碁の名人 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )
( (1)より続く)
さて、寛蓮は、見知らぬ女に誘われて碁を打つことになった。
寛蓮は碁石の笥(ケ)を一つ取り、今一つを簾の内に差し入れると、侍女の一人が、「[ 破損による欠字。内容の推定難しい。]してください。そのままそこにおいてください」と言い、「面と向かって、恥ずかしくて碁など打てません」と言う。( この辺りにも破損による欠字があり、推定した。)
寛蓮は、「何ともおかしなことを言うものだ」と心の内に思ったが、碁石の笥を二つとも自分の前に戻して置き、「女の言うことを聞こう」と思い、笥の蓋を開け、石を鳴らしていた。
この寛蓮は、風流気がありそうした心得もあったので、宇多院からも相当の風流人と思われているほどであったから、この女の様子にもたいそう興味を持ち、面白いことだと思ったのであろう。
やがて、几帳の隙間から、巻数木(カンジュギ・・祈祷の時などに、読誦した経巻などの名称・度数などを記した紙片を結び付けておく棒)のように削った、白くてきれいな二尺ほどの木が差し出され、「私の石は、まずここに置いてくださいませ」と言って、中央の聖目(セイモク・碁盤の目の上に打たれた九つの黒点)を差した。そして、「何目か置かせていただくべきですが、まだお互いの力が分かっておりませんので、『そうすることも出来ない』と思いまして、まずはこの一局は、私が先手ということにさせていただき、力の差が分かれば、十目でも二十目でも置かせていただきます」と言うので、寛蓮は言われるままに中央の聖目に女の石を置いた。そして、次に寛蓮が打つ。
女が打つ手は木で教えたので、それに従って打って行くうちに、寛蓮の石は皆殺しにされてしまった。わずかに生き残っていた石も、駄目を埋め合っているうちに、それほど手数を進めないうちに、大方囲まれてしまって、とても手向かいできそうもない。
その時、寛蓮は思い至った。「これは何とも不思議なことだ。この女は人間ではなく変化(ヘンゲ・神仏や妖怪などの化身)の者に違いない。私と対局して、現在これほどの差を付ける者がいるだろうか。たとえ、どれほどの上手だとしても、このように皆殺しにされてしまうことなどあるまい」と。
寛蓮は怖ろしくなり、布石を崩した。
そして、物も言えずにいると、女は少し笑いを含んだ声で、「もう一局いかがでしょうか」と言ったが、寛蓮は、「このように怖ろしい者には、二度と物を言わない方が良い」と思って、草履も履くや履かない状態で逃げ出し、車に乗り込み仁和寺に逃げ帰った。
それから宇多院の御前に参り、「このような事がありました」と申し上げると、宇多院も、「いったい誰であろう」と不審に思われ、次の日に、その場所に人を遣わして尋ねさせたが、その家には誰もいなかった。ただ、留守をしている今にも死にそうな様子の女法師が一人いた。それに、「昨日ここに居られた人は如何した」と尋ねると、「この家には、五、六日ばかり、東の京(左京)から方違えのためとかで見えられた方がいましたが、昨夜お帰りになりました」と言う。宇多院の使者は、「そのお見えになっていたお方は、何というお方か。また、いずれにお住まいか」とさらに尋ねたが、女法師は、「私はどなたかは存じません。この家の主は筑紫に下向しております。その知り合いの方ではないでしょうか。[ 破損による欠字。「詳しくは」といった語句か? ]存じません」と答えた。
使者は、[ 破損による欠字。「宇多院にその旨報告し、それ以上の追及は」といった意味の文章があったか? ]ないままで終わった。
天皇(醍醐天皇)もこの話をお聞きになり、たいそう不思議に思われた。
当時の人は、「人間であったなら、寛蓮と勝負してどうして皆殺しにするような打ち方が出来ようか。これは変化の者などが現れたのであろう」と疑った。
その頃世間では、この話で持ちきりであった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
( (1)より続く)
さて、寛蓮は、見知らぬ女に誘われて碁を打つことになった。
寛蓮は碁石の笥(ケ)を一つ取り、今一つを簾の内に差し入れると、侍女の一人が、「[ 破損による欠字。内容の推定難しい。]してください。そのままそこにおいてください」と言い、「面と向かって、恥ずかしくて碁など打てません」と言う。( この辺りにも破損による欠字があり、推定した。)
寛蓮は、「何ともおかしなことを言うものだ」と心の内に思ったが、碁石の笥を二つとも自分の前に戻して置き、「女の言うことを聞こう」と思い、笥の蓋を開け、石を鳴らしていた。
この寛蓮は、風流気がありそうした心得もあったので、宇多院からも相当の風流人と思われているほどであったから、この女の様子にもたいそう興味を持ち、面白いことだと思ったのであろう。
やがて、几帳の隙間から、巻数木(カンジュギ・・祈祷の時などに、読誦した経巻などの名称・度数などを記した紙片を結び付けておく棒)のように削った、白くてきれいな二尺ほどの木が差し出され、「私の石は、まずここに置いてくださいませ」と言って、中央の聖目(セイモク・碁盤の目の上に打たれた九つの黒点)を差した。そして、「何目か置かせていただくべきですが、まだお互いの力が分かっておりませんので、『そうすることも出来ない』と思いまして、まずはこの一局は、私が先手ということにさせていただき、力の差が分かれば、十目でも二十目でも置かせていただきます」と言うので、寛蓮は言われるままに中央の聖目に女の石を置いた。そして、次に寛蓮が打つ。
女が打つ手は木で教えたので、それに従って打って行くうちに、寛蓮の石は皆殺しにされてしまった。わずかに生き残っていた石も、駄目を埋め合っているうちに、それほど手数を進めないうちに、大方囲まれてしまって、とても手向かいできそうもない。
その時、寛蓮は思い至った。「これは何とも不思議なことだ。この女は人間ではなく変化(ヘンゲ・神仏や妖怪などの化身)の者に違いない。私と対局して、現在これほどの差を付ける者がいるだろうか。たとえ、どれほどの上手だとしても、このように皆殺しにされてしまうことなどあるまい」と。
寛蓮は怖ろしくなり、布石を崩した。
そして、物も言えずにいると、女は少し笑いを含んだ声で、「もう一局いかがでしょうか」と言ったが、寛蓮は、「このように怖ろしい者には、二度と物を言わない方が良い」と思って、草履も履くや履かない状態で逃げ出し、車に乗り込み仁和寺に逃げ帰った。
それから宇多院の御前に参り、「このような事がありました」と申し上げると、宇多院も、「いったい誰であろう」と不審に思われ、次の日に、その場所に人を遣わして尋ねさせたが、その家には誰もいなかった。ただ、留守をしている今にも死にそうな様子の女法師が一人いた。それに、「昨日ここに居られた人は如何した」と尋ねると、「この家には、五、六日ばかり、東の京(左京)から方違えのためとかで見えられた方がいましたが、昨夜お帰りになりました」と言う。宇多院の使者は、「そのお見えになっていたお方は、何というお方か。また、いずれにお住まいか」とさらに尋ねたが、女法師は、「私はどなたかは存じません。この家の主は筑紫に下向しております。その知り合いの方ではないでしょうか。[ 破損による欠字。「詳しくは」といった語句か? ]存じません」と答えた。
使者は、[ 破損による欠字。「宇多院にその旨報告し、それ以上の追及は」といった意味の文章があったか? ]ないままで終わった。
天皇(醍醐天皇)もこの話をお聞きになり、たいそう不思議に思われた。
当時の人は、「人間であったなら、寛蓮と勝負してどうして皆殺しにするような打ち方が出来ようか。これは変化の者などが現れたのであろう」と疑った。
その頃世間では、この話で持ちきりであった、
となむ語り伝へたるとや。
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