マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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外川町八幡神社の砂の道

2013年03月23日 07時30分02秒 | 大和郡山市へ
東村のツナウチを終えて立ち寄った外川町。

数年前に池之内の植島宮司から聞いていた砂の道。

八幡神社には大晦日に砂の道を敷いていたと話していた。

それはどのような状態であるのか現認する必要があると思えて訪れた昨年は見られなかった。

しかしその日は30日。

まだ早かったのである。



砂の道は鳥居から参道の階段中央を描く一本の道。

砂の道は本殿まで続いている。



拝殿前からは小宮と思われる大鷦鷯(おおさざき)社へ繋いだ砂の道もある。

機会があれば尋ねてみたい外川の砂の道である。

外川の地を含めて大和郡山市内では5か所も現存していることが判明した。

一つは二日前の大晦日に拝見した新庄町の出屋敷にあたる鉾立の鉾立神社だ。

その他に観音寺町の八幡宮野垣内町の若宮社白土町の白坂神社である。

郡山ではかつて砂の道を敷いていた地域が多数あった。

高田町、天井町、伊豆七条町、横田町、番条町、井戸野町、新庄町本村、発志院町、小南町、池之内町、椎木町、額田部町、馬司町、長安寺町、八条町である。

広い範囲で行われていた砂の道は神さんが通る道。

郡山以外の市町村の川西町北吐田、田原本町西代の八阪神社、田原本町唐古の神明社、田原本町宮古、天理市備前の天皇神社、天理市南六条の杵築神社、奈良市の旧辰市、橿原市の葛本であったと聞き及ぶ。

これらのすべてが盆地部。

山間では砂の道の話題を聞くことがない。

(H25. 1. 2 EOS40D撮影)