マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ドウゲの聞き覚書

2013年03月02日 09時37分44秒 | 楽しみにしておこうっと
大塩の年中行事に度々訪問した2年間。

今回引き継がれた二人のドウゲさんから随分と教わった。

お聞きした行事はさまざまで、話者が話した行事は私にとって重要な課題。

今後の取材のために覚書として記しておく。

10月30日は八柱神社の神送り。

その一か月後の11月30日に戻ってくる神さん。

両日とも籠りをするという。

かつては社守(宮守)だけが参籠して籠ったそうだが、今は年番のドウゲも加わる。

それも夫婦で籠るというのである。

珍しい形態である。

一方、社守といえば家族総出だ。

曾孫まで連れてくるというから相当なものだ。

11月17日に近い日曜日はテンノウのマツリ。

天王祭の呼称があるマツリは村中が夕刻に集まってくるそうだ。

八柱神社はかつて八王子社と呼ばれていた。

八王子社はスサノオノミコトを祀る社。

子供が8人いたかた八王子。

八柱神社の年中行事に含まれないテンノウのマツリであろう。

伊勢講の営みは4月と12月の16日。

現在はその日に近い日曜日で4組の講中が八柱神社に集まる村行事として行われている。

Fさんが話したシオセ講。

神野山の塩瀬にある地蔵さんを奉る講中である。

シオセ講は一年に2回のお参り。

4月と9月の23日に近い日曜日だそうだ。

12月31日の大晦日の晩。

年越え参りが行われる。

村の若い人たちが作った竹灯り。

本数は多い。

数年前から始まった年越えの灯り作りだ。

かがり火を焚いて参拝する人を迎える竹灯り。

石の階段一つ一つに置く灯りの標。

家族総出で参る人が多くなったそうだ。

その日の晩はフクマルさんを行っている。

除夜の鐘が鳴る前の時間帯。

今年一年のお礼と来年も福が来ますようにと祈るフクマルさん。

一束の藁を持って家を出る。

坂道を下った辻に置く。

ウラジロを広げて1個のニギリメシを供える。

東に向かって手を合わす。

その際に唱える詞が「フクマルコッコー」。

これを3回繰り返す。

真っ暗な辻で行うフクマルさんの風習だ。

暗い道を戻るには火が要る。

マメギの束に火を点けて戻ってくる。

マメギはタイマツとも呼ぶ灯りである。

フクマルさんの灯りは家に戻って竃の火にする。

正月の雑煮を炊く火である。

正月の雑煮はカシライモの雑煮にキナコを塗して食べるキナコ雑煮をしていると云う。

カシの木はヒバシにする。

それを「オンボサン」と呼ぶ。

落葉樹のシデの木の生木を囲炉裏に燃やすという具合で行っているKさんのフクマルさんは拝見したいものである。

年明けの夜。

昔は井戸の若水を汲んで正月の雑煮を作ったというKさん。

1月7日は山の神に参る

朝は早くて陽が昇る前の6時だ。

人に会わないように出かけるという。

大塩では各垣内の4か所で山の神参りがあるそうだが、K家がある垣内は4戸の集落。

藁を敷いて半紙を広げる。

そこに青竹を立てる。

中央に1本で周囲が4本。

四隅に立てる。

中央の竹は周囲より高くしてミカンを挿す。

ミカンはコウジミカンだ。

コウジミカンは山添村各地であったそうだが種類は3種類。

キンコウジ、ワセコウジ、ツチコウジの三種があったと云う。

敷いた半紙にクシガキ、クリ、トコロイモ、ヒシモチと山の神さんのモチ1個を供える。

そのモチは参ったのちに家へ持ち帰り七草粥に入れる。

七草粥を食べる前日は七草菜のナッパキリの作法があった。

当主の記憶ではまな板に置いたナズナを包丁で切る際に唱えていたのはおばあさん。

「・・・なんとかのトリ・・」の台詞があったそうだ。

それはともかく山の神の場でのカギヒキ。

カシの木はフクラソと呼ぶ樹木に引っかけてカギヒキをする。

フクラソの別名はフクラシだと話す。

「ニシノクニノイトワタ ヒガシノクニノゼニトコメ アカウシニツンデ ウチノクラヘ エントヤー エントヤー」と云いながらカギを引く。

山の神に参る途中で藁のフクダワラを4本作る。

1本は山の神のカギに取り付ける。

3本は参ったあとに家へ持ち帰る。

男の数だというフクダワラには山で拾った小石を1個ずつ入れておく。

参ったあとは家に戻るが、その道中でカシの木を伐って持ち帰る。

その本数も男の人数分の3本である。

それをキリゾメ(伐る初め)と呼ぶ。

12月31日はカシの木のキリオサメ。

山の仕事納めの伐り納めだそうだ。

帰るまでに囲炉裏をホソの生葉を燃やしておく。

煙が立ち上がる。

その煙はビンボウ神だというが、行為は新しい福の神を迎える作法だそうだ。

伐りとって持って帰ったカシの木は家の前庭に立て掛ける。

こうして終えた7日の山の神参り。

その日の午後はシモゴエ。

溜まっている肥えを田んぼに捨てる風習があったそうだ。

1月14日(平成25年)はブトノクチ。

ブトノクチとも呼ぶ家の風習は夜ご飯を食べ終わったあとにしている。

ブトクスベは綿の肌着を藁で巻いて火を点ける。

夏の仕事をしているときに腰に挿して仕事をしていた。

日常の生活だったようだ。

ブトノクチはとんどの前日。

モチを千切って囲炉裏にくべる。

「ハチノハリ ムカデノクチ ハミノクチ サシタリカブレタリ ミナヤケヨ」と云いながらモチ片を焼く。

元々は小正月の15日に行っていたがハッピーマンデーとなった成人の日に合わせているブトノクチは家族が揃って行っているそうだ。

かつては「ナルカナランカ」の風習をしていたというKさん。

「ナルカナランカ ナタヘンカッタラ キッテシマウ」と云えば「ナリマス ナリマス」と相方が答える。

その風習は1月15日だった。

三又になっているカキの木にナタをあてて木肌の皮を剥く。

傷を付けるような感じだった。

姉さんがナタで伐って「ナルカナランカ」をすれば弟のKさんが「ナリマス」を勤めた。

5歳くらいの頃だったという光景は60年も前のこと。

「ナルカナランカ」のカキの木にはゼンザイのモチをくっつけた。

木肌に虫が入る行為だという。

そういった話をしてくれたK家。

1面に六百束。

4面あるから相当な量の萱を葺いた家があった。

平成14年までは萱葺き家だったK家。

建て替えた際に発見された棟木に文字があった「寛保元年(1741)酉歳(六月)」。

拝見した棟木に「奉修五大導秘法新宅長久子孫繁榮処」とある。

270年間も住んでいたという屋敷は40年に一度が葺き替え。

20年に一度は挿し替えをしていた。

40cmぐらいに一段ずつで26段に挿したという萱葺き家は県立民俗博物館の職員が頼みに来たという。

博物館が建設された当時というから昭和47、8年ぐらいの頃。

建て替える際には連絡してほしいと云われていたのでそうした。

ところが博物館の工事は進行していた。

そう民俗博物館に残されている民家群。

すでに移築工事が始まっていた。

時すでに遅しで話しは破談になった。

六八の間取りと呼ぶ家は六畳八間。

珍しかったそうだ。

当時の面影は写真に納めて残したと話す当主が続けて話す。

ドングリの実を採った木。

木の内部を刳り抜いて竹を挿し込んだ。

キセルのような形にしてタバコを吸った。

刳り抜き工具はヒゴノカミ(肥後守)。

懐かしい道具である。

同年代のご主人と話が合う子供の頃の作業は手刀だった。

目出度いときや不幸ごとの際に手伝いをするヨリキ制度がある。

ヨリキは与力の漢字であろうか。

5軒の分家筋のヨリキは祭礼の進行を采配する重要な役どころ。

大塩、月瀬、波多野(村)、岩屋、春日ではヨリキ制度があるが東山(村)に行けばそれは無いと云う。

(H24.12.23 EOS40D撮影)