雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ラスト・テンイヤーズ   第六回

2010-01-04 15:52:41 | ラスト・テンイヤーズ

   第一章  ある男の生涯  ( 5 )


( 二 )


「親父の生涯などは、取り立ててどうこう言うほどのものではないと思う。誰もが経験し、誰もが越えてきた程度の苦労なのだと思う。しかし、親父が生きてきた道程をざっと見てみるだけでも、それほど簡単なものでなかったことが想像できる。それも八十年を超えてということになれば、やはり険しい山や深い谷を歯を食いしばって越えてきたと思われ、何か愛しいような気がするんだ」


「あの時、親父は本当に家に帰りたかったと思うんだ。どうして家に連れて帰ることを考えなかったのか・・・。治療の問題もあるが、あの時点で親父が全快することなどないことは分かっていたんだ。結局、自分の煩わしさを避けようとしただけだったのではないのかと、今も自問することがあるんだ」


「通夜の席や初七日の席などで、多くの人が親父のことをいろいろ話してくれた。元気な頃の話もあったが、入院してからのことが多かった。大きな声で周りに気を遣ったとか、辛抱ができない人だったとか、そういうことが話題の中心だった…。
彼らに悪気など無いことは分かっているのだが、俺は、無性に腹が立った。頑固で一本気な親父だったが、滅多なことでは動揺せず、簡単に弱音を吐くような親父ではなかった。
ふた月ほどの入院生活や自宅で寝込んでいた期間を含めても、周りが世話をしたからといっても高々半年程じゃないか。わがままだったとか、辛抱できなかったとか・・・、そんな話は聞きたくもない」


「時間が経つにしたがって、『少し違うぞ』という気持ちが強くなってきたんだ。
何がって? 親父の生涯や生き様を、最後の二か月とか半年とかを取り上げて云々するのは間違っているということだよ。親父には八十七年という人生があり、波乱万丈といえば少々大げさだと思うけれど、親父なりの懸命の人生があったのだと思う。
それを、生涯で最も弱者である期間だけをとらまえて責めるのは、公平でないように思うんだ」


「親父の生涯を知って欲しいと言ってるのではない。
年老いて生涯を終わろうとしている人にとって、最後の三月や半年がそれほど重要な意味を持っているとは思えないんだ。有終の美などという言葉もあるが、人の一生を最後の数か月で評価するのは正しくないと思うんだ」


「通夜などの席での話ことは、遺族の苦労を思ってくれてのことだいうことは分かっているよ。それに、俺には、親父の最後の頼みを聞こうともしなかったという弱みもあって、被害妄想になっている部分も確かにある。
だが、俺の親父のことは置いておくとして、一般論として、人の生涯は最後の半年や一年ではなく十年程をもって評価されるべきだと思うんだ。評価という言葉は適切ではないかもしれないが、最後の十年をみると、その人物の品格というか生き様が浮かび上がってくるように思う」


「ある人物の生き様をみるには、その生涯全体をみるのが正しいように思われるが、どうも必ずしもそうではないように思う。
人は誕生を選ぶことができない。つまり、幼年期やあるいは青年期までは生まれ育った環境が大きく影響する。もしかすると、壮年期であってもその影響から離れることができないのかもしれない。
ところが、壮年期から老年期まで生きた人物を見てみると、もっとも、それは歴史上の人物の伝記なのによれば、ということなのだが、最後の十年あたりの生き様をみれば、その人物の値打ちというか品格というか、そう言ったものが浮かんで見えるような気がするんだ。事を成した人物はもちろん、業績的には挫折したかに見える人物の場合にも、同じようなことが言えると思う」


「最後の十年といっても様々だ。まず、生きた長さによって違うし、早熟な人物と大器晩成の人物とによっても違うだろう。また、歴史上に名を残すほどの人物となれば、若い頃から凡人とは違う功績を残しているだろう。
しかし、それらの人物も含めて、そこそこの年齢まで生きた人物について最後の十年を分析してみると、やはり少し違うものが見えてくるような気がしているんだ。
若い頃の成功体験の多くは、生まれた環境によるものが多いし、偶発的な歴史上の事件で幸運に恵まれたことなどが多いんだ。歴史の流れなんて、必然的に見えるものも含めて殆んどが誰かの気まぐれから起きているともいえるからな」


「だが、晩年になると少し違う。多くの人物について最後の十年をみると、自分の意思で行動しているらしいのが感じられるのだ。
もちろん、いくら優れた人物が自主的に行動したからといっても、失敗はある。予期せぬ方向に進んでしまうこともあるだろう。
しかし、その行動には哲学がある。その人物の品性というか品格とでもいうものが込められている」


「親父の場合でも、最後の十年の生き方をみれば、足が不自由だったし経済的にも誠に慎ましやかなものであったが、若い頃夢見た土いじりの真似事のようなこともできていたし、何よりも悠々自適を感じさせるような生き方をしていたと思う。
あの生き方は、自然に巡ってきたのではなく、ある段階で自分の生き方を意識して作り上げたもののように思えてならないんだ・・・」


***     ***     ***


私が『ラスト・テンイヤーズ』という言葉を思いついたのは、彼から彼の父親のことを聞かされたのが切っ掛けでした。


彼が語る、最後の十年にはその人物の生き様が凝縮しているといった話が大変興味深かったのです。
確かに、おぼろげに記憶している歴史上の人物を何人か思い描いてみれば、最後の十年にあたるのかどうかは定かではありませんが、晩年に多くの業績を残しているらしい気はします。


さらに、もっと身近な例として、彼から聞いた彼の父親である良夫氏の生涯を考える時、彼の話に納得性を感じたのです。
私は生前の良夫氏を存じ上げています。まさに最後の十年にあたる頃の良夫氏を知っているのです。
性格はその体型の影響もあるのでしょうが豪放に感じられ、その一方で人懐っこい笑顔の持ち主でした。息子の知人に過ぎない私などにも実に気さくに話され、自分を飾ろうとするところが殆んどない方でした。まさに、悠々自適というのはこの人のような生活なのだと思ったりしました。


良夫氏が昔からあのような人物であったとは私も思ってはいませんでしたが、彼が語る良夫氏の生涯を聞いてみますと、第二次世界大戦という時代背景があったとはいえ、並々ならぬ人生であっただろうことは察することができます。
そんな生活を経てきたことと、私が知る晩年の良夫氏を重ね合わせますと、彼の『最後の十年には品性、品格が込められている』という意見に、多いに納得したのです。


そして、一歩進んで、私は最後の十年というものを『ラスト・テンイヤ ーズ』という言葉で考えてみました。
それは、結果としての最後の十年ではなく、本人が意識したうえでの十年を『ラスト・テンイヤーズ』と呼ぶというものです。


自分の人生の残り時間を意識したうえでの最後の十年を『ラスト・テンイヤーズ』と呼ぶなどと唱えましたところで、誰にも自分の命の残り時間など計れるものではありません。
最期を悟ったなどという表現がなされることがありますが、その時期は極めて短期間のことで、十年後となりますと単なる覚悟のようなものでしかありません。
実際、その通りだと思います。


しかし、彼から聞いた良夫氏の生涯を思い返してみた時、良夫氏は『ラスト・テンイヤーズ』を意識していたのではないかと思われるのです。
もちろん、良夫氏が自分に残された時間が十年だと悟った時があったということではありません。けれども、これまで生きてきた道に一つの結論を出し、残りの時間をどう生きるか考えた時があったと思うのです。その時からあとの人生を、良夫氏の『ラスト・テンイヤーズ』だと考えたいのです。


良夫氏が、自らの『ラスト・テンイヤーズ』を意識したのは六十九歳の時だと思われます。
良夫氏は、自分の父親が亡くなった年齢に達した時「生きるということでは役目が終わったような気がする」と彼に話したそうです。そして、その日を境に生活が変わったそうです。


良夫氏は、その日から自らの描く『ラスト・テンイヤーズ』を生きたのです。
最後の十年と違うところは、十年を生き終えた時が七十九歳で、良夫氏はさらに新たな『ラスト・テンイヤーズ』を歩き続けたのです。
その新たな歩みは僅かに完歩することはできませんでしたが、良夫氏の晩年が充実した品格あるものであっただろうことは想像できます。
彼が言うように、人の生き様を最後の短い期間で云々するのは間違いだと思うのです。


『ラスト・テンイヤーズ』とは、人生の集大成の時ともいえます。
世に名を成す人もおれば、巨万の富を築く人もいます。せめて今少し収入があれば、もう少し蓄えがあれば・・・、と鬱々たる人もいます。
現在の自分の状況に至ったことに、幸運に感謝する人もいるでしょうし、不運を嘆く人もいるでしょう。
しかし、過ぎ去った時を今更どういうこともできません。


ただ一つ、はっきりしていることは、私たちの一生は有限だということです。来世を信じている人もいるでしょうし、おそらく次の世界というものもあるのでしょう。
しかし、今現実に私たちか生きている状態についていえば、終わる時があります。


その限られた時間をどう生きるのか、などと大げさに考えるつもりもありませんし、文章にする力もありません。ただ、私たちは、人生のある時期に来た時に、自らの『ラスト・テンイヤーズ』を考えてみるのも一つの生き方ではないかと思うのです。


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