『 母の飢えを救う ・ 今昔物語 ( 17 - 9 ) 』
今は昔、
比叡の山の横川(ヨカワ・東塔、西塔と共に比叡山三塔の一つ。)に一人の僧がいた。名を浄源(ジョウゲン・伝不詳)という。俗姓は紀氏である。
慶祐阿闍梨(キョウユウ アジャリ・946 年生れ。1007 年に生存の記録ある。)という人の入室写瓶(ニュウシツシャビョウ・師僧の伝授する教法をあますところなく習得すること。)の弟子である。長年、比叡山に住んで、顕教・密教の法文を学んだ。また、道心堅固にして、熱心に仏法を修行した。
ある時、世の中に飢饉が起り、餓死する者が多く出て、死人が路頭にあふれていた。
ところで、この浄源聖人には、老いた母と妹一人が、京の家で貧しく暮らしていた。食べる物もまったくなく、まさに餓死しそうになっていた。
その時に、浄源は地蔵の衆生済度の誓願に深く頼って、密かにその法を行い、「老母を助け給え」と祈念すると、その行法一七日(イチシチニチ・七日間)の満願の夜、京に住んでいる老母の夢に、容姿端正な一人の小僧が現れて、手に美しい絹三疋(ヒキ・一疋はニ反)を捧げ持ってやって来て、老母に「この絹は上等の中でも最高の品です。横川の供奉(グブ・供奉十禅師のことで、諸国から選抜されて宮中の内道場に奉仕する十人の僧。)の御房がお遣わしになった物です。速やかにこれを米と交換して、ご用に当てなさい」と言って絹を渡した、と見たところで夢から覚めた。
そこで、すぐに側に寝ている人にこの夢のことを話した。
やがて、夜が明けた。
見ると、夢の中で与えられた絹が、実際に側にあった。美しい絹三疋である。
これを見た側の人は、驚きのあまり手を打ち空を仰いで、「何と不思議な事だ」と感激するばかりであった。
老母は、「もしかすると、現実に誰かが持ってきてくれたものを、私が寝ぼけて夢だと思ったのか」と思って尋ねたが、やって来た人は全くいない。恐ろしい気もしたが、使っている女にこの絹を売りに行かせたところ、ある豊かな家がこの女を呼び入れて、この絹を見て感嘆して喜び、米三十石の値段で買い取った。
そこで、その米を家に運んで使ったが、一家は豊かになり食べ物に困ることがなくなった。
その後、やはりこの事が不審に思われて、横川に人を登らせて、この由を伝えさせたところ、浄源はそれを聞いて、涙を流して地蔵の悲願が虚しくないことを貴び感激して、老母のもとに、「私は、母上の飢えをお助けするために、地蔵尊の誓願におすがりして、その御祈祷を行いました。実は、母上が夢で絹を受け取られた夜は、この行法の一七日の満願の日に当たっていたのです。これはひとえに、地蔵菩薩のご利益でしょう」と返事を伝えた。
老母はこれを聞いて、地蔵菩薩のご利益を貴び、また、浄源の孝養心の深いことを喜ぶのであった。
これを聞く人は、皆涙を流して、地蔵菩薩にお仕えした、
となむ語り伝へたるとや。
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