雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

碁の名人 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )

2017-02-11 13:37:39 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          碁の名人 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )

( (1)より続く)

さて、寛蓮は、見知らぬ女に誘われて碁を打つことになった。
寛蓮は碁石の笥(ケ)を一つ取り、今一つを簾の内に差し入れると、侍女の一人が、「[ 破損による欠字。内容の推定難しい。]してください。そのままそこにおいてください」と言い、「面と向かって、恥ずかしくて碁など打てません」と言う。( この辺りにも破損による欠字があり、推定した。)
寛蓮は、「何ともおかしなことを言うものだ」と心の内に思ったが、碁石の笥を二つとも自分の前に戻して置き、「女の言うことを聞こう」と思い、笥の蓋を開け、石を鳴らしていた。
この寛蓮は、風流気がありそうした心得もあったので、宇多院からも相当の風流人と思われているほどであったから、この女の様子にもたいそう興味を持ち、面白いことだと思ったのであろう。

やがて、几帳の隙間から、巻数木(カンジュギ・・祈祷の時などに、読誦した経巻などの名称・度数などを記した紙片を結び付けておく棒)のように削った、白くてきれいな二尺ほどの木が差し出され、「私の石は、まずここに置いてくださいませ」と言って、中央の聖目(セイモク・碁盤の目の上に打たれた九つの黒点)を差した。そして、「何目か置かせていただくべきですが、まだお互いの力が分かっておりませんので、『そうすることも出来ない』と思いまして、まずはこの一局は、私が先手ということにさせていただき、力の差が分かれば、十目でも二十目でも置かせていただきます」と言うので、寛蓮は言われるままに中央の聖目に女の石を置いた。そして、次に寛蓮が打つ。

女が打つ手は木で教えたので、それに従って打って行くうちに、寛蓮の石は皆殺しにされてしまった。わずかに生き残っていた石も、駄目を埋め合っているうちに、それほど手数を進めないうちに、大方囲まれてしまって、とても手向かいできそうもない。
その時、寛蓮は思い至った。「これは何とも不思議なことだ。この女は人間ではなく変化(ヘンゲ・神仏や妖怪などの化身)の者に違いない。私と対局して、現在これほどの差を付ける者がいるだろうか。たとえ、どれほどの上手だとしても、このように皆殺しにされてしまうことなどあるまい」と。
寛蓮は怖ろしくなり、布石を崩した。

そして、物も言えずにいると、女は少し笑いを含んだ声で、「もう一局いかがでしょうか」と言ったが、寛蓮は、「このように怖ろしい者には、二度と物を言わない方が良い」と思って、草履も履くや履かない状態で逃げ出し、車に乗り込み仁和寺に逃げ帰った。
それから宇多院の御前に参り、「このような事がありました」と申し上げると、宇多院も、「いったい誰であろう」と不審に思われ、次の日に、その場所に人を遣わして尋ねさせたが、その家には誰もいなかった。ただ、留守をしている今にも死にそうな様子の女法師が一人いた。それに、「昨日ここに居られた人は如何した」と尋ねると、「この家には、五、六日ばかり、東の京(左京)から方違えのためとかで見えられた方がいましたが、昨夜お帰りになりました」と言う。宇多院の使者は、「そのお見えになっていたお方は、何というお方か。また、いずれにお住まいか」とさらに尋ねたが、女法師は、「私はどなたかは存じません。この家の主は筑紫に下向しております。その知り合いの方ではないでしょうか。[ 破損による欠字。「詳しくは」といった語句か? ]存じません」と答えた。
使者は、[ 破損による欠字。「宇多院にその旨報告し、それ以上の追及は」といった意味の文章があったか? ]ないままで終わった。
天皇(醍醐天皇)もこの話をお聞きになり、たいそう不思議に思われた。

当時の人は、「人間であったなら、寛蓮と勝負してどうして皆殺しにするような打ち方が出来ようか。これは変化の者などが現れたのであろう」と疑った。
その頃世間では、この話で持ちきりであった、
となむ語り伝へたるとや。

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優れた医師たち ・ 今昔物語 ( 巻24-7 )

2017-02-11 13:36:52 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          優れた医師たち ・ 今昔物語 ( 巻24-7 )

今は昔、
典薬頭(テンヤクノカミ・典薬寮の長官。医薬を司る)[ 意識的な欠字。姓名が入るが、隠したというより、あやふやであったらしい。 ]という人がいた。その道に関しては大変優れた医師(クスシ)であったので、公私に渡って重んじられる人であった。
ある年の七月七日、典薬頭の一族の医師たちや下級の医師たちから使用人に至るまで、一人残らず典薬寮に集まって宴会を催した。この日は、庁舎の大広間に長莚を敷きつめて、そこに居並んで、各自が一種類ずつ酒肴を持ち寄って楽しむ日であった。

その時、年のころ五十ばかりで、それほど身分の低い者とは見えない女が、浅黄色の張単(ハリヒトエ・布地に糊をしてこわく張らせた単衣)に粗末な袴を着け、顔色が青鈍(アオニビ・薄い藍色)色の練り絹に水を含ませたような色をして、全身がぶよぶよに腫れた姿で、下女に手を引かれて庁舎の前に現れた。
典薬頭はじめ皆がその女を見て、「お前は一体何者だ。どこの者だ」と集まってきて尋ねると、この腫れた女は、「私は、このように腫れた姿になって五、六年になります。それを『皆様方に何とか診察していただきたい』と思いながらも、片田舎に住んでおりますので、往診をお願いしてもおいで下さるはずがありませんので、何とか皆様方が一ヶ所にお集まりの時におじゃまして、それぞれのご診断を承らんと思いました。お一人お一人別々に診ていただきますと、それぞれ違った診断をなさいますので、どれに従えば良いか分からず、具合の良い治療が出来ませんでした。ちょうど、今日皆様がこのようにお集まりと聞きまして、参ったのでございます。ですから、ぜひご診断くださって、治療法をお教えくださいませ」と言って平伏した。

典薬頭をはじめとして皆はこれを聞くと、「なかなか賢い女だ。確かにその通りだ」と思った。
典薬頭は、「如何じゃ、おのおの方。あの女を治療なされぬか。私は、あれは寸白(スンパク・サナダ虫などによる病気全般を指す)だと思うが」と言って、一同の中で優れていると思われる医師を呼んで、「あの女を診てやれ」と言うと、その医師は女のそばによって診察すると、「確かに寸白でございましょう」と言った。
「では、それをどう治療すればよいか」と訊くと、その医師は、[ 欠文があるらしい。医師が治療法について述べているらしい。]抜くに従い、白い麦(ひや麦・うどんなどを指すか?)のような物が出て来た。それを取って引くと、綿々と続き長々と出て来た。出てくるのに従って庁舎の柱に巻きつけていった。巻いていくに従い、この女の顔の腫れが引き、顔色もどんどん治っていった。

柱に、七尋(ナナヒロ・ヒロは大人が両手をいっぱいに広げた長さ。2m弱くらい)、八尋ばかり巻くと、出尽くして出て来なくなった。
その時には、この女の目鼻の様子はすっかり治り、顔色も普通の人のようになった。
典薬頭はじめ大勢の医師たちは、皆これを見て、この女がこのような所に来て病を治したことを感心し、限りなく褒め称えた。
その後、女が、「この後はどのような治療をすればよろしいでしょうか」と尋ねた。医師は、「ただ慧苡湯(ヨクイトウ・ハトムギを煎じた物か?)で患部を温めるが良い。もはやそれ以外の治療は不要である」と言って帰らせた。

昔は、このように下級の医師の中にも、たちどころに病を治す者たちがいた、
となむ語り伝へたるとや。

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迷える名医 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-8 )

2017-02-11 13:35:53 | 今昔物語拾い読み ・ その6
        迷える名医 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-8 )

今は昔、
典薬頭(テンヤクノカミ・典薬寮の長官)にて、[ 意識的な欠字。姓名が記される部分 ]という優れた医師がいた。当代に並ぶ者がないという人物であったので、人々は皆この人を重んじていた。

ある時、この典薬頭の屋敷に、たいそう美しく装った女車が衣の裾を華やかにこぼれさせて入ってきた。
典薬頭はこれを見て、「どなたの車ですか」と尋ねたが、答えもせずにどんどん入ってきて、車から牛を離し、車の頸木(クビキ・牛車の先端の横木)を蔀(シトミ・格子組の片面に板を張った戸)の木にかけて、雑色(ゾウシキ・雑役に従事する小者)たちは門の脇に控えた。
典薬頭は車のそばに近付き、「これはどなたのお越しですか。どのようなご用でおいででしょうか」と尋ねると、車の内からは、誰だとは答えず、「しかるべき所に局(ツボネ・間仕切りをした部屋)を用意して降ろしてください」と可愛くて気品のある声で言う。この典薬頭は、もともと色好みで多情な老人であったから、屋敷の隅で人目に立たない部屋を大急ぎで掃除し、屏風を立て畳を敷くなどして、車のそばに寄り、用意が出来たことを伝えると、女は、「では、離れてください」と言う。

典薬頭は少し離れて立っていると、女は扇で顔を隠して膝ですりながら降りてきた。車には、供の女房がたくさんいるように感じられたが、他には誰も乗っていなかった。
女が降りるとともに、十五、六歳ばかりの下仕えの女童が車のそばに寄ってきて、車の中にあった蒔絵の櫛箱を持って行くと、控えていた雑色たちは車に寄ってきて、素早く牛を付け、飛ぶような勢いで去っていった。 ( この辺り欠字が散在しているが推定した。)

女は用意された部屋に入った。女童は櫛箱を包み隠して、屏風の後ろで身を小さくしている。
典薬頭は近寄り、「あなたはどちら様でしょうか。どんなご用でございますか。どうぞお話しください」と言うと、女は、「こちらにお入りくださいませ。恥ずかしがりは致しません」と言うので、典薬頭は簾の内に入った。
向かい合った女房を見ると、年齢は三十ばかりで、髪形の様子を始め、目、鼻、口、どれをとっても非の打ち所がないほど端正で、髪はたいそう長、く、かぐわしく香をたきしめた素晴らしい衣装を身につけている。特に恥ずかしがる様子もなく、長年連れ添った妻などのように打ち解けて向かい合っている。

典薬頭はこの様子を見て、「何とも怪しい」と思った。と同時に、「何としてもこの女は、我が思いのままにしたい人だ」と思うと、歯もなくしわだらけの顔に満面の笑みをたたえて、近くに寄って問いかけた。なにしろ、典薬頭は長年連れ添った老妻と死に別れて三、四年が経ち、今は妻もいない状態なので、嬉しくて仕方がなかった。
すると、その女は、「人の心というものは情けないもので、命の惜しさには、この身のどんな恥も辛抱して、たとえどんな事をしてでも命だけ助かればと思って、こちらに参ったのです。今は、生かすも殺すもあなた様のお心次第です。この身をお任せいたしますからには・・・」と言って、泣き崩れた。

典薬頭は、これを聞いてたいそう哀れに思い、「いったい、どうなさったのです」と尋ねると、女は袴の上の部分を引き開けて見せると、雪のように真っ白な股(モモ)が少し腫れている。その腫れがすこぶる不審に思われたので、袴の腰ひもを解かせて前の方を見たが、毛の中で患部がよく見えない。そこで、典薬頭は手でそこを探ると、陰部のすぐ近くに赤く腫れあがったものがある。左右の手でもって毛をかき分けてみると、命にかかわるような出来物があった。
[ 意識的な欠字。病名らしい。]という病なので、非常に可哀そうに思い、「長年の経験ある医師であるからは、何としてもこの病の治療に、あらゆる手を打たねばならない」と思って、すぐその日から、誰も近寄らせず、自らたすきを掛けて、夜も昼も治療に勤めた。

                                       ( 以下(2)に続く )

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迷える名医 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-8 )

2017-02-11 13:34:54 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          迷える名医 (2)・ 今昔物語 ( 巻24- )

     ( (1)より続く 

七日ばかり治療を続けると、すっかり良くなった。典薬頭はたいそう嬉しく思い、「今しばらくの間は、ここに泊めておこう。この人が誰だか分かってから帰そう」などと思いながら、今は冷やすことを止めて、何という薬なのか茶碗に摺り入れた物を鳥の羽を使って日に五、六度つけるだけである。
「もう、これで大丈夫」と、典薬頭は嬉し気であった。

すると、女は、「私は、恥ずかしい様子をすっかりお見せしてしまいました。ひとえに、あなた様を親とも思い頼りにさせていただくばかりです。それゆえに、私が家に帰ります折には、お車でお送りくださいませ。その時には、私の名をお教えいたしましょう。また、こちらにもしばしば参らせていただきます」などと言うので、典薬頭は、「あと四、五日ばかりは、ここに居るだろう」と思って安心していると、その日の夕暮れ方に、女は夜着用の薄い綿入れの衣を一枚着ただけで、付き従っていた女童を連れて逃げ出してしまった。
そうとは知らぬ典薬頭は、「夕の食事を差し上げましょう」と言って、お盆に食事を整え、典薬頭自ら持って女の部屋に入ると、誰もいない。
「たまたま、用でも足しているのだろう」と思って、いったん食事を持ち帰った。

そのうち日も暮れたので、「まずは、灯りをつけよう」と思って、燭台に火をともして持って行き、あたりを見てみると、着物が脱ぎ散らかっており、櫛箱もある。
「長い間屏風の後ろに隠れて、何をしているのだろう」と思って、「そんなに長い間隠れて、屏風の後ろで何をなさっているのですか」と言って、屏風の後ろを見ると、どうしたことか女童さえいない。重ね着していた着物も袴も置かれたままである。ただ、夜着用として着ていた薄い綿入れの衣一枚だけが無くなっている。
「女はいなくなったのだろうか。あの人は、あの薄い衣一枚で逃げたというのか」と思うと、典薬頭は胸がつぶれる思いで、途方に暮れてしまった。

すぐに門を閉じて、人々が大勢それぞれ手に灯りを持って、家の内を捜しまわったが、見つからなかった。
居なくなったということがはっきりしてくると、典薬頭は、女のいつもの顔の様子や姿が思い浮かんできて、限りなく恋しくて悲しかった。
「病気だからと自制しないで、すぐにも思いを遂げればよかった。どうして、治療してからなどと思って自制してしまったのだろう」と、悔しくて、腹立たしくて、こうなってみると、「自分には妻はなく、遠慮する人もいないから、あの女が人の妻で自分の妻にすることはできないならば、時々通って行って逢うことができればと思い、本当に素晴らしい人を手に入れたと思っていたものを」と、すっかりその気になっていたのに、うまくだまされて逃がしてしまったので、手を打って悔しがり、足を踏み鳴らし、ひどい顔をさらにくしゃくしゃにして泣いたので、弟子の医師たちは陰で大笑いした。
世間の人もこれを聞き、笑いながら本人にいきさつを聞くと、典薬頭はものすごく怒り、むきになって弁解した。

それにしても、実に賢い女である。ついに、誰とも正体が分からないままに終わったのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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娘と蛇にまつわる奇譚 ・ 今昔物語 ( 巻24-9 )

2017-02-11 13:34:11 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          娘と蛇にまつわる奇譚 ・ 今昔物語 ( 巻24-9 )

今は昔、
河内の国讃良郡(サララノコオリ・現在の大阪府北部辺り)、馬甘の郷(ウマカミのサト・所在未詳)に住む者がいた。
身分の低い人であるが、家はたいそう裕福であった。その人には若い娘が一人いた。

四月の頃のことである。その娘が蚕にやるために大きな桑の木に登って、桑の葉を摘んでいたが、その桑の木は道の近くにあったので、道行く人が通りがかりに見てみると、大きな蛇が出てきて、その娘が登っている桑の木の根元に巻きついていた。
道行く人はこれを見て、登っている木に蛇が巻きついていることを教えた。娘はこれを聞いて、驚いて下を見てみると、本当に大きな蛇が根元に巻きついている。

それを見て娘は恐れ慌てて、木から飛び降りると、蛇は娘にまとわりつくと、あっという間に交合した。すると、娘は体中がしびれたようになり、死んでしまったかのように木の根元に倒れ込んだ。これを見た両親は泣き悲しんで、すぐに医師を呼んで診てもらおうとした。
この国には、大変優れた医師がいたので、その人を呼んで診てもらおうとした。その間も、蛇は娘と交わったまま離れようとしない。
医師は、「とにかく、娘と蛇を一緒に戸板にでも乗せて、すぐに家に連れ帰って、庭に置きなさい」と言う。それで、家に連れ帰って庭に置いた。

それから、医師の言葉に従い、稲わらを三束焼いた。三尺の長さの物を一束にして、それを三束である。その焼いた灰を湯に混ぜて汁を三斗作り、これを二斗になるまで煎じて、猪の毛十把を刻んで粉末にして、その汁に混ぜ合わせた。
そして、娘の頭と足の辺りに杭を打ち、その間に娘を横ざまにつるして、女陰にその汁を注ぎこんだ。一斗ばかり入ると、すぐさま蛇は離れた。這って逃げようとするのを打ち殺して棄てた。その時、蛇の子がかたまって、おたまじゃくしのような格好で、それぞれ猪の毛が突き刺さった状態で、陰部より五升ばかり出て来た。蛇の子が全部出てしまうと、娘は正気に戻って口をきいた。
両親が泣く泣く娘に様子を聞くと、娘は、「何も覚えておりません。夢でも見ていたような気持です」と話した。

このようにして、娘は薬の処方を受けて命が助かり、怖れ慎んでいたが、それから三年経って、またも蛇に襲われて、ついに死んでしまった。
この時には、「こうなるのは前世からの因縁だ」と諦めて、治療することなくそのままにしていた。
それにしても、医師の力といい、薬のききめといい不思議なものだ、
となむ語り伝へたるとや。

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妙薬誕生 ・ 今昔物語 ( 巻24-10 )

2017-02-11 13:33:25 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          妙薬誕生 ・ 今昔物語 ( 巻24-10 )

今は昔、
天暦(第六十二代村上天皇)の御時に、震旦(シンダン・中国の古称)から渡来した僧がいた。名を長秀(チョウジュウ)という。
もとは医師(クスシ)であったので、鎮西(チンゼイ・九州)に来て住みつき、帰るつもりがないようなので、京に呼び上らせて、医師として仕えさせた。
しかし、もともとは立派な僧であったから、梵釈寺(ボンシャクジ)の供奉僧を命じられ、朝廷で召し使われることになった。

こうして何年か経った頃、五条大路と西の洞院大路が交わる辺りに[ 意識的欠字あり。「桂」か? ]の宮と申すお方がおいでになった。その御屋敷の前に大きな桂の木があったので、桂の宮(宇多天皇皇女)と世間の人は呼んでいた。
ある時、長秀がその宮のもとに伺候してお話申し上げていたが、この桂の木の梢を見上げて、「桂心(ケイシン)という薬はこの国にもありましたのに、人がそれと分からなかったのしょう。あれを取りましょう」と言って、童子を木に登らせ、長秀が命じるままに枝を切り下ろすと、長秀は近寄って、刀で桂心の有る所を切り取って、宮のもとに持ってきた。
そして、その一部を頂戴して薬として使ったところ、唐の桂心以上に効き目があったので、長秀は、「桂心はこの国にも有る物なのに、知っている医師がいなかったことがまことに残念なことであった」と言った。

このように、桂心はこの国にも有るのを、知っている者がいないため取らないのであろう。だが、長秀はその見分け方をついに人に教えることがなかった。長秀は、大変優れた医師であった。
それで、長秀は薬を作って朝廷に献上した。その処方は今も伝わっている、
となむ語り伝へたるとや。

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名医の見立て ・ 今昔物語 ( 巻24-11 )

2017-02-11 12:54:25 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          名医の見立て ・ 今昔物語 ( 巻24-11 )

今は昔、
[ 意識的欠字。「後朱雀」か? ]天皇の御代のこと、天皇が内裏においでになった時、夏の頃のことなので涼しいことをしようと、滝口の武士(宮中警護に当たる)たちが大勢八省院の廊に出ていたが、手持無沙汰なことでもあり、一人の滝口の武士が、「退屈なことなので、酒と肴を取りに行かせようではないか」と言うと、他の武士たちもこれを聞いて、「それは良いことだ。さっそく取りに行かせよう」と口々に急かせるので、言い出した武士は、従者の男を呼んで、松明を持たせて使いに出した。

従者の男は、南の方に走って行った。
「もう十町(1.1キロほど)ばかりも行ったか」と思われる頃、空が曇り夕立が降ってきたが、滝口の武士たちは世間話をしながらそのまま廊にいた。やがて雨も止み空も晴れたので、「そろそろ酒を持ってくる頃だ」と待っていたが、日が暮れても使いに出した男は帰って来ない。
「もう、帰ろう」と言い出し、皆内裏に戻ってしまった。
あの酒を取りに行かせた滝口の武士は、いらいらして腹立たしく思っていたが、どうしようもなく、皆と一緒に滝口の陣に帰ったが、使いに出した従者の男は夜になっても帰って来ないので、「どうもおかしい。これはただ事ではあるまい。あの男は、途中で死んでしまったのか。あるいは重い病にでもなったのか」と一晩中心配しながら夜を明かした。

明けるのが遅いとばかりに、早朝急いで男の家に飛んで行き、真っ先に昨日男を使いに出したことを話すと、家の者は、「その男は、昨日帰ってきましたが、死んでしまったかのようになって、あそこに寝ています。何一つ物も言えず、ふらふらになって寝ているのですよ」と言う。
滝口の武士が近寄って見てみると、まことに死んだようになって臥せている。話しかけても答えもせず、それでもわずかに体を動かせている。(このあたりにも、一部欠字があり推定した部分がある)

大変不思議に思われ、ここから近い所に滝口忠明朝臣という医師がいたので、武士はその家に行って、「然々の状態でございます。どうしたことでしょう」と尋ねると、忠明は、「さて、どうとも分かりかねますなァ。しかし、そういう事であれば、[ 意識的欠字。当時、様々な種類の灰が薬用に用いられていたので、灰の種類が書かれていたらしい。]灰をたくさん取り集めて、その男をその灰の中に埋めて置いて、しばらく様子を見なさい」と教えた。
滝口の武士は男の家に帰り、忠明の教えに従って、灰をたくさん集めて、その中に男を埋めて置き、一、二時(2~4時間)ばかり経ってから見てみると、灰が動いたので、掻き開けて見ると、男は意識を取り戻していた。しばらくして、水などを飲ませたりとすると、ふつうの状態になってきたので、「いったい何があったのだ」と尋ねると、男は、「昨日、八省院の廊にて仰せをお受けし、急いで美福門の通りを南に走っておりましたところ、神泉苑の西側で、にわかに雷鳴がとどろいて、夕立が降ってきました。神泉苑の中は真っ暗になり、それが西に向かって広がってくるのを見ていると、その暗がりの中に金色の手がきらりと光るのが見えました。それを、わずかに見ますや否や四方は真っ暗になり、前後不覚の状態になりましたが、と言って道に寝込んでしまうわけにもいかず、気力を振り絞ってこの家まで辿り着いたところまでは、おぼろげながら覚えています。それから後のことは記憶がありません」と言った。

滝口の武士はこれを聞いて、不思議に思い、また忠明のもとに行き、「あの男は、お教えいただいたように灰に埋めましたところ、しばらくして意識を取り戻し、然々このように申しました」と言うと、忠明は笑いながら、「思った通りであった。人が竜の姿を見て病みついた時には、あの治療法より外に方法はないのだ」と言った。
滝口の武士は、その後滝口の陣で、他の武士たちにこの事を話すと、武士たちはこぞって忠明を褒め、感心した。世間にもこの事が伝わり、皆忠明を誉めた。
およそこの事だけに限らず、この忠明という人はとても優れた医師であった、
となむ語り伝へたるとや。

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雅忠の治療(未完)・ 今昔物語 ( 巻24-12 )

2017-02-11 12:53:33 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          雅忠の治療(未完) ・ 今昔物語 ( 巻24-12 )

本話は、「雅忠見人家指有瘡病語第十二」という表題のみで、本話は欠文となっている。
なお、雅忠というのは、前話の忠明の息子である。

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陰陽師と地の神 ・ 今昔物語 ( 巻24-13 )

2017-02-11 12:52:26 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          陰陽師と地の神 ・ 今昔物語 ( 巻24-13 )

今は昔、
文徳天皇(第五十五代。858年没、三十二歳)が崩御されて、御陵の地を定めるために、大納言安陪安仁(アベノヤスヒト・正しくは安倍)という人が勅命を受け、その役目を行われた。[ 意識的欠字か? 従者の名前が入るらしい。]を引き連れて、御陵の地に出かけた。
その当時、慈岳川人(シゲオカノカワヒト・正しくは滋岳)という陰陽師がいた。この道では、古の人にも恥じない、世に並ぶ者のない人物であった。この人を連れて、御陵の場所を定め、役目を終えて帰る途中、深草の北の辺りに差しかかった時、川人は大納言の近くに馬を寄せてきて、何か物言いたげなそぶりを見せた。

大納言が耳を傾けると、川人は、「私は、十分ではありませんが長年この道に携わって朝廷に仕えて参りました。振り返って見て、これまで誤りを犯したことはございません。ところが、この度は大きな過ちを犯してしまいました。ここに地神(ツチノカミ)が追いかけて来ています。それは、あなた様とこの川人が罪を犯したからでしょう。いったいどうなさいますか。とても逃れることなど出来ないことです」と、とてもおびえた様子で言う。それを聞いて、大納言はどうすれば良いか分からなくなった。ただ、「自分にはどうすれば良いか分からぬ。何とか助けてくれ」と言った。
川人は、「と申されても、このまま放ってもおけません。ためしに、何とか身を隠す手段を考えましょう」と言って、「あとから遅れてきた者は、皆先に行け」と言って、先に行かせた。

やがて、日も暮れたので、闇に紛れて、大納言も川人も馬から下りて、馬だけ先に行かせて、二人は田の中に留まって、そこに大納言を座らせて、その上に刈り置いてある稲を持ってきて積み、川人はその周りを小さな声で呪文を繰り返し唱えてから、川人もその積んである稲を引き開けて這入りこみ、大納言と話し合っていた。
大納言は、川人がひどくおびえて震えているのを見て、半ば死んだような心地になっていた。

こうして声も立てずにいると、しばらくすると、千万人とも思われる足音が通り過ぎて行った。皆通り過ぎたと思っていると、何人かが戻ってきて、騒がしく話しているのを聞くと、人の声に似てはいるが、やはり人ではない声でもって、「あの者は、この辺りで馬から下りて、馬の足音を軽くしたのだ。だから、この辺りを隠れる隙間が無いように土を一、二尺ばかり掘って、捜し求めるのがよい。いくら逃げようとも、逃げ切れるものではない。川人は古の陰陽師に劣らぬ奴なので、簡単には見つからないような術を使っているだろう。そんな策を弄しても、奴を逃してなるものか。よく捜せ」とわめきたてた。
しかし、どうしても見つからない、などと口々に騒いでいると、主人(地神)と思われる人が、「どうしようと隠れおおせるものではない。今日はうまく隠れても、いつかは奴らを見つけ出してやる。今度の十二月の晦日の夜中には、天下くまなく、土の下、空の上、目につく所はどこであれ捜し求めよ。奴らは隠れおおせるものではない。されば、その夜には皆集まって来い。そうして、捜し出そう」と言って去っていった。 ( このあたり、漢字表記を期してか意識的な欠字が散見される。その部分は推定で表記した。)

このあと、大納言と川人は稲の中から飛び出した。もう何が何だか分からない状態で大納言は、「これからどうすればよいのだろう。言っていたように捜せば、我らはとても逃げられない」と言う。川人は、「このように聞いたからには、その夜には、誰にも絶対に知られないように、二人だけでうまく隠れるしか仕方がありません。その時近くになってから、詳しく申し上げましょう」と言って、川原に留まっていた馬のもとに歩みより、それぞれの家に帰って行った。

その後、はや晦日になったので、川人は大納言の屋敷にやって来て、「誰にも知られないように、ただ一人で二条大路と西大宮大路との辻に、日暮れの頃においで下さい」と言った。
大納言はこれを聞いて、暮れ方になると、世間の人が忙しく行き交うのに紛れて、ただ一人で教えられた辻に行った。川人はすでに来て待っていたので、二人はそろって嵯峨寺へ行った。そして、堂の天井の上によじ登り、川人は呪文を唱え、大納言は三蜜(サンミツ・手で印を結び、口で真言を唱え、心で本尊に祈る行法)を唱えていた。

そうしていると、真夜中になったと思われる頃、気味の悪いおかしな匂いのする生暖かい風が吹いてきた。すると、地震の揺れのような地響きが少しあり、何かが通り過ぎていったので、「怖ろしい」と思ってじっと堪えていると、やがて鶏が鳴いたので、天井から下りて、まだ夜が明けぬうちに、それぞれの家に帰った。
別れ際に川人は大納言に言った。「もう恐れることはございません。そうとはいえ、川人なればこそ、このように無事に逃れることが出来たのですよ」と。大納言は川人に拝礼して家に帰った。

これを思うに、やはり川人は優れた陰陽師であったのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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陰陽師に救われる ・ 今昔物語 ( 巻 24-14 )

2017-02-11 12:51:31 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          陰陽師に救われる ・ 今昔物語 ( 巻24-14 )

今は昔、
[ 伴世継(トモノヨツギ)]という者がいた。穀蔵院(コクゾウイン・正しくは穀倉院。民部省所管の倉庫)の使者として、その封戸(フコ・官位などに基づき与えられた民戸)の税を徴収するために東国に行き、何日かしてから帰京する途中、近江国の勢多の駅(ウマヤ)に宿をとった。

ちょうどその時、その国の国司である[ 藤原有陰 ]という人が庁舎に来ていて、陰陽師で天文博士である弓削是雄(ユゲノコレオ)という者を京から招いて、大属星(ダイゾクショウ・陰陽道における星周りで、その年の本命星を指すらしい?)を祭らせようとしていたが、その是雄がこの[ 伴世継 ]と同宿していた。
是雄が[ 世継 ]に、「あなたは、どちらから来られたのですか」と尋ねると、「私は穀蔵院の封戸の税を徴収するために東国に下っていて、今帰京しているところです」と答えた。
このように互いに話し合っているうちに、夜も更けたので皆寝てしまった。

ところが、世継はその夜悪い夢を見てしまった。そこで、目覚めた後、是雄に、「私は、昨夜悪い夢を見ました。ところが、幸いにもあなたと同宿していました。この夢の吉凶を占っていただけないでしょうか」と頼んだ。
是雄は占ってみて、「あなたは明日家に帰ってはいけません。あなたに害を加えようとする者が、あなたの家にいます」と言った。しかし[ 世継 ]は、「私は長らく東国に行っていて、早く家に帰ろうと願っています。せっかくここまで帰って来て、ここで徒に日を過ごすことは出来ません。また、たくさんの官物や私物を持っています。どうして此処に留まっていることなど出来ましょう。そういうことですが、どうすればその難から逃れることが出来ますでしょうか」と言う。

是雄は、「あなたがどうしても明日家に帰ろうとするのでしたら、あなたを殺害しようとしている者は、家の丑寅(東北。鬼門に当たる)の隅に隠れてるはずです。そこで、あなたはまず家に帰り、荷物などを取り片付けした後、あなた一人で弓に矢をつがえて、丑寅の隅のそのような者が隠れていそうな所に向かって、弓を引き絞り狙いをつけてこう言いなさい。『おのれ、我が東国より帰って来るのを待ち受けて、今日我を殺害しようとしていることは、とっくに承知していることだ。さっさと出て参れ。出て来なければ射殺してしまうぞ』と。こう言えば、私の陰陽道の術をもって、姿は見えなくとも、自ずから事が発覚しましょう」と教えた。

[ 世継 ]は、こう教えてもらい、翌日急いで京に帰った。
家に帰り着くと、家の者は、「お帰りになった」と言って、大騒ぎして迎えた。[ 世継 ]一人は家に入らず、荷物などをみなそれぞれに片付けさせ、それから、弓に矢をつがえ、丑寅の隅の方に回ってみると、片隅に菰をかけた所があった。「此処だな」と思い、弓を引き絞り矢を差し向けて言った。「おのれ、我が帰京を待ち受けて、今日我を殺害しようとしているな。我は、そのことをとっくに知っているのだ。早く出てこい。出て来なければ、射殺してやる」と叫ぶと、菰の中から法師が一人出て来た。

直ちに従者を呼んでこの法師を捕縛させて問い詰めたが、言を左右して[ 白状しない ]。そこで拷問にかけると、ついに落ちて白状した。「もう隠しだてはしません。私の主人の僧が長い間こちらの奥方と深い仲になっておりましたが、今日あなたが帰って来られると聞いて、『帰宅を待ち受けて、必ず殺害せよ』と、こちらの奥方が仰せられたので、このように隠れておりましたが、すでに知られておりましたとは」と。
[ 世継 ]はこれを聞いて、自分の前世の報いが良くて、あの是雄と同宿することが出来たお蔭で命が助かったことを喜んだ。また、是雄が占ったことが正しかったことに感激し、まず是雄のいる方角に向かって拝礼した。
その後、法師を検非違使に引き渡した。妻とは、離縁した。

これを思うに、長年連れ添った妻といえども、心を許してはならない。女には、このような心を持つ者もいるのである。また、是雄の占いは不思議である。昔は、このように霊験あらたかな陰陽師がいたのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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* 文中の[ ]の部分は欠字部分である。他の文献や、推定により補記している。

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