『 観音の加護を受けた女 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 7 ) 』
今は昔、
越前国の敦賀という所に住んでいる人がいた。財産というほどの物を蓄えてはいなかったが、何とかやりくりして暮らしていた。
子供は娘一人だけで、他にいなかった。そこで、その娘を格別に大切に可愛がっていて、「将来に不安がないように」と思って結婚させたが、その夫は娘のもとを去り帰ってこなかった。
このようなことを何度も繰り返し、遂に寡婦(ヤモメ)暮らしになるのを父母は嘆いて、その後は夫を持たせるのを諦めた。
そして、住んでいる家の後ろにお堂を建て、この娘をお助けいただくために、観音を安置し奉った。供養し終ってから、いくらも経たないうちに父が死んでしまった。娘はたいそう悲しんだが、ほどなくして、今度は母も死んでしまった。
娘は、いよいよ嘆き悲しんだが、どうすることも出来ない。所有している土地が少しもない状態で生活してきていたので、寡婦である娘一人が残されては、どうして良いことなどあるはずがなかった。親の蓄えがほんの少しある間は、使用人も何人かいたが、その蓄えを使い果たした後は、使用人は一人もいなくなった。
そうしたわけで、衣食にもたいそう不自由するようになり、たまたま手に入った時には自ら調理して食べ、手に入らない時は空腹のままでいたが、常に観音に向かい奉って、「わが親がわたしに良い夫を持たせようと願っておりましたが、どうぞその甲斐がありますように、わたしをお助け下さい」と申し上げていたが、ある夜の夢に、観音の後ろの方から老僧が現れて、「大変気の毒なので、夫となる男を会わせようと思って呼びにやっているので、明日にはここに来るだろう。されば、そのやって来た人の言うことに従いなさい」と言うのを聞いたところで夢から覚めた。
「観音様が、わたしをお助け下さるのだ」と思って、すぐさま沐浴して、観音の御前に詣でて、礼拝した。その後は、この夢を頼みとして、翌日になると、家を掃除して、お告げのことを待った。
家はもともと広く造られているので、両親が亡くなってからは、娘は家全体を使うことなく、がらがらの家の片隅で生活していた。
やがて、その日の夕方になると、多くの馬の足音が聞こえ人がやって来る。覗いてみると、宿を借りようとして、この家に来た人たちであった。
すぐに宿を貸すことを承知する旨を言うと、全員が家に入ってきた。「良い所に宿ることが出来た。これだけ広いのが何よりよい」などと言い合っている。
娘が覗いてみると、主人は三十ばかりの男で、なかなかの好男子である。従者、郎等、下男など全部で七、八十人ほどいる。それらが皆座っていた。畳はないので敷いていない。主人は皮行李(カワコウリ・周囲に皮を張った行李。衣服などを入れる。)を包んだ筵(ムシロ)を敷皮に重ねて敷いて座っている。周りには、幕を引き廻らしている。
日が暮れると、旅籠(ハタゴ・旅行用の携帯籠。)の中の食物を調え、持ってきて食べた。
その後、夜になると、この宿を借りた人が娘のいる所に忍んできて、「そこにおいでのお方に、お話し申したい」と言って近寄ってきた。これといった隔てている物もないので、入ってくると娘の手を取った。
「何をなさいます」とは言ったが、夢のお告げを頼みにして、言うことに従ってしまった。
この男は、美濃国の権勢も財力もある豪族の一人っ子であったが、その親が死んで多くの財産を相続し、親にも劣らぬほどの者であった。
ところが、深く愛していた妻が死んでしまった後、独り身であったので、多くの人から、「婿になってほしい」「妻になりたい」と言ってきていたが、「亡き妻に似た人でなければ」と言って独身を通していた。
そうした時、若狭国に所用があって行くことになった。そして、たまたま昼間に宿を借りた時、「どうした人が住んでいるのだろう」と思って覗いたところ、家主の女は死んだ妻にまるで生き写しであった。「まさに、亡き妻にそっくりだ」と思うと、目もくらみ胸が騒いで、「早く日が暮れるといいのに、そばに寄って近くから顔を見たい」と思って、宿を借りたのである。
すると、その女は、物を言う様子をはじめ、すべてが亡き妻と露ほども違う所がなかった。そこで、嬉しく思いながら深い契りを結んだのである。
「若狭国へ行かなければ、この人を見つけることはなかったのだ」と、繰り返し喜び、やがて夜も明けたので、若狭に向かうことになった。
女に着物がないのを見て、いろいろの着物を着せてから、国境を越えていった。その家には、郎等や四、五人の従者に加えて、二十人ほどを残していった。
女は、その者たちに食べさせる手立てがなく、馬たちに飼い葉を与えることも出来ないので、思案にくれていると、以前親が使っていた女の娘で、どこかにいるとは聞いていたが訪ねてくることなどなかったのが、思いがけずその朝早くにやって来た。
「誰が来たのだろう」と思って尋ねると、訪ねてきた女は、「私は、親御様に使われていた女の娘でございます。長い間お訪ねもしないことを気にはしておりましたが、毎日の生活に追われて失礼いたしました。今日は、何もかも捨て置いて参りました。このようにご不自由にお過ごしなら、むさ苦しい所ではありますが、わたしが住んでいる所に通っておいで下さいませ。お世話させていただくつもりではございますが、離れて暮らしていて朝夕お伺いするのでは、行き届かないことも多くなります」などと、細々と話してから、「それにしても、ここにおいでの人々は、どなたですか」と訊ねると、「ここに宿られた人たちで、今朝若狭に向かわれましたが、明日ここに返ってきますので、一部の人が残っているのです。その人たちにも食べていただく物がなく、日が高くなってきましたのに、どうしようもないままにいるのです」と答えた。
すると、訪ねてきた女は、「おもてなしせねばならないお方のお供の人々なのですか」と訊ねた。家主の女は、「そうまですることはないと思うのですが、ここに宿られた人に、食事をしていただけないのも情けないのです。それに、構わないで放っておける人でもないのです」と答えた。
訪ねてきた女は、「何ともあいにくなことでございましたね。でも、都合よくお訪ねしたものです。それでは、家に帰りまして、その段取りをつけてきましょう」と言って出て行った。
「きっと、これも観音様がお助け下さったのだ」と思って、手をすり合せていっそう祈念申し上げていると、すぐさま先ほどの女が、食物などを人に持たせてやって来た。見てみると、食物など様々にたくさんある。馬の飼い葉もある。
「何ともありがたいことだ」と思って、思い通りにこの人たちをもてなした。
( 以下( 2 )に続く )
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