かのえ(庚)の申の日は山の神参り。
御所市鴨神の申講(さるごう)の行事である。
申講は7軒の営み。
11月になったときもあったそうだが基本は12月初めの庚申の日。
申の日が2回ある年は月初め。
3回あるときは中日に行っている。
昼に集まって集めた御供を大釜で炊いている。
セキハンとも呼んでいるアズキメシだ。
御供は子供たちが米や小豆を集落を巡っていただいてきた。
大西垣内は20戸ほど。
巡る時間は1時間もかかるという。
本来は山の神参りをする前週の日曜日であるが、庚申の日の関係で12月初めの日曜日になったと話す講中。
今年の冬はよく降る雪の日。
これまでに3回も積もったというから寒い年だ。
今月初めに行われた西佐味水野の隣垣内になる鴨神大西垣内はそれほど遠くない。

百メートルも離れてない垣内であるが、山の神さんに向かう道中では「やーまのかーみの、おろおろー」と唱和する鴨神申講の山の神。
ミニチュア農具のクワ、スキ、マングワ、カラスキに山仕事の道具のカマ、ナタ、オノに片足の藁草鞋などは水引きで括り付けた笹御幣。

それを持つ当家を先頭に申講の人たちが向う先は山の神。
山の神さんが奉られている地はクロバラ。
小字の名である。
ヤマノカミと云う地ではなくクロバラである。
小字ヤマガミは大西集落のもっと上のほうだったと話す。
葛城川の最上流。
その下流に架けた木橋を跨ぐ。

上流はかつて御所ナガレと呼ばれる大規模な土砂崩れがあったそうだ。
F氏の元屋敷はナガレに合わなかったものの、危険な地だと判断されて西に移したという。
そこがカワハラだったという。
「やーまのかーみの、おろおろー」の2番手は2時間もかけて大釜で焚いたアズキメシ(セキハンとも)を桶に入れて抱えていく。
洗い米、塩、生サバなどの神饌持ちも続く行列。かつては子供もついていたそうだ。

山の神には3年前に奉ったスキ、クワ、カマにナタが残っていた。
幣や竹の神酒筒は朽ちていたが農具山具は奇麗な姿で残っていたのだ。
昨年に奉ったマングワもある。
手の込んだ組立型の農具である。
カーブが難しかったというカマもある。
年番の当家さんが作る山の神の仕事道具個数に決まりはないと話す講中は7軒。
かつての藁草履は両足の一足だった。
大きさは今の倍ほどもあった長さ20cm。
藁草履の鼻緒は締めない。
山の神さんはあわてん坊だから中途半端にしておくと云う。
御供を供えて灯明に火を灯す。

山の神の祠の前で山の仕事の安全や豊作に感謝する祈りを捧げて「身潔祓詞(みそぎはらへのことば)」を唱える。
参ったあとはその場で直会。

供えたアズキメシ手で受けて口にする。
手御供(てごく)と呼ぶ作法である。
作業場に戻れば村の人たちが重箱や鍋を持ってきてアズキメシを詰める。
山の神さんのありがたいメシである。

今では作業場であるが、7、8年前までは当家の家だったそうだ。
講中の一人は上頭講(じょうとうこう)の一員でもある。
昔は20軒もあった上頭講も今では7軒。
秋祭りには「ごへいがまいるぞー おへー」と鴨神に鎮座する高鴨神社に向けて出発する際に唱和する。
鴨神は佐味郷と呼ばれ東佐味・西佐味・鴨神下・鴨神上の4カ大字からなる地域。
それぞれに講中がある。
平成19年に取材させていただいた講中は鴨神上の戌亥講。
唱和は「よろこびの よろこびの ごへいがまいる うわーはーはい」であった。
唱和は道中の所々の辻でもするそうだ。
かつては一番を勤めたという上頭講。
「ごへいがまいるぞー おへー」の唱和に続いて「もうひとつや もうひとつや おへー」と返す台詞もあるという。
昼はトーヤの家でヨバレ。
酒をどっぷり飲んでから出発するらしい。
(H24.12.25 EOS40D撮影)
御所市鴨神の申講(さるごう)の行事である。
申講は7軒の営み。
11月になったときもあったそうだが基本は12月初めの庚申の日。
申の日が2回ある年は月初め。
3回あるときは中日に行っている。
昼に集まって集めた御供を大釜で炊いている。
セキハンとも呼んでいるアズキメシだ。
御供は子供たちが米や小豆を集落を巡っていただいてきた。
大西垣内は20戸ほど。
巡る時間は1時間もかかるという。
本来は山の神参りをする前週の日曜日であるが、庚申の日の関係で12月初めの日曜日になったと話す講中。
今年の冬はよく降る雪の日。
これまでに3回も積もったというから寒い年だ。
今月初めに行われた西佐味水野の隣垣内になる鴨神大西垣内はそれほど遠くない。

百メートルも離れてない垣内であるが、山の神さんに向かう道中では「やーまのかーみの、おろおろー」と唱和する鴨神申講の山の神。
ミニチュア農具のクワ、スキ、マングワ、カラスキに山仕事の道具のカマ、ナタ、オノに片足の藁草鞋などは水引きで括り付けた笹御幣。

それを持つ当家を先頭に申講の人たちが向う先は山の神。
山の神さんが奉られている地はクロバラ。
小字の名である。
ヤマノカミと云う地ではなくクロバラである。
小字ヤマガミは大西集落のもっと上のほうだったと話す。
葛城川の最上流。
その下流に架けた木橋を跨ぐ。

上流はかつて御所ナガレと呼ばれる大規模な土砂崩れがあったそうだ。
F氏の元屋敷はナガレに合わなかったものの、危険な地だと判断されて西に移したという。
そこがカワハラだったという。
「やーまのかーみの、おろおろー」の2番手は2時間もかけて大釜で焚いたアズキメシ(セキハンとも)を桶に入れて抱えていく。
洗い米、塩、生サバなどの神饌持ちも続く行列。かつては子供もついていたそうだ。

山の神には3年前に奉ったスキ、クワ、カマにナタが残っていた。
幣や竹の神酒筒は朽ちていたが農具山具は奇麗な姿で残っていたのだ。
昨年に奉ったマングワもある。
手の込んだ組立型の農具である。
カーブが難しかったというカマもある。
年番の当家さんが作る山の神の仕事道具個数に決まりはないと話す講中は7軒。
かつての藁草履は両足の一足だった。
大きさは今の倍ほどもあった長さ20cm。
藁草履の鼻緒は締めない。
山の神さんはあわてん坊だから中途半端にしておくと云う。
御供を供えて灯明に火を灯す。

山の神の祠の前で山の仕事の安全や豊作に感謝する祈りを捧げて「身潔祓詞(みそぎはらへのことば)」を唱える。
参ったあとはその場で直会。

供えたアズキメシ手で受けて口にする。
手御供(てごく)と呼ぶ作法である。
作業場に戻れば村の人たちが重箱や鍋を持ってきてアズキメシを詰める。
山の神さんのありがたいメシである。

今では作業場であるが、7、8年前までは当家の家だったそうだ。
講中の一人は上頭講(じょうとうこう)の一員でもある。
昔は20軒もあった上頭講も今では7軒。
秋祭りには「ごへいがまいるぞー おへー」と鴨神に鎮座する高鴨神社に向けて出発する際に唱和する。
鴨神は佐味郷と呼ばれ東佐味・西佐味・鴨神下・鴨神上の4カ大字からなる地域。
それぞれに講中がある。
平成19年に取材させていただいた講中は鴨神上の戌亥講。
唱和は「よろこびの よろこびの ごへいがまいる うわーはーはい」であった。
唱和は道中の所々の辻でもするそうだ。
かつては一番を勤めたという上頭講。
「ごへいがまいるぞー おへー」の唱和に続いて「もうひとつや もうひとつや おへー」と返す台詞もあるという。
昼はトーヤの家でヨバレ。
酒をどっぷり飲んでから出発するらしい。
(H24.12.25 EOS40D撮影)