マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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信貴畑の勧請縄掛け

2013年03月27日 06時55分16秒 | 平群町へ
正月三が日を過ごした村の人たち。

この日は朝早く集まって勧請縄を結う。

かつては1月5日に勧請掛けを行っていたが、集まりやすい4日にすることが多くなったという。

この日を決定するのは信貴畑の評議員。

2時間ほどかけて勧請縄を結っていく。

正月初めの挨拶は「おめでとうございます」からだ。

まずはお神酒を飲んでからだと景気をつける。

持参した縄結い用の藁はモチワラ。

百姓を生業とされている2軒に頼んで分けてもらった。

ワラのシビを取って奇麗にする。

槌で叩いて柔らかくする。

2束の藁を先に捩って間に突っ込む。

重ねるようにして左捩じりに右巻き。

藁束を足たして結っていく。

昔は3人が立って身体ごと捩って結っていた。

10年前に役員を勤めたNさんはそう話す。

太さはこの年よりももっと太かったと云う作業は水平にすれば捩る手の力が決め手。

数人がかりで作っていく。

縄作りは村の役員。

任期は2年だそうだ。

総替えではなく数人が継続する。

そうでなければ縄の作り方が継承できないという。

勧請縄の長さはおよそ6m。

いくらかの間隔をあけて藁の房を取り付ける。

一方、勧請縄にはサカキの房も取り付ける。



サカキは3段或いは5段にして外れないように綱で括る。

特に決まりはないが4段は避けると話すMさん。

タレ(垂れ)とも云うようだがサカキの房は二つ。

勧請縄も2本結った。

サカキの房や縄に紙垂れも取り付ける。

これをアシだと呼ぶ信貴畑の人たち。

勧請縄が出来あがればカンジョ場に出かける。

最初に出向いたのは作業の場からすぐ近くの「勧請の地」。

天文二十一年(1552)作の舟形の十三仏の石板彫りと室町時代前半の作とされる舟形光背の如来座像石仏が安置されている地である。

勧請の地を囲むように樹木が立つ。



その中の2本に渡して掛けた勧請縄。

お神酒などお供えをして手を合わせる。



供えた洗い米と塩を付近に撒いてカンジョ場を祓い清めた。

勧請縄掛けはもう1カ所ある。

作業場から北の方にあるカンジョの場はドンダニ。

漢字で充てれば堂谷と呼ぶ村外れ。

車で向うには周回して丸尾垣内辺りから迂回しなければならない廻り道。

歩いたほうが早いと話す。

辿りついたドンダニは急峻な深い谷。

かつては丸尾垣内へ抜ける里道(りどう)だったそうだ。



30年前まではドンダニに跨げて掛ける道切りだった。

掛ける樹木がなくなり崖面にしているという勧請縄掛けを済まして手を合わせる。



これで総代の役目も終わったとほっとされたMさん。

信貴畑には森、辻、芝、山角(やまかど)など各垣内に地蔵さんがあるという。

村を守っている地蔵さんのマツリは10月18日、20日、23日のそれぞれの垣内の日程だそうだ。

勧請の地の勧請縄もおそらく道切りであったろう。

下から風とともに村に災いが上がってこないように願う平群町信貴畑の勧請縄の道切りは地蔵さんとともに村を守る行事であった。

(H25. 1. 4 EOS40D撮影)