雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ラグビーW杯 間もなくチリ戦

2023-09-10 18:40:28 | 日々これ好日

     『 ラグビーW杯 間もなくチリ戦 』

   ラグビーワールドカップ フランス大会
   日本チームの初戦 対チリ戦が間もなく始まる
   ランキングは 日本が少し上だが 参考になるまい
   1次リーグを 勝ち上がるためには
   初戦は ぜひ勝ちたいところ
   検討を期待したい!!

                ☆☆☆
   

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女院の石山詣で ・ 望月の宴 ( 89 )

2023-09-10 08:10:31 | 望月の宴 ③

      『 女院の石山詣で ・ 望月の宴 ( 89 ) 』


ところで、今年(長保三年(1001)。但し史実としては長保二年が正しい。)は、女院(一条天皇の生母詮子)の御四十の賀を、公事(オオヤケゴト)として行われる予定なので、春からその為の御調度などの用意をなさっていて、春のうちに行おうとお考えであったが、殿(道長)のご病気がただならぬ状態であったので、それが支障となって、七月にとお決めになられたが、女院ご自身もまた、法華八講をなさろうとのお考えがあり、こちらの方が大事と万事ご用意なさって、やはり七月にとお思いであったが、世間が何かと騒がしく思われて(疫病が流行っていた。)そのままになっているうちに、例年どおり九月は御石山詣でをなさるので、万事差し障りあって、何となく落ち着かず、石山詣での後にするか先にするかなかなか決められない。

若宮(定子が死に臨んで生んだ媄子(ビシ)内親王)は日増しに可愛らしくおなりで、這ったりいざったりなさって、女院の御念誦(ネンジュ・心の中で仏を思い、経文を唱えること。)の妨げになっていらっしゃるが、ほんとうに困ったことね、とおっしゃりながらお世話なさっておられる。
ほんとうに可愛らしくてたまらないとお思いで、内裏にお連れ申し上げると、帝(一条天皇)もまことに可愛らしく、また不憫にお思いになり、お抱きになってはあちらこちらとお歩きになり、それがいつものことなので、帝が他所にお渡りになられると、その姿をお慕いしてお泣きになるのも、たいそう可愛らしくお思いになっていらっしゃる。
女院が、「今になって、このような御子をわたしにお預けになって・・、この世に執着する心が残ることです」と申されると、帝は、「それも悪くはございませんでしょう。所在なくお過ごしの折に、このように御心が紛れるのですから」と申されながらも、御涙をお浮かばせになるのを、女院もしみじみと胸に迫る思いでご覧奉っている。

やがて、女院は宮中を御退出になられたが、九月は石山詣でということになり、大勢の女房たちはその準備に大忙しである。
女院におかれては、仏の御帳の帷(カタビラ)や、石山の僧にお与えになる法服や禄の品などをご用意なさるものの、どういうわけなのか、なんとも心細く思われることが多かった。
そのご様子を拝見になって、側に仕える女房たちも、ただ事とは思えずまがまがしいほどに心を痛めているようである。
京をお立ちになって、粟田口から関山の辺りにさしかかると、鹿の鳴き声が何とも心細く聞こえる。すべてがしみじみとしたお気持ちになられ、
 『 あまたたび ゆきあふ坂の 関水に 今は限りの 影ぞ悲しき 』
 ( これまで何度も 行き来して出会った 逢坂の関の清水に これが最後の姿として水に映るのが 何とも悲しいことだ )
と仰せになると、御車に同乗申し上げている宣旨の君(センジノキミ)が、
 『 年を経て ゆきあふ坂の 験(シルシ)ありて 千年(チトセ)の影を せきもとめなん 』
 ( 長い年月の間 行き来して出会った逢坂の関の せき止めるという効験があって 女院の千年を保つお姿を せき止めて欲しいものです )
と申し上げられる。

さて、石山に参着なさると、御堂にお入りになるとすぐに、何もかもしみじみと悲しくお思いになって、毎年しきたりとして参詣してきた仏の御前に、これが最後の参詣だと思わずにはいられず、たいそう悲しいお気持ちになられる。
いつものように御祈り、修法(ズホウ・息災を祈って、加持祈祷をすること。)などはなさらないで、減罪生善(ゲンザイショウゼン・現世の罪障を消滅させ、後世の善根を求めること。死後のための祈り。)の為にと、護摩の祈祷を行わせられる。
すべて哀れなる旅(死出の旅)の為ばかり御祈りをおさせになるので、御寺の僧たちも、もっての外のこととして、どのようにお考えなのかと合点がいかず、恐れながら申し上げたが、「何の、特別ことであろうか。これが最後の参詣で、命のある限りと思って心に決めていた仏へのご奉仕の、これが最後なのです」と仰せになって、綾織物の御帳の帷、銀(シロガネ)の鉢などを寄進なさり、僧たちには、別当(大寺において、寺務を統括する僧。)を始めとして大変多くの法服をお配りになった。
さらに、僧供養(僧に食事などを施すこと。)を施され、御寺の封戸などを加増なさり、御誦経などを格別に行わせになった。また、万灯会(マントウエ・一万の灯明を灯して仏を供養する法会。)などもなされ、御退出なさる時には、たいそうお泣きになった。
お供の女房たちも、まことに悲しく拝見奉っている。御寺の僧たちは、女院のご長寿をお祈り奉っていた。

     ☆   ☆   ☆


 

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