マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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長谷町十九夜講

2011年01月15日 06時33分44秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市の東山中、田原や月ヶ瀬、山添村にかけて婦人たちによって営まれる十九夜講がある。

そのほとんどが如意輪観音の前に座って十九夜和讃を唱えているそうだ。

長谷町もその一角にある山麓地。

夕食を済ませた婦人たちが当番の家に集まってきた。

一同が揃うと座敷に座り和讃を唱える。

灯明に火を点けるが導師もなく自然に始まった。

鉦もないので拍子は取りにくいだろうと思えるが調子は合っている。



「きみょうちょうらい十九やの ゆらいをくわしくた(ず)ねれば にょいりんぼさつのせいぐわんに あめのふるよもふらぬよも いかなるしんのくらきよも いとわずたがわずけたいなき 十九やみどうへまいるべし とらの2月29日 十九やねんぶつはじまりて 十九やねんぶつ申すなり 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛」の一番に続いて二番を唱えていった。

長谷町の垣内組の十九夜講は10人。

今夜は7人が和讃を唱えた。

床の間に掛けた掛け軸は「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)」だった。

明治16年に寄進されたとする記銘が記されている。

廃仏毀釈の関係なのだろうか「木花開耶姫命」を祀るのは珍しい。

如意輪菩薩と同じように安産を願い婦人たちを守ることには変わりはないのだろう。

10年も前は食事の膳はイロゴハンが炊かれていた。

オアゲにチクワ、ニンジン、ゴボウを醤油、味醂で味付けして炒めた。

それをご飯に入れて炊いた。それがイロゴハンだった。

自宅で漬けた漬け物は欠かせなかった。

女性だけに色どりはそうとう考えたという。

2月、9月と12月の19日に営む十九夜講は親しみを込めてじゅうくや(十九夜)さんとも呼ばれている。

以前は6月だったが農繁期が落ち着く9月に移したそうだ。

「木花開耶姫命」の前には季節のお花を添えて樒を供える。

塩、洗い米とお菓子も置かれている。

和讃を終えるとお菓子を摘んでお茶にする。

経費と手間を省いてそうしているという。

話題はさまざま。年末に近くなったことで正月飾りやイタダキサン、十二月のモチなどが・・。

「うちの家ではこんなんしているけどあんたとこは違うんや」と微妙な違いに気付かれた。

家の作法にはそれぞれの作法があるようだ。

ある家ではフクマンをしているそうだ。

正月の0時を過ぎたころ、表に出て松のジンに火を点ける。

クリの木を持って田んぼに向かう。そこでクリの木を挿す。

その間はありとあらゆる家の戸を開ける。

フクを迎える風習のようだ。

このとき「フクマルさん フクマルさん ここにおわす どこにおわす」の台詞を言いながら田んぼに向かうという。

フクを迎えた主人が帰るまで家人は待つ。

帰ってきたらそこで「よーこそ よーこそ」と言って戸を閉める。

話の内容からすればどうやら歳神さんを招くような作法のようだ。

フクマンはおそらくフクマルさんが短くなって訛ったものと推測される。

東山中で語られる福丸さんの様相がここに一つある。

正月迎えの話題にはもう一つあった。

藁で編んだ棒の先っぽを90度折る。

それは杓子のような、それとも手のような形状だという。

2日の日にはそこにモチを入れる。

特別な名称はなくシメナワだという。

それをしているのは1軒。

もう1軒あったが今はしていないという。

あまり見かけない形状だけに興味をそそる。

正月の話題は旦那の話へと転回した。

実は十九夜講が営まれる同月には男性が集まる伊勢講がある。

伊勢講は16日。

その日には「次はどこどこで炊くんやな」と言えば3日後の十九夜講のこと。

講の回りは異なるが旦那衆の家が当番の家。

婦人が集まる座敷には旦那は顔をださないように、伊勢講のときも逆に婦人は顔を見せない。

それぞれの営みなのであろう。

当番の家では「炊く」と表現するようだ。

その伊勢講にはごちそうが出る。

スキ焼きがメインでキズシがつく。

お刺身も2品あるそうだ。

近年には2月を廃止した。

それに合わそうかと相談する婦人たち。



嫁入りして姑さんの後を継いできた十九夜講。

「若い人はここにはおらへんしこの先はどうなるやろ」と湿っぽい話題なのに笑い顔が絶えない明るい婦人たちに元気印が沸いてくる。

(H22.12.19 EOS40D撮影)