マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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畑屋カンジョ

2011年01月13日 08時07分18秒 | 大淀町へ
本居宣長が江戸時代に書き記した畑屋の街道。

吉野の土田から大淀町の畑屋を抜けて高取の壺阪寺に向かったとあるそうだ。

往古を忍ばせる畑屋の細い道には年末にカンジョが掛けられる。

カンジョとは、勧請縄のことであろう。

集落から下ったその場所はカンジョと呼ばれている。

左右の崖に植生する樹木に縄を括り付け川から畑へ掛ける縄はとても長くおよそ60メートルにもあるという。

カンジョを作るのは山の頂に鎮座する天水分神社の宮座講の人たちだ。

宮座講は東の講と西の講に分かれている。

それぞれの講の地区に分かれてカンジョを作る。

東の講は5軒。西の講は6軒。

それぞれは8軒、9軒だった。

転居や継ぐ家長が居なくなりいつしか軒数も減っていったそうだ。

午前中の2時間もかかってカンジョをこしらえる。

モチ藁を撚って長くしたカンジョは30メートル。

川、道巾が広いのでそれでは足らない。

カンジョはそれぞれの地区が作って継ぎ合わせて60メートルにするのだ。

その縄には八つの房を取り付ける。

房は長く垂らした足が4本。

その間に杉の枝葉を4本通す。

一番下には幣がつけられる。

村を守っている八大龍王を祀るから房は8本だと話す東の長老。

その房はコカンジョと呼ばれている。小の字を充てるのであろう。

コカンジョを作るのは長老。

特に決まりはないが「不器用やから編むのはしっかりした人でないと」と話した。そう言うのは東の講も西の講も話すことに違いがない。

出来上がればカンジョをグルグル巻きにして中央にコカンジョを置く。

床の間の前に置いて洗い米、塩を供えて灯明に火を点ける。



ところが西の講はできあがると梯子に載せる。

ユニークな場所に置かれるが灯明やお供えはない。

東の講では村の安全を祈ってからパック詰め料理の会食をよばれる。

そこは年番のトーヤの家だ。

トーヤの漢字は当屋が充てられる。

毎年交替するトーヤ、東は5軒だから5年回り、西は6年回りだ。

軒数が少なくなってきたので回りが早くなったという。

平成11年に改正されるまでは会食は高膳だった。

コンニャクなどを炊いた煮染め料理もあったそうだ。

カンジョの日は1月5日だった。

それは改正されて、新年会が重なる年始を避けて集まりやすい年末になった。

会食を済ませた講衆。

同期をとるために東の講へ「西の講が出発する」と伝えてカンジョの場で落ち合う。



そのときには若い人たちも加わった。

崖に登って括り付けるのは力仕事。

電柱までよじ登らなければならない。

若い力が必要なカンジョ掛けなのだ。

樹木に端を括り付けて中央で拠って合わせる。

コカンジョはそれぞれ等間隔で括り付ける。

東は東、西は西のコカンジョを取り付ける。

その辺りで良いだろうと声が掛かれば一方の端を引っ張ってカンジョの縄が一直線になった。

日差しを浴びてコカンジョが風に揺らぐ。

村の共同作業は1時間ほどで終えた。



昔に疫病が流行った。カンジョを掛けたら畑屋の村だけは疫病が来なかったという伝説があるカンジョ掛け。

「若いもんがおらんようになったらやめようか」と思ってはいるものの、「止めたら何が起きるかわからん」から継承してきた。

これからの行く末が心配だと話す両講の長老も掛け終われば満足げな顔で自宅に戻っていった。

(H22.12.19 EOS40D撮影)