枕草子 第三十六段 節は五月にしく月はなし
節は、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。
(以下割愛)
節供といえば、五月にまさる月はありません。菖蒲や蓬などが、そろって薫りあっているのが、とても情緒があります。
内裏の御殿の屋根をはじめとして、取るに足りない庶民の住家までもが、「何としても自分の所に他よりたくさん葺きたい」と、屋根や廂一面にびっしりと葺いてあるのは、ともかく見事なものです。他の節句で、これほどのことをしたことなどありませんわ。
空の様子は、一面に曇っていますが、中宮様の御殿などには、縫殿寮から「御薬玉」といっていろいろな色の糸を組んでたらしたものが献上されていますので、御帳台が立ててある母屋の柱に、左にも右にも付けています。
前年の九月九日、重陽の節句の折の菊を粗末な生絹の絹布に包んで献上されたものが、同じ柱に結び付けてこの何か月間あったものを、薬玉に紐を解きかえて、以前の菊は捨てるようです。
またこの薬玉は、次の菊の節供までは残っているはずなのでしょうね。けれども、薬玉の方は、飾りの糸を引っ張って取って物を結ぶのに使ったりしてしまうので、しばらくの間も残っていません。
五月の節句に、少納言さまたいへんご機嫌良いようです。
もちろん、当時は男の子の節句といった位置付けではなく、宮中の節会の中でも五月を最高としていたようです。
文中に、薬玉と菊を付け替える描写がありますが、どちらも厄除けとして飾られ、それぞれの節句に付け替えられていたようですが、菊の飾りはあまり立派なものではないらしく、そのまま五月まで残っているのですが、薬玉は美しい糸で飾られているものですから、何かを結ぶ時にみんなが失敬してしまうらしく、とても九月までは完全な形では残らなかったようですね。
取り澄ましたかのような女房や女官たちの意外な一面が垣間見れて、「いとをかし」ですね。
節は、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。
(以下割愛)
節供といえば、五月にまさる月はありません。菖蒲や蓬などが、そろって薫りあっているのが、とても情緒があります。
内裏の御殿の屋根をはじめとして、取るに足りない庶民の住家までもが、「何としても自分の所に他よりたくさん葺きたい」と、屋根や廂一面にびっしりと葺いてあるのは、ともかく見事なものです。他の節句で、これほどのことをしたことなどありませんわ。
空の様子は、一面に曇っていますが、中宮様の御殿などには、縫殿寮から「御薬玉」といっていろいろな色の糸を組んでたらしたものが献上されていますので、御帳台が立ててある母屋の柱に、左にも右にも付けています。
前年の九月九日、重陽の節句の折の菊を粗末な生絹の絹布に包んで献上されたものが、同じ柱に結び付けてこの何か月間あったものを、薬玉に紐を解きかえて、以前の菊は捨てるようです。
またこの薬玉は、次の菊の節供までは残っているはずなのでしょうね。けれども、薬玉の方は、飾りの糸を引っ張って取って物を結ぶのに使ったりしてしまうので、しばらくの間も残っていません。
中宮様にお節句のお食事を差し上げて、若い女房たちは、菖蒲の腰挿しを挿し、菖蒲の物忌の鬘をつけなどして、さまざまな唐衣や汗杉に、季節の美しい花の折り枝などを、菖蒲の長い根にむら染の組み紐で結びつけてあるのなどは、毎年のことで珍しいことではないのでしょうが、やはり、たいへん良いものです。
だってそうでしょう、毎年春になれば同じように咲くからといって、桜をたいしたことがないと思う人はいませんでしょう。
戸外を歩きまわる童女たちなどが、その身分相応に、「すごくおめかしをした」と思って、絶え間なく袂に気をつけたり、他の人のと見比べたりして、「とてもすばらしいわ」などと思っている菖蒲の飾りを、ふざけた小舎人童などに引っ張られて泣いているのもおもしろい。
紫の紙に、おうちの紫の花を結びつけて、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて結び、また白い紙に菖蒲の根を入れてしっかりと結んであるのも、とても結構なものです。
とても長い菖蒲の根を、手紙の中に入れなどしてあるのを見ますと、見ている者までうっとりとします。
「その返事を書きましょう」と相談し親しく話しこんでいる仲良し同士は、もらった手紙をお互いに見せ合ったりなどしているのも、とてもおもしろい。
良家の令嬢や高貴な姫さま方に、お手紙などを差し上げなさる方も、今日は、格別に気を使って情緒たっぷりなものになるのでしょうね。
夕暮の頃に、ほととぎすが自分の存在を示すかのように、声高く鳴いて飛んでいくなど、この日は全てが最高です。
五月の節句に、少納言さまたいへんご機嫌良いようです。
もちろん、当時は男の子の節句といった位置付けではなく、宮中の節会の中でも五月を最高としていたようです。
文中に、薬玉と菊を付け替える描写がありますが、どちらも厄除けとして飾られ、それぞれの節句に付け替えられていたようですが、菊の飾りはあまり立派なものではないらしく、そのまま五月まで残っているのですが、薬玉は美しい糸で飾られているものですから、何かを結ぶ時にみんなが失敬してしまうらしく、とても九月までは完全な形では残らなかったようですね。
取り澄ましたかのような女房や女官たちの意外な一面が垣間見れて、「いとをかし」ですね。
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