから逃れるために大わらわといった光景が描かれているものがありますが、さすがに最近ではそのような風習が残っている所は無いようですが、商店、特に市場と呼ばれる所などでは、歳末特有の活気が夜遅くまで見られるようです。
大晦日を、新年を迎える準備の総仕上げに忙しいお方もおいででしょうが、旅行中であったり、故郷の地で新年を迎えようとされているお方も少なくないことでしょう。
何ということはなくともどこか気ぜわしく、やがて除夜の鐘を聞く頃ともなれば、やはり時間の流れというものが感じられ、幾つかの出来事が心に浮かんできたりします。
百八つ鳴らされる除夜の鐘は、人々の煩悩を祓うためのものだといわれています。
なぜ百八つなのかについては諸説あるようです。
例えば、「12か月、24節気、72候、この合計が108で、一年を表している」とか、「四苦八苦を祓ってくれるもので、4×9+8×9から108という数になった」などというものがありますが、一般的には私たちが抱えている煩悩の数が108で、それらを払うために撞かれるとされています。
それでは、その百八つあるという煩悩とは何かと言いますと、これはなかなか難しそうです。
「お金が欲しい」「美味い物を食べたい」「あいつが嫌いだ」「好きなのに振り向いてくれない」等々、数え上げればいくらでも出てきそうですが、さて、百八つとなればなかなか大変です。
一説によれば、この百八つという煩悩の数は次のように算出するそうです。
「まず、六根{眼(ゲン)・耳(ニ)・鼻(ビ)・舌(ゼツ)・身(シン)・意(イ・意志)}のそれぞれに{好(コウ・好ましい)・悪(アク・悪いこと)・平(ヘイ・好悪どちらでもないこと)}の三種の区分けがあり、またそれぞれに{浄(ジョウ・清いこと)・染(セン・汚れていること)}があり、これらの三つを掛けて三十六種となります。この三十六種の煩悩が、前世・今世・来世に区分けされて合計百八つになるというのです。
もっとも、人間が抱えている煩悩の数は八万四千種だという話もありますから、百八なんてものは計算の内にも入らない程度のものなのかもしれません。さらに言えば、こんな計算をしていることこそが煩悩の発生源かもしれません。
除夜の鐘は、一般的には、百七つが旧年中(三十一日のうち)に撞かれ、最後の一つは新年に撞かれます。
抱えている煩悩の数が百八つなのか八万四千なのかは分かりませんが、今夜は、除夜の鐘など聞いて、その幾ばくかを身軽くしたいと思っています。
そして、おそらく新しい年も、祓っていただいた数だけ煩悩を重ねることになるのでしょうが、せめて、精いっぱいの日が送れるように心がけたいと思っています。
この一年、当ブログをご覧いただきありがとうございました。
皆さまに取りまして、新しい年が良いお年でありますよう祈念申し上げますとともに、御礼申し上げます。
( 2014.12.31 )
落語などでは、大晦日の掛取りから逃れるために大わらわといった光景が描かれているものがありますが、さすがに最近ではそのような風習が残っている所は無いようですが、商店、特に市場と呼ばれる所などでは、歳末特有の活気が夜遅くまで見られるようです。
大晦日を、新年を迎える準備の総仕上げに忙しいお方もおいででしょうが、旅行中であったり、故郷の地で新年を迎えようとされているお方も少なくないことでしょう。
何ということはなくともどこか気ぜわしく、やがて除夜の鐘を聞く頃ともなれば、やはり時間の流れというものが感じられ、幾つかの出来事が心に浮かんできたりします。
百八つ鳴らされる除夜の鐘は、人々の煩悩を祓うためのものだといわれています。
なぜ百八つなのかについては諸説あるようです。
例えば、「12か月、24節気、72候、この合計が108で、一年を表している」とか、「四苦八苦を祓ってくれるもので、4×9+8×9から108という数になった」などというものがありますが、一般的には私たちが抱えている煩悩の数が108で、それらを払うために撞かれるとされています。
それでは、その百八つあるという煩悩とは何かと言いますと、これはなかなか難しそうです。
「お金が欲しい」「美味い物を食べたい」「あいつが嫌いだ」「好きなのに振り向いてくれない」等々、数え上げればいくらでも出てきそうですが、さて、百八つとなればなかなか大変です。
一説によれば、この百八つという煩悩の数は次のように算出するそうです。
「まず、六根{眼(ゲン)・耳(ニ)・鼻(ビ)・舌(ゼツ)・身(シン)・意(イ・意志)}のそれぞれに{好(コウ・好ましい)・悪(アク・悪いこと)・平(ヘイ・好悪どちらでもないこと)}の三種の区分けがあり、またそれぞれに{浄(ジョウ・清いこと)・染(セン・汚れていること)}があり、これらの三つを掛けて三十六種となります。この三十六種の煩悩が、前世・今世・来世に区分けされて合計百八つになるというのです。
もっとも、人間が抱えている煩悩の数は八万四千種だという話もありますから、百八なんてものは計算の内にも入らない程度のものなのかもしれません。さらに言えば、こんな計算をしていることこそが煩悩の発生源かもしれません。
除夜の鐘は、一般的には、百七つが旧年中(三十一日のうち)に撞かれ、最後の一つは新年に撞かれます。
抱えている煩悩の数が百八つなのか八万四千なのかは分かりませんが、今夜は、除夜の鐘など聞いて、その幾ばくかを身軽くしたいと思っています。
そして、おそらく新しい年も、祓っていただいた数だけ煩悩を重ねることになるのでしょうが、せめて、精いっぱいの日が送れるように心がけたいと思っています。
この一年、当ブログをご覧いただきありがとうございました。
皆さまに取りまして、新しい年が良いお年でありますよう祈念申し上げますとともに、御礼申し上げます。
( 2014.12.31 )