1月7日は福貴畑(ふきはた)の座の行事。
座小屋で営む座中の正月の座のようだ。
8日はカンジョカケが行われる。
杵築神社の座小屋で勧請縄作り。
かつては伊勢音頭を唄いながら縄を結っていたそうだ。
縄ができあがれば神社から南東のカンジョ場に縄を掛ける。
そこへ行くまでの道中では太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしていたというSさん。
神社には幕はあるもののどなたも居なかった。
集落を抜けて歩いていたときのことだ。
住まいから出てこられた男性にすがるように声を掛けた。
その答えがそれであった。
神社の行事に秋の祭りがある。
座中の籠りだそうだ。
座中の営みは年に2回。
そのひとつが7日であるようだ。
神社営みを司る宮守(総代)さんを紹介したいと案内してくださったが、あいにくの不在。
平群町福貴畑ではかつて雨乞いがあった。
それを示す神社の史料。
わざわざ家の中から探し出してくださった。
その史料に載っている巫女さんの姿はまぎれもない三郷の巫女さんだ。
ジョウサン池と呼ばれる地に龍王神社がある。
そこで行われる祭祀は湯立ての神事。
雨乞いの場は今ではしなくなったが慈雨を想定する湯立て神事がある。
後日に宮総代から聞いた行事に観音堂で行われる観音祭がある。
西荘にあった薬師院の別院だったとされる観音堂で唱和されるご詠歌のことだ。
一般的には観音講の婦人たちが唱える西国三十三番のご詠歌であるが福貴畑では御湯を勤める龍田の巫女さんがご詠歌を唱えるというのだ。
珍しい形式であるが全曲は唱えない。
一番から10番辺りまでだそうだ。
福貴畑ではなにかにつけてモチを搗いていた。
子供ができたらモチを搗く。
男は「大」の文字で女の子なら「小」の文字を書く。
モチは親戚中に配ったそうだ。
4月3日は神武さんのレンゾがあった。
福貴畑には数組の伊勢講があった。
3年に一度はお伊勢さんに参拝していた。
講中は組ごとに寄りあっていた。
当番の家では手料理を作って接待していたという。

なお、神社案内にあった一観音六地蔵石仏は永禄十一年(1568)の作だそうだ。
珍しい形式である。
(H25. 1. 4 SB932SH撮影)
座小屋で営む座中の正月の座のようだ。
8日はカンジョカケが行われる。
杵築神社の座小屋で勧請縄作り。
かつては伊勢音頭を唄いながら縄を結っていたそうだ。
縄ができあがれば神社から南東のカンジョ場に縄を掛ける。
そこへ行くまでの道中では太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしていたというSさん。
神社には幕はあるもののどなたも居なかった。
集落を抜けて歩いていたときのことだ。
住まいから出てこられた男性にすがるように声を掛けた。
その答えがそれであった。
神社の行事に秋の祭りがある。
座中の籠りだそうだ。
座中の営みは年に2回。
そのひとつが7日であるようだ。
神社営みを司る宮守(総代)さんを紹介したいと案内してくださったが、あいにくの不在。
平群町福貴畑ではかつて雨乞いがあった。
それを示す神社の史料。
わざわざ家の中から探し出してくださった。
その史料に載っている巫女さんの姿はまぎれもない三郷の巫女さんだ。
ジョウサン池と呼ばれる地に龍王神社がある。
そこで行われる祭祀は湯立ての神事。
雨乞いの場は今ではしなくなったが慈雨を想定する湯立て神事がある。
後日に宮総代から聞いた行事に観音堂で行われる観音祭がある。
西荘にあった薬師院の別院だったとされる観音堂で唱和されるご詠歌のことだ。
一般的には観音講の婦人たちが唱える西国三十三番のご詠歌であるが福貴畑では御湯を勤める龍田の巫女さんがご詠歌を唱えるというのだ。
珍しい形式であるが全曲は唱えない。
一番から10番辺りまでだそうだ。
福貴畑ではなにかにつけてモチを搗いていた。
子供ができたらモチを搗く。
男は「大」の文字で女の子なら「小」の文字を書く。
モチは親戚中に配ったそうだ。
4月3日は神武さんのレンゾがあった。
福貴畑には数組の伊勢講があった。
3年に一度はお伊勢さんに参拝していた。
講中は組ごとに寄りあっていた。
当番の家では手料理を作って接待していたという。

なお、神社案内にあった一観音六地蔵石仏は永禄十一年(1568)の作だそうだ。
珍しい形式である。
(H25. 1. 4 SB932SH撮影)