雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

きみは虹を見たか   第三回

2010-11-02 10:41:13 | きみは虹を見たか
          ( 2 )

次の日の朝、正雄くんは、お父さんが会社に出かけるのを待って起きだしました。
いつもは、お父さんが会社に出かけるのと正雄くんが起きるのは、だいたい同じ時間なのです。ですから、朝お父さんと顔を合わさないこともよくあるのですが、この日は目を覚ましていたのですが、お父さんと顔を合わせるのがいやなので、ベッドの中でお父さんが出かけるのを待っていたのです。

部屋を出てお母さんに挨拶すると、お母さんは、少し寂しそうな笑顔で正雄くんに応えました。でも、図書カードのことは何も言わないで、「少し遅いわよ」と、いつものように、急ぐように言いました。
お姉ちゃんはすでに食卓に座っていましたが、正雄くんに、「おはよう」と、いつものように挨拶するだけで、昨日のことはもう怒っていないみたいでした。

     **

その日のお昼休み時間のことです。
担任の山村先生が、校庭で遊んでいた正雄くんを呼びに来ました。お姉ちゃんと、お姉ちゃんの担任の先生も一緒でした。

「お父さんが病気なので、すぐ帰る準備をしなさい」
山村先生が、いつもと違う、少し震えているような声で言いました。
正雄くんは、「はい」と返事をしましたが、よく意味が分かりませんでした。お父さんは、昨日元気だったし、今朝も顔は合わせていませんが元気そうな声が聞こえていましたし、いつものように会社へ行ったはずです。
急に病気だなんて言われても、何のことだか分かりません。

二人は、山村先生に連れられて家に帰りました。
家には良子おばさんが来ていました。お母さんのお姉さんにあたる人です。
良子おばさんは山村先生と少し話していましたが、そのあと二人に、「すぐ病院に行くのよ」と言いました。いつもと違って、少し恐い顔で、命令するような言い方です。

病院は、電車を乗り継いで一時間近くかかる所です。お母さんは先に行っているとのことですが、お父さんの様子は良子おばさんにはよく分からないようでした。
良子おばさんがお母さんから電話で聞いた話では、お父さんは会議中に倒れて、救急車で病院に運ばれたようなのです。

その病院はとても大きな病院で、一階の受付のあたりには大勢の人がいました。
良子おばさんは、二度も三度も尋ねながら病室を探しました。ようやく分かったお父さんが治療を受けている大きな病室の近くの待合室に、お母さんがいました。会社の人らしい男の人も一緒でした。

お母さんは三人を見ると、「早かったわね」と微笑みかけましたが、その顔色は悪く、お母さんの方が病人みたいでした。
お母さんは会社の人に良子おばさんを紹介し、そのあと三人でしばらく話をしていましたが、やがて会社の人は帰って行きました。
お母さんは何度もお礼を言いながら会社の人を見送った後、三人をお父さんが入っている病室に連れて行きました。病室はガラスに覆われた大きな部屋で、いくつものベッドがあり、その中の一つにお父さんが寝ているようでした。お母さんがその場所を教えてくれましたが、正雄くんには本当にお父さんなのかどうかはよく分かりませんでした。

お母さんの話によれば、お父さんは普通に出勤した後、朝の十時過ぎから始まった会議の途中で気分が悪くなり、やがて意識を失い、救急車で病院に運ばれたそうです。
会社から自宅に連絡があり、お母さんはお隣と良子おばさんに連絡を取ったあと病院に駆けつけました。その時はまだ手術中で、手術が終わったあと病室に運ばれる時にお父さんと短い時間会ったそうですが、話をすることはできませんでした。
今は、お医者さんたちが付きっきりで懸命の治療をしてくれている最中なので、今日は面会が出来ないようです。

夕方になって、山下のおじさんと、田舎のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが来てくれました。山下のおじさんというのは良子おばさんの旦那さんで、田舎からきてくれたのはお父さんの両親です。
その日は、お母さんと良子おばさんが病院に残ることになりましたが、病院に泊まることはできませんので、近くのホテルに泊まることになりました。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと正雄くんとお姉ちゃんは、山下のおじさんの車で家に帰りました。
その夜は、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが泊まってくれて、正雄くんもお姉ちゃんもお祖父ちゃんたちと同じ部屋で寝ました。

翌日も、みんなで病院へ行きました。正雄くんもお姉ちゃんも学校を休むことにしたのです。お隣のおばさんも来てくれて、学校への連絡などをしてくれました。
病院に着くと、お母さんが受付の所で待っていました。京都のお祖父ちゃんお祖母ちゃんも来ていました。お母さんの両親です。

お父さんは、小さな病室に移っていました。一人用の部屋なので、みんなで部屋に入ることが出来ました。
お父さんは、管のついたマスクのようなものをしていました。他にも何本も管がつけられていて、ベッドの横の大きな機械につながれていました。
しかし、マスクの間から見えるお父さんの表情は、いつもとあまり変わらないように、正雄くんには見えました。苦しそうでもなく、むしろ、優しい時のお父さんの表情です。

「おとうさあーん」
お姉ちゃんが、大きな声で呼びかけました。
でも、お父さんの表情は変わりません。お母さんが、お姉ちゃんの肩を抱きしめ、正雄くんも一緒に抱きしめられました。
正雄くんは、お姉ちゃんと体がぴったりとひっついたので、お姉ちゃんが泣きじゃくっているのを初めて知りました。そして、お母さんも泣いていました。

その日の夜遅く、お父さんは息を引き取りました。

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