マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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柏木町素盞嗚神社の正月飾り

2013年03月06日 06時51分02秒 | 大和郡山市へ
柏木町のマツリは10月17日と18日。

とんどは2月1日と決まっていると話すO氏。

氏神さん付近を中心にした10数軒の旧村集落。

北側はインキョと呼ぶ分家が建ち並ぶ。

Oさんが知る限りでも15軒の旧村は新興住宅が増えて氏子入り。

今では27軒になるという。

2年前から新町の人もトーヤ入りした。

そのトーヤが飾る素盞嗚神社の門松飾り。

前日辺りに立てたそうだ。

前年には砂盛りした上に松竹梅の門松を立てていた。

今年はロープで縛った箱の台。

松はオンとメンマツ。

3段の枝をもつ松が基本だというがトーヤによってはそれを知らずに立てているようだ。

かつてのトーヤは農家だけであった。

稲を育てていた時代は神社の神田があった。

神社行事の初行事は1月17日の祈年祭。

終わりが12月の第一日曜日に行われる新嘗祭で一年を終える。

こうして終えた村の正月迎えが門松立て、砂モチと思われる砂盛りや砂の道であった。

農家であったトーヤのときの注連縄はゴンボであった。

この年も細長いゴンボの注連縄ではあるが、もう一つの注連縄もある。

それはどう見ても市販のようにかっしりとした製品だと思った。

昨年に訪れたときの神社は鬱蒼としていた。

この日は風通し、見通しもすっきりとした境内になっていた。

話によれば十津川村から専門の植木師に来てもらって伐採したという。

奇麗な砂はバケツで佐保川から掬って神社に運んだ。

1杯は神社の砂盛り。

もう1杯は家に運んで玄関に砂を撒いて隣近所の家々を繋いでいた砂の道。

佐保川土木の要請もあって中断した砂運び。

それと同時に砂の道が消えたという。

かつてのとんどは境内でしていた。

それから神社下の四ツ辻に移ったが危ないからといって貸してくれた田んぼの空き地になった。

とんどの櫓や火点けは役員が行う。

昔は朝の7時だった。

今では時間をずらして朝8時。

前回は使わなくなった太鼓台も一緒に燃やした。

太鼓台は昭和10年に村の婦人たち4人が寄進したもの。

作ったが担ぐことはまったくなかった。

その後も少子化の時代を経たが村の人数は増えなかった。

今後も担ぐことはないだろうと無用の太鼓台を燃やしたというのだ。

今年の1月31日に拝見した太鼓台は写真に残された。

Oさんは浄土宗光明寺の檀家役員。

寺住職が亡くなったあとを継いだのは娘さん。

2年間の修行の身であるという。

寺行事に正月の初祈祷、11月にはアズキガユが出される十夜もあるという。

(H24.12.28 EOS40D撮影)