雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

きみは虹を見たか   第七回

2010-11-02 10:38:16 | きみは虹を見たか
          ( 4 - 2 )

このことをお母さんに話した方がいいのかどうか、道子さんは一人悩んでいました。
間もなく、お母さんが働きに行くことを道子さんは知っていました。そのことは正雄くんも知っていることですが、お父さんが亡くなったためにお母さんが働かなくてはならないことを、道子さんは深刻に考えていました。

山下のおじさんなどは、もう少し落ち着いてからでいいのではないかと言ってくれましたが、お母さんの希望で勤めに行くことが決まったのです。山下のおじさんの知り合いの会社なので、普通の人より少し短い時間働くことで了解が得られたからです。
お母さんはお父さんの代わりに働きに行くのですから、自分は少しでもお母さんの代わりをしなければいけないと、道子さんは考えていました。ですから、正雄くんのことは、お母さんに心配をかけないようにして、自分が相談にのってやろうと決心したのですが、やはり少しつらい気もするのです。

お母さんが働き始めてからは、道子さんは出来るだけ早く家に帰るようにしました。
学校は正雄くんが早く終わることの方が多いのですが、正雄くんが校庭で遊んでいて、帰る時間を遅らせていることを知ったからです。友達と遊んでいることもありますが、一人で遊んでいることの方が多いのです。きっと、誰もいない家に最初に入るのがいやなのです。

道子さんは、勉強塾とピアノ教室に通っていましたが、勉強塾をやめることにしました。
お母さんは反対しましたが、正雄くんが一人になる時間が長くなるのが心配だったので、勉強塾は中学校になってから行くということにしました。本当はピアノ教室もやめるつもりでしたが、練習に行くのが土曜日の夕方なのと、お母さんが涙を流して反対するので続けることにしたのです。
そして道子さんは、おやつを準備するのを自分の仕事にしました。正雄くんと自分の分だけではなく、お母さんの分も準備するようにしました。土曜日か日曜日のどちらかにお母さんは必ず買い物に行くのですが、道子さんも一緒に行くことにして、おやつを買うことにしたのです。足らない分は、間の日にお母さんが帰ってきたあと、正雄くんと一緒に近くのスーパーへ行くこともありました。

しかし、道子さんが心配したり、優しくしたりしているつもりなのに、正雄くんは元気を取り戻すことが出来ません。
お母さんがいる時などはあまり変わらないのですが、道子さんと二人の時は前とは違うのです。テレビゲームをあまりしないし、テレビを見る時も、道子さんとチャンネルの取り合いをしなくなったのです。
お母さんも正雄くんの変化に気づいているのか、強く叱るようなことが少なくなりました。それに、正雄くんは、叱られるようなこともあまりしなくなっているのです。
道子さんは、お母さんと正雄くんのことについて相談しました。いろいろ話し合った後、お母さんは言いました。

「まだまだ、時間が足らないのよ。お父さんが亡くなったことや、亡くなったお父さんがわたしたちと一緒にいるということが分かるようになるのには、もっともっと時間が必要なのよ、きっと・・・」

それは、正雄くんのことだけでなく、自分に対しても言っているのだと道子さんは感じました。そして、もっともっと時間が必要なのは、きっとお母さんなのだと思うと道子さんはとても悲しくなりました。
道子さんは、正雄くんのことをお母さんと長い時間話し合いましたが、絵のことについては、どうしても話すことが出来ませんでした。絵のことを話すのが、正雄くんをひどく傷つけることのように思われたからです。

しかし、正雄くんの絵の変化に気づいている人が、もう一人いました。正雄くんの担任の山村先生です。
三学期が終わる前の保護者会の時、山村先生がお母さんに正雄くんの絵の変化について話してくれたのです。
正雄くんが学校で描いた何枚かの絵は、どれも弱々しいものでした。一つ一つの描写は丁寧なのですが、全体に小さく、特に色づかいが以前の正雄くんのものとは全然違うものでした。暗い青や緑が多く、赤や黄色がほとんど使われていません。それに、使われている色の数が極端に少ないのです。

山村先生とお母さんは、正雄くんのことについて相談し合いましたが、しばらくはそっと見守っていこうということになりました。正雄くんは四月から四年生になりますが、クラス替えはなく、山村先生が担任のままなのです。
お母さんは、女性で年齢も近い山村先生を大変信頼していましたので、クラス替えがないことはうれしいことでした。

道子さんは、この話をお母さんから聞きました。
「道子も悲しいでしょうが、正雄のこと頼むね。あの子は男の子だから、きっと、わたしたちとは違う悲しさを感じているのよ・・・」
と、二階の自分の部屋にいる正雄くんに聞こえないように、お母さんは道子さんの肩を抱くようにして小さな声で言いました。

そして、お父さんの仏壇の前で、二人は泣いてしまいました。
お母さんが言うように、お葬式の時あまり泣かなかった正雄くんが、お父さんと別れるのを一番悲しんでいたのだ、と道子さんは思いました。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« きみは虹を見たか   第八回 | トップ | きみは虹を見たか   第六回 »

コメントを投稿

きみは虹を見たか」カテゴリの最新記事