雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

承香殿女御の悲劇 ・ 望月の宴 ( 73 )

2024-03-13 20:10:58 | 望月の宴 ②

      『 承香殿女御の悲劇 ・ 望月の宴 ( 73 ) 』


二位(高階成忠。中宮定子の母方の祖父。)も、近頃赤瘡(はしか)に罹って意識も失せて、重態に陥っているという噂なので、中宮もご心配なさっている。
今は、帥殿(ソチドノ・伊周)にお会いしたうえで死にたいと願っておいでだということだが、とても難しいと思われた。

こうしている間にも、果てしなく病が蔓延して騒ぎが大きくなっているが、あの承香殿女御(元子)は、御産み月をお過ぎになられたが、大変不思議な事に何の兆候もないので、あらゆる手を尽くされたが、思案に余り、六月の頃に太秦(ウズマサ・この地にある広隆寺。)に参り御修法(ミズホウ)を行わせ、薬師経の不断経などを読誦させなさった。
あれこれと全ての手段を尽くされて、七日の期限も過ぎたので、さらに日延べして、あれこれとご祈祷なさったためであろうか、産気づかれてお苦しみになられるので、父殿(元子の父顕光)は平静でいられなくなって大騒ぎされて、まずは帝(一条天皇)にお伝えすべく、右近内侍(帝付の上臈女房)のもとにお手紙を差し上げなどしたので、それを奏上なさったので、帝からは「いかに、いかに」などと御使者があり、女院(詮子。一条天皇生母。)からも「どのような様子なのかと気がかりで」などと申し上げられたところ、「この御寺の内では、御産をなさるのはまことに不都合なことでしょう。とは申しても、里邸にお帰りになるのもたいそう心配なことです」と、この寺の別当(寺務を統括する僧官。)なども申したり、思ったりしているうちに、とても猶予のないご様子なので、今となっては、寺域を汚す罪は後で償い申すことにしようと思われて、ここで御産をなさることになった。

ところが、女御のお体からは、どう処置すればよいのか分からない水がさっと流れ出たので、実にいぶかしく異常なことと人々はお見受けしたり思ったりしたが、いくら何でもこのまま終るわけではなく、このあと御産が始まるのだろうと騒がしくしていると、さらに水ばかりが流れ出て、御腹は縮んでいき、ふつうの人よりもへこんでおしまいになった。
この数か月の滞っていた血が流れ出る気配もなく、ただ水だけが出て御腹が低くなってしまったので、寺の僧たちも驚くばかりだと言ったり思ったりしている。
父大臣(顕光)は、「七日病む(諺らしい。大変驚いたといった意味か?)」といった有様で、あまりにも嘆かわしく恥ずかしいので、膝を抱えて落胆した様子で空を仰ぎ、夢から覚めたといった心地で座っていらっしゃる。

何よりも女御のお気持ちは、あまりにも嘆かわしくて恥ずかしく、あの弘徽殿の細殿での事(女童が弘徽殿女御が妊娠していないことを嘲った。)などが思い出されて、今となっては、参内するということなどお考えになることも出来ない。
帝からは、御使者がしきりに参るが、奏上のしようもない。生れた児がお亡くなりになることはよくあることだが、この度のことは全く異様な事で表現のしようもない。
御寺の僧たちも、「このようなことは、面目ないことでした。されど、仏の御加護により、ご無事でいらっしゃるのでしょう」と、慰めようもなくそう申し上げるのであった。

帝もこれをお聞きになり、「とにもかくにも、何も言わずにおこう。右近内侍が何かと騒ぎ立てるので、嬉しさの余り軽率に使者を遣わしてしまった。始めから何もなかった方がどれほどかましであった」と、辛いお気持ちでいらっしゃった。
女院におかせられても、まことに聞き苦しいことと思われていらっしゃる。
世間では、歌にまでして噂している。あの「簾の身」と嘲った童女は、それを恥じて、そのまま出仕を止めてしまった。
他のどこよりも、弘徽殿の女房方こそ、承香殿女御(元子)をひどくみっともないことだと噂した。
あの、宮中を退出なさった夜の御有様は、あれほど名誉なことが他にあるだろうか。やはり、世の中というものは無情なものであったのだと、何事につけその定めないことが思い知らされる。

     ☆   ☆   ☆

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊周の帰京 ・ 望月の宴 ( ... | トップ | 中納言隆家の帰京 ・ 望月... »

コメントを投稿

望月の宴 ②」カテゴリの最新記事