雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

大荒れのお天気に ご注意

2020-01-07 20:07:26 | 日々これ好日

        『 大荒れのお天気に ご注意 』

     ほぼ全国的に 大荒れの天気が予報されている
     当地は まだ静かな状況だが
     夜半過ぎから風雨が強まり
     特に風は 台風並みになるらしい
     私宅も 特別な対策はしていないが
     お手柔らかに過ぎ去ってくれることを 祈るだけ

                     ☆☆☆

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新春 波高し

2020-01-06 19:14:20 | 日々これ好日

       『 新春 波高し 』

     
多くの会社で仕事始め
     内外共に 波高しの出だしとなった
     国内的には 経済犯の大物容疑者を国外に逃がし
     IRをめぐる不愉快な金の動きは どうやら汚職事件になりそう
     これらは 金をめぐるケチな事件だが
     中東では 一触即発の状態になりつつあるようだ
     波よ 静まれ

                      ☆☆☆

    

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穏やかな一年を願う

2020-01-05 18:21:41 | 日々これ好日

        『 穏やかな一年を願う 』

     
多くの企業などは 年末年始の休みも終わる
     明日からの日常が 穏やかな一年であることを願いたい
     ただ 国内では 汚職がらみの問題があり
     海外でも注目を浴びている容疑者に 大脱走を成功させてしまい
     中東では きな臭い状況が強まっている
     願うだけではどうにもなるまいが
     それでも 穏やかな一年であれ と願う

                  ☆☆☆

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雪山合戦

2020-01-05 08:36:26 | 麗しの枕草子物語

          麗しの枕草子物語
               雪山合戦
 

師走の十日過ぎのことでございます。
雪がたくさん降りましたので、女官たちに言いつけて縁に積み上げさせたりしていましたが、
「同じ集めるのなら、庭に本物の雪の山を作らせましょう」
と、私が申しますと、皆も賛同し、侍を呼んで中宮様のご命令として伝えたものですから、大勢の人が集まって来ました。

雪掻きのために来ていた主殿寮の官人たちなども一緒になって、高く積み上げていきました。
中宮職の官人たちも集まってきて、面白がっていろいろと口出ししたりしています。
そのうちに、はじめは三、四人だった主殿寮の官人の数は二十人程にもなり、さらに、非番で宿下がりしている者にまで呼び出しをかけたりしています。

「この雪の山を作るのに加わった者には、特別の手当てが下されるらしい。また、加わらない者には、今後の非番の日を減らされるらしい」
などと言って伝えてまわったものですから、あわてて参上してくる者もあります。
そして、大きな雪の山を作り上げましたので、中宮様は官人を通じて参加者全員に、絹一疋(二反)ずつ下されたものですから、皆大喜びで拝受していました。

さて、このあとが大変だったのです。
中宮様が見事に出来上った雪の山を御覧になりながら、
「これは、いつ頃まであるかしら」
と仰せになられますと、
「十日はあるでしょう」
「十日余りはあるでしょう」
と、女房たちは皆、ほんの短い期間を言うものですから、中宮様は私に、
「そなたは、どう思う」
と問われました。
「正月の十日余りまではございますでしょう」
と私が申し上げますと、「とても、そこまではあるまい」と中宮様も思われたご様子でした。

女房たちはそろって、
「年内、それも、とうてい大晦日まではもちますまい」
と言う。
さすがに私も、「少し長く言い過ぎたかな。『元日まで』くらいにすればよかった」と内心では思ったのですが、いったん口にしたことを取り消すのも悔しくて、ついつい強情を張ってしまい、言い争いになってしまいました。

二十日の頃に雨が降り、雪の山が消えるようなことはありませんが少し低くなったようです。
『白山の観音様、どうぞ消えさせないで下さい』などと祈るのですから、われながら正気の沙汰とは思われません。
雪の山は少しずつ低くなりながらも、無事年を越え、その元日の夜に雪がたくさん降ったものですから、「ああ、これでまた積み上がる」と喜んでいますと、中宮様は、
「これはよくない。あとから積もった分は掻き捨てよ」
と命じられるのです。

新しく積もった分を掻き取られて雪の山は、すっかり黒ずんで小さくなってしまいましたが、何とか十五日までもたせたいと祈っていましたが、
「とても、七日まででも難しいでしょう」
と他の女房たちは言いますし、
「何が何でもこの決着を見届けましょう」
と張り合ったりしていましたが、急に中宮様が、三日に内裏に入られることになりました。

「見届けられないのが残念」
などと女房たちや中宮様までがそうおっしゃられるのですが、私も、「見事に言い当てて中宮様に御覧頂きたい」と思っていましただけにまことに残念です。
雪の山のある庭を清掃などをしている木守と呼ばれている者が、築地のあたりに小屋を立てて住んでいたので、そこの女を呼び寄せて、自分たちがいない間、子供たちに踏まれたりしないようしっかり監視せよ、と申し付けました。
無事十五日まで雪の山が残っていたら褒美を出そう、と約束し、果物などを与えると大喜びで引き受けてくれました。

私は、七日までは中宮様にお供し、そのあとは宿下がりとなりました。
しかし、実家に戻っていても、夜が明けると、何はともあれ雪の山が気にかかり、毎日召し使っている者を見に行かせます。
十四日は、前の夜から雨が降り、消えてしまうのではないかと気をもんで、「あと一日、二日消えないで」と一日中言い嘆いているものですから、家の者は「とても正気とは思えない」と笑うのです。
最後に確認に行かせた者は、「座布団ほどは残っていて、明日、明後日くらいまでは大丈夫」と木守が言っていたと報告があり、その嬉しいこと。

明日になれば、歌を詠み、それを添えた雪を中宮様に献上しようと考えていますと、なかなか眠られず、まだ暗いうちから使いの者を雪を入れる折櫃を持って行かせました。
「汚れた所は取り払って、白くきれいな所を選んで入れるのだ」
と、こんこんと言い聞かせて行かせたのですが、その使いは早々と帰ってきて、
「とっくに消えてしまい何もありません」
と報告するのです。
何と言うことです。昨日はあれほど大丈夫だったというのに・・・。

私が嘆き悲しんでいますと、、内裏より中宮様の御手紙があり、
「さて、雪の山は、今日まであったのか」
と書いてあります。
「年も越せまいと言われていた雪の山は、昨日の夕暮までは確かにありましたので、よく頑張ったと思います。しかし、残念ながら、このままでは出来過ぎだということで、私に恨みを持っている者が取り捨ててしまって、何も残っておりません」
と中宮様に申し上げていただきたく、ご返事いたしました。

二十日になって内裏に参内しました時にも、中宮様の御前でこのことを話題にいたしました。
「毎日毎日気に掛けて、よき歌も詠もうと考えていましたのに、本当に残念です」
と、嘆きますと、中宮様は、
「これほど一心に思いつめていたのに、裏切ったりしたら罰があたりますねぇ。実は、雪を取り捨てよと命じたのは、私なのです。
確かに雪は残っていましたから、そなたの勝ちです」
と、仰せになる。
「どうして、そのように情けないことを・・・」
と、私がむきになって嘆きふさぎ込みますと、
「そなたは、『中宮が寵愛の女房だ』と聞いていたが、どうもあやしいな」
と、主上までがからかわれるのです・・・。

それにしても、この雪山合戦、なぜ私はこれほどむきになっていたのでしょうねぇ。
中宮様が雪を取り払わせたのも、女房たちの中で私が孤立するのを心配して下さったのでしょうに。


(第八十二段 職の御曹司に・・、より)

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ぽかぽか陽気に誘われて

2020-01-04 19:09:35 | 日々これ好日

        『 ぽかぽか陽気に誘われて 』

    
 当地は 元日以来 暖かな日が続いている
     ぽかぽか陽気に 誘われたというわけではないが
     しばらくぶりに しっかりと庭作業
     冬とはいえ しっかりと雑草は生え
     毎年庭を埋め尽くすほどになる ノースポールが 
     至る所に姿を現しており 一部は花も付けている
     その上に 玉スダレには 何と 毛虫までが姿を見せている
      退治するのは忍びなく・・・ どうしたものかなァ

                     ☆☆☆

 

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ぼつぼつ日常へ

2020-01-03 18:26:40 | 日々これ好日

         『 ぼつぼつ日常へ 』

     箱根駅伝は 青山学院が快勝
     大いに楽しませていただいたが 
     それと共に 三が日も終わりに
     ぼつぼつ日常に戻らねば
     ベルトが 大変・・・

            ☆☆☆

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今昔物語拾い読み 『その7』 ご案内

2020-01-03 13:20:15 | 今昔物語拾い読み ・ その7

        今昔物語拾い読み 『その7』 ご案内
  
   『その7』には、「巻26」から「巻28」までを収録しています。
     いずれも、本朝世俗部に位置付けられる部分です。
     「巻28」から逆になっていますが、いずれの巻も全話載せています。

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今昔物語 巻第二十八 ご案内

2020-01-03 12:43:46 | 今昔物語拾い読み ・ その7

        今昔物語 巻第二十八


巻第二十八は、本朝付世俗となっています。
内容は、世俗的なユーモラスな話が集められています。登場人物は社会の各層に渡っています。
全部で四十四話収録されていますが、単純明快な笑いが紹介されています。

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女にだらしない男 ・ 今昔物語 ( 28 - 1 )

2020-01-03 12:39:09 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          女にだらしない男 ・ 今昔物語 ( 28 - 1 )

今は昔、
如月(二月)の初午(ハツウマ)の日は、昔から京じゅうの上中下の多くの人が、稲荷詣でといって、こぞって伏見の稲荷神社に参詣する日である。

ところで、いつもの年より多くの人が参詣する年があった。
その日は、近衛府の舎人(トネリ・ここでは近衛府の官人で、将監以下の総称。)たちも参詣した。尾張の兼時、下野の公助、茨田(マムタ)の重方、秦の武員(タケカズ)、茨田の為国、軽部の公友などという世に知られた舎人たちが、餌袋(エブクロ・もともとは、鷹の餌を入れて鷹狩に携行した竹籠などを指したが、後には食物を入れて携行するのに用いられた。)、破子(ワリゴ・折箱状の容器。)、酒などを下人に持たせて、連なって出かけたが、中の御社近くまでくると、参詣に向かう人終えて帰る人が様々に行きかっていたが、とてもきれいに着飾った女に出会った。濃い紫のつや出しした上衣に、紅梅色や萌黄色の着物を重ね着して、なまめかしい様子で歩いている。

この舎人たちがやって来るのを見て女は、小走りに走り去って、木の下に立って隠れていると、舎人たちは気恥ずかしくなるような冗談を言い、あるいは近づいて下から女の顔を見ようとしながら通り過ぎて行ったが、中でも重方はもともと好き者でいつも妻に焼きもちをやかれては、知らぬ存ぜぬなどと言い争っているような男なので、特に立ち止まって目を離さずに女について行き、近くに寄って細やかに口説いた。
女は、「奥様をお持ちの方が、行きずりの人に出来心でおっしゃられることなど、聞く人の方がおかしいですわ」と答えたが、その声も実に魅力的であった。

重方が、「我君々々(アガキミアガキミ・「もし、あなた」といった呼びかけ)。おっしゃるように、つまらない妻は持っていますが、顔は猿のようで、心は物売り女(品性下劣な女の例え)のようなので、『離縁しよう』と思いますが、たちまちに綻(ホコロ)びを縫う者がいなくなるのも困るので、もしも『好意が持てそうな人に出会ったら、そちらの人に移ろう』と本気で思っていましたので、このように申すのです」と言うと、女は、「それは実のことでございますか。冗談をおっしゃっているのですか」と尋ねた。
重方は、「この御社の神もお聞きください。長年願っていた事であることを。『こうして参詣した甲斐があって、神様がお授け下さった』と思いますと、大変嬉しくてなりません。それで、あなたはひとり身でございますか。また、どちらのお方なのでしょうか」と尋ねた。
女は、「私も同じように、これといった夫はおりませんので、宮仕えをしておりましたが、夫がやめよというのでやめましたが、その人は田舎で亡くなってしまいましたので、この三年は、『頼みとなる人が現れますように』と思って、この御社に参詣していたのです。本当にわたしに好意をお持ちくださるなら、わたしの住いをお教えいたしましょう。いえいえ、そうとは申しましても、行きずりの人のおっしゃることを真に受けるなんて愚かなことですわ。早くお行き下さい。私も失礼いたします」と言って、さっさと行ってしまおうとするので、重方は、手を擦り合わせて額に当てて、女の胸の辺りに烏帽子をくっつけるようにして、「御神さま助けたまえ。そのような情けないことを聞かせないでください。今すぐに、ここからあなたの住いに参り、わが家には二度と足を踏み入れません」と言って、頭を低くして拝み倒すと、女は、その髻(モトドリ・髪を頭上で束ねたもの)を烏帽子の上からむんずと掴むと、重方の頬を山が響くほどにひっぱたいた。

重方はびっくりして、「これは、何をなさる」と言って、顔を上げて女の顔を見ると、なんと、自分の妻が姿を変えていたのである。
重方は仰天しながら、「そなたは、気でも狂ったのか」と言うと、妻は、「お前さまこそ、どうしてこんな恥知らずなことをするのですか。ご一緒の方々が、『あなたの主人は、油断も隙もありませんぞ』といつも来ては教えてくれていましたが、『わたしに焼きもちをやかせるために言っているのだ』と思って信じていませんでしたが、本当のことを教えてくれていたのですね。お前さまが言うように、今日からわたしの所に来ようものなら、この御社の神罰で矢傷を受けることになりましょうぞ。どうしてあんなことを言われたのか。その横っ面をぶち欠いて、往き来の人に見せて笑わせてあげよう。この恥知らず」と言い立てる。
重方は、「そんなにわめきたてるなよ。まったくお前の言う通りだ」とにこにこ顔でなだめたが、全く許すそぶりさえない。

一方、他の舎人たちはこの騒動を知らず、参道の先の小高い崖に登り立ち、「どうして田府生(デンフショウ・重方のこと。「田」は「茨田」の唐風の略称。「府生」は近衛府などの下級官僚のこと。)は遅れているのだ」と言いながら振り返って見ると、女と取り組んで立っている。
舎人たちは、「何事が始まったのか」と言って、引き返して近寄って見ると、妻に打ちすえられて立っていた。そこで舎人たちは、「よくなさったものだ。だから、いつもも申し上げていたでしょう」とほめそやすと、妻はこう言われて、「この方々のご覧の通り、お前さまの本性が明らかになったようですね」と言うと、髻を掴んでいた手を離したので、重方は烏帽子のくしゃくしゃになったのを直しながら上の方にお参りに行った。
女は重方の後ろ姿に、「お前さまはその惚れた女の所に行きなさるがいい。もし、わたしの所に来ようものなら、きっとその足を打ち折ってやるからね」と言って、下の方に降りて行った。

さて、その後、妻があのように言っていたのに、重方は家に帰ってきて盛んに機嫌を取ったので、妻の怒りもおさまってきたので、重方が、「そなたはやはりこの重方の妻なので、あれほど厳しいことが出来たんだなあ」と言うと、妻は、「うるさいわね、この愚か者が。目の不自由な者のように、妻の気配も見分けられず、声も聞き分けられずに馬鹿をさらして人に笑われるとは、なんと呆れたことではありませんか」と言って、妻にも笑われた。
その後、この事が世間の評判になって、若い公達(キンダチ・貴公子。摂関、大臣、上達部などの貴族の子弟の称。)などの笑い者にされたので、若い公達がいる所では、重方は逃げ隠れするのであった。

その妻は、重方が亡くなった後、女ざかりの年頃となり、別の人の妻となっていた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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勇者にも弱点 ・ 今昔物語 ( 28 - 2 )

2020-01-03 12:37:32 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          勇者にも弱点 ・ 今昔物語 ( 28 - 2 )

今は昔、
摂津守源頼光朝臣(ミナモトノヨリミツアソン・藤原道長の家人で、酒呑童子退治などで有名。)の郎等に、平貞道、平季武、坂田公時という三人の武士がいた。いずれも、容姿堂々としていて、武芸に優れ、肝が太く、思慮もあり、難のつけようのない者たちであった。
そこで、東国でも度々優れた活躍をして、人々に恐れられる武士どもだったので、摂津守もこの三人に目を掛け、自分の身辺において重用していた。

さて、賀茂の祭りの返さの日(カエサノヒ・賀茂際の二日目。斎王が上社の神館から斎院に還る大行列が華麗で人気が高かった。)、この三人の武士が話し合い、「何とかして今日の行列を見物したいものだ」と手はずを考えたが、「馬を連ねて紫野へ行くのは、いかにも見苦しい。徒歩で顔を隠して行くわけにもいくまい。行列はぜひとも見たいが、どうしたものだろう」と嘆いていると、一人が、「それでは、某大徳(ナニガシノダイトク・大徳は有徳の僧。)の車を借りて、それに乗って見に行こう」と言った。また別の一人は、「乗り慣れぬ車に乗って行って、高貴な方々に出会って、車から引き落とされて、つまらぬ死に方をするかもしれないぞ」と言った。もう一人は、「下簾(シタスダレ・牛車の前後の簾の内側にかけて垂らす絹布。)を垂らして、女車のようにして見物するのはどうだろうか」と言った。
他の二人の者が、「それは良い考えだ」ということになり、一人が提案した大徳の車をすぐに借りてきた。下簾を垂らし、この三人の武士は、粗末な紺の水干(スイカン・狩衣を簡素化した物)の袴などを着たまま乗った。履物などは皆車の中に取り入れて、三人は袖も出さずに乗ったので、どんなに素敵な女房が乗っているのかと思わせるような車になった。

さて、紫野の方向に向かって車を走らせて行ったが、三人ともこれまでに車に乗ったことのない者どもなので、箱の蓋に何かを入れて振ったかのようになって、三人とも振り回されて、ある者は立板に頭を打ち付け、あるいは互いに頬をぶつけ合って仰向けに倒れ、うつ伏せになって転ぶなど、とてもたまったものではなかった。
こんな状態で行くうちに、三人ともに車酔いしてしまって、踏板(フミイタ・車の出入り口にあるやや広い横板)に汚物を吐き散らし、烏帽子も落としてしまった。(当時、烏帽子を落とすことは、極めて不作法で見苦しいふるまいとされた。)
牛はすこぶるの逸物で、力まかせに引いて行くので、三人は訛り丸出しの声で、「それほど速く走らせるな、走らせるな」と叫んでいると、同じ道を続いてくる車や、それについて来る徒歩の雑色(下人)どもも、この声を聞いて怪しみ、「あの女房車には、どんな人が乗っているのか。東国の雁が鳴き合っているようで、よくさえずることだ。(欠字あり、一部推定。)何とも不思議な事だ。『東国の田舎娘が見物に来たのだろう』と思われるが、声は太く男の声のようだなあ」と、まったくわけがわからなかった。

こうして、紫野に行き着き、牛をはずして車を立てたが、余りに早く着きすぎたので、行列が渡るのを待っている間、この者どもは、車酔いがひどく気分が悪くなり、目が回って何もかもが逆さに見えた。ひどく酔っているため、三人ともうつ伏せになって寝込んでしまった。

そうしているうちに、行列が通りかかったが、三人とも死んだように寝込んでいる状態なので、まったく気づかないうちに終わってしまった。
行列が終わったので、それぞれの車に牛を繋ぎ、帰り支度で騒いでいる時になって意識がはっきりしてきた。しかし、気分は悪く、寝込んでいて行列を見ていないので、腹立たしく悔しくて仕方なかったが、「帰りの車を来る時のように飛ばされたら、我らは生きてはおれんぞ。千人の敵兵の中に馬を走らせて飛び入ることは、常に行っていることで恐れなどしない。ただ、貧乏くさい牛飼い童の奴一人に身を任せて、かくもひどい目に遭わされるのは、何の役にも立たない。またこの車に乗って帰れば、我らの命は危いぞ。されば、今しばらくはここにいよう。そして大路に人がいなくなってから歩いて帰る方が良い」と決めて、人並みが堪えてから、三人とも車から降り、車だけ先に帰した。その後、皆[ 欠字あり。「沓」などか? ]を履き、烏帽子を鼻先までずらし、扇で顔を隠して、摂津守の一条の家に帰って行った。

これは、平季武が後に語った話である。「勇猛な武者といえども、牛車での戦は無用のことである。これより後は、すっかり懲りてしまい牛車の近くには近寄らぬようにしたものだ」と述懐していた。
されば、勇猛で思慮深い武士たちであるが、それまでに一度も牛車に乗ったことのない者どもだったので、このように哀れに車酔いしてしまったのは馬鹿げたことである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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