『 道隆の姫たち ・ 望月の宴 ( 43 ) 』
関白殿(道隆)の三の御方(三女)は、ご姉妹の中で、ご器量もご気性もまことに見劣りするとのお噂でございますが、そうとは申しましても、いつまでも放っておかれるわけには参りませんので、帥宮(ソチノミヤ・冷泉天皇の第四皇子、敦道親王)さまのもとに嫁がせました。
ただ、師宮さまの三の御方に対する情愛は、どうやら冷ややかなものらしいとのことでございますが、世間のとかくの噂をお気にされていることゆえとしても、三の御方が哀れでなりません。
婚姻を実現なさった関白殿さえが、無理ならぬ事だと思っていらっしゃるとか、何ともやりきれないことでございます。関白殿には、このご婚姻に後ろめたさがあったのでしょうか、師宮さまを格別大事にお世話されているとのことでございます。
とは申しましても、三の御方を冷泉院の南院にお迎え申し上げられましたので、申し分のないご配慮ということなのでございましょう。
関白殿には、ご正妻の貴子さまとの間だけでも、三男四女の御子さま方を儲けられております。そのうち男子は、伊周殿・隆家殿・隆円殿のお三方ですが、いずれも時の流れに翻弄されることになるとは申しましても、それぞれにご活躍でございますが、ここでは述べることは控えさせていただきます。
一方で、姫様方についてでございますが、一の御方は一条天皇の中宮定子さま、二の御方は三条天皇の女御原子さま、四の御方は御匣殿別当としてお仕えの後、一条天皇の寵をお受けでございます。
ただ、如何なる事でございましょうか、定子さまは二十四歳、原子さまは二十三歳、御匣殿は十八歳でお亡くなりになっているのでございます。
さらに、この三の御方に至りましては、お生まれの時が明らかでなく、お名前の頼子さまと申されるのも、今一つはっきりしないのでございます。師宮さまに嫁がれたのは十二歳前後かと思われますが、ほどなく離縁となり、その後の消息は漏れ伝わってこないのでございます。まことに、はかなく哀しげな姫さまでございます。
この三の御方と同腹の弟の君(隆家)は、三位中将にお就きになった。六条の右大臣(ミギノオトド・源重信。宇多天皇の孫にあたる。)殿が大切に養育なさっていた姫君に、この中将を婿としてお迎えになった。
大臣は、御年など召しておられるが、この三位中将の御事をたいへん立派な婿と思われて、夜はいくら夜遅くに訪れた場合でも、ご自身はお寝にもならずあれこれとお世話なさるのも、実に細やかな真心であるのに、この中将の君は、全く気にとめることもなく、景斉(カゲマサ)の大進の娘に夢中になっていて、この姫君に対してはまことに粗略でいらっしゃるので、関白殿ははらはらしたり、六条の右大臣殿に申し訳ないことだと申されているが、男の心というものは、どうにもならぬもののようである。
かくて、一条の太政大臣(為光)の邸を女院(詮子・円融天皇女御。一条天皇の生母。道長らと同母のきょうだい。)が伝領なさり、帝の後院(天皇退位後の御在所)にとお考えなのであろう。
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