誓多林町では大晦日に八阪神社へカラスドンノモチを供えるというN家の風習がある。
テンノウサンとも呼ばれる八阪神社に垂らす注連縄と共にツツジの木の枝にモチを付けて供える。
閏年のときは13個にするという。
テンノウサンと呼ぶ八阪神社は小社。
かつては牛頭天王社と呼ばれていたのであろう。
誓多林町は旧柳生街道沿いに連なる村々。
白砂川上流から上誓多林、中誓多林、下誓多林地区が東西に点在している。
カラスドンノモチを供えるN家は中誓多林だ。
ここの本社は永正11年(1514)に創建された八柱神社である。
八阪神社はそこより数十メートル離れた地に鎮座する。
家からは目と鼻の先だ。
前日に搗いた正月のモチ。
カガミモチはエベッサン、アマテラスに供える。
他にも一年の月数とするツキノカズノモチもある。
それは例年であるなら12個だが閏の年は13個だ。
オオバン、コバンの重ねモチはウラジロの葉を広げて載せる。
それらをお膳に乗せて前にお金を並べる。
不自由せんようにと、1円、5円、10円、50円、100円、500円、千円、5千円、一万円とそれぞれの貨幣を並べる。
「センマイ センマイ」と云いながら、頭の上にあげるお膳は正月の膳である。
奉る方角はアキの方角。
家人一人ずつ、順にその行為をする。
男性が先で次に女性の順だ。
床の間の「トクトクシン」に向かって「いただきしょうか」と云って始める正月の作法である。
それら正月のモチを搗いたときに残りの柔らかいモチをツツジに挿したカラスドンノモチ。

輪っかにしたウラジロの〆縄とともに持ってお参りをするご主人。
〆縄は小社の中に納めてカラスドンノモチは前に立てる。
手を合わせて拝むテンノウサン。
そうした風習をされているのは我が家だけのようだと話す。
しばらくすればカラスが飛んできた。
お参りしていたのをじっと見ていたのであろうか。
毎年のお参りに必ずといっていいほどやってくるカラスドンは人が去るのを待っているようだ。
こうした風習は奈良市長谷町の住民N家でもされていたが供えたのは前庭の樹木。
藁棒の内部にモチを詰め込んで樹木にぶら下げる。
山に住む野鳥が食べるというカラスノモチであった。
一方、天理市の藤井町でも行われている。
宮本六人衆の一人であるNさんの外庭で見られたカラスノモチである。
30日に搗いた正月のモチ。
その残りを小さくちぎって木の枝の先に挿す。
モチの数は12個だ。
四角い升に入れて庭に出る。
そして「カラコ カラコ モチやるわ ザクロ三つと替えことしょ」と言って枝に挿す。
閏の年はカラスドンノモチと同様に13個にする。
山の鳥獣らに施しをするモチは主にカラスが食べにくると云っていた。
供えたときの台詞にザクロがある。
何故にザクロを交換するのか意味は判らないと話していた。
奈良市都祁の小山戸で聞いたカラスノモチにも台詞がある。
クワの上にモチを12個入れて、クリの木かカキの木の下に置いた。
その際に唱えた台詞が「カラスコイ モチヤルゾ ジャクロミッツト カイコトショ」である。
正月用のモチを搗いたときにしていたそうだ。
「ジャクロ」はザクロ。
ここでも三つ交換する。
なにかのまじないではないだろうか。
カラスのモチは平坦盆地部においてもその風習があった。
天理市の楢町である。
『楢町史』によれば、昭和初期までは正月のモチに「カラスノモチ」があった。
13個作るというから閏年の月の数であろう。
「カラスノモチ」は「カラスこい、カラスこい」と云って、ゴンゲンさまの使いのカラスにモチをやっていようだ。
(H24.12.31 EOS40D撮影)
テンノウサンとも呼ばれる八阪神社に垂らす注連縄と共にツツジの木の枝にモチを付けて供える。
閏年のときは13個にするという。
テンノウサンと呼ぶ八阪神社は小社。
かつては牛頭天王社と呼ばれていたのであろう。
誓多林町は旧柳生街道沿いに連なる村々。
白砂川上流から上誓多林、中誓多林、下誓多林地区が東西に点在している。
カラスドンノモチを供えるN家は中誓多林だ。
ここの本社は永正11年(1514)に創建された八柱神社である。
八阪神社はそこより数十メートル離れた地に鎮座する。
家からは目と鼻の先だ。
前日に搗いた正月のモチ。
カガミモチはエベッサン、アマテラスに供える。
他にも一年の月数とするツキノカズノモチもある。
それは例年であるなら12個だが閏の年は13個だ。
オオバン、コバンの重ねモチはウラジロの葉を広げて載せる。
それらをお膳に乗せて前にお金を並べる。
不自由せんようにと、1円、5円、10円、50円、100円、500円、千円、5千円、一万円とそれぞれの貨幣を並べる。
「センマイ センマイ」と云いながら、頭の上にあげるお膳は正月の膳である。
奉る方角はアキの方角。
家人一人ずつ、順にその行為をする。
男性が先で次に女性の順だ。
床の間の「トクトクシン」に向かって「いただきしょうか」と云って始める正月の作法である。
それら正月のモチを搗いたときに残りの柔らかいモチをツツジに挿したカラスドンノモチ。

輪っかにしたウラジロの〆縄とともに持ってお参りをするご主人。
〆縄は小社の中に納めてカラスドンノモチは前に立てる。
手を合わせて拝むテンノウサン。
そうした風習をされているのは我が家だけのようだと話す。
しばらくすればカラスが飛んできた。
お参りしていたのをじっと見ていたのであろうか。
毎年のお参りに必ずといっていいほどやってくるカラスドンは人が去るのを待っているようだ。
こうした風習は奈良市長谷町の住民N家でもされていたが供えたのは前庭の樹木。
藁棒の内部にモチを詰め込んで樹木にぶら下げる。
山に住む野鳥が食べるというカラスノモチであった。
一方、天理市の藤井町でも行われている。
宮本六人衆の一人であるNさんの外庭で見られたカラスノモチである。
30日に搗いた正月のモチ。
その残りを小さくちぎって木の枝の先に挿す。
モチの数は12個だ。
四角い升に入れて庭に出る。
そして「カラコ カラコ モチやるわ ザクロ三つと替えことしょ」と言って枝に挿す。
閏の年はカラスドンノモチと同様に13個にする。
山の鳥獣らに施しをするモチは主にカラスが食べにくると云っていた。
供えたときの台詞にザクロがある。
何故にザクロを交換するのか意味は判らないと話していた。
奈良市都祁の小山戸で聞いたカラスノモチにも台詞がある。
クワの上にモチを12個入れて、クリの木かカキの木の下に置いた。
その際に唱えた台詞が「カラスコイ モチヤルゾ ジャクロミッツト カイコトショ」である。
正月用のモチを搗いたときにしていたそうだ。
「ジャクロ」はザクロ。
ここでも三つ交換する。
なにかのまじないではないだろうか。
カラスのモチは平坦盆地部においてもその風習があった。
天理市の楢町である。
『楢町史』によれば、昭和初期までは正月のモチに「カラスノモチ」があった。
13個作るというから閏年の月の数であろう。
「カラスノモチ」は「カラスこい、カラスこい」と云って、ゴンゲンさまの使いのカラスにモチをやっていようだ。
(H24.12.31 EOS40D撮影)