週一ペースの心臓リハビリ運動。
運動すれば脈拍は上がる。
何もしない安静状態であれば38-42拍の脈拍。
急激な変化は認められない。
毎日の食後に測る血圧と脈拍だ。
それから1時間ほど経過してから自宅周辺を早足で歩く歩行リハビリ。
一回りして戻ればだいたいが45拍になる。
そんな状況の毎日に耐えられそうにない自分がいる。
この日も週一の心臓リハビリ運動に病院へ向かう。
バス、電車を乗り継いで外来棟に着く。
うけつけを済ませて備えつけの測定器で測る。
血圧は135-70で脈拍は42拍だ。
毎回、にこやかに接してくださるGリハビリ療法士。
開口一番に伝えられた前週8日の身体状況。
主治医の循環器内科医師に伝えられた状況は、肺に水も溜まっていたに映像は良し、ヘモグロビン値は12.3でこれもまたデータ良し。
すべて良しだったという。
特に、BNPの値が大幅に改善していると云う。
1月の診察時では496.1。
2月の状況は約半分の253.1。
8日は大きく下回って、なんと、なんとの二桁台の87.4になっていた。
決めては利尿剤の効用ではなく自分自身の心臓が元気を取り戻している証拠だそうだ。
2月3日から増強した利尿剤はラシックスとアルダクトンA。
昼食後に各1錠ずつ服用する。
その効果もあると思うのだが、そうではないとGリハビリ療法士が云う。
BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。
心臓の負荷が増えるとか、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。
値が高いほど心臓が良くない状態であるが、数値が二桁台になったということは心臓自身が負荷もかからず、身体的な負担が大幅に減少したということだ。
数値が示す通りに身体は軽く、足取りも伸びやかに動くようにはなったが、脈拍がねえということだ。
いつもの通りの準備体操にストレッチ運動。
脈拍は45-48拍に上昇する。
場合によれば50-55拍にもなることがある運動時の脈拍だ。
そうしてスタートしたウォーキングマシーン。
エルダーウォークタイプのルームランナー器械に乗る。
そのときの脈拍は48拍だ。
スロースタートした直後から時速4kmの早さで回転自走する。
脈拍は145-60で脈拍は57-59拍に上昇する。
ほどよくスタートして15分間。
身体はやや「楽」に反応する。
調子は良いということで時速4.5kmにアップされた。
血圧は133-59。
脈拍は58-61拍。
数分間経過して負荷がかかれば60-61拍にもなる。
ラストの3分間の血圧は145-62になったが、脈拍もそれに連れたのか61-64拍にもなった。
本日、やっとこさの汗がにじむ。
26分間の器械リハビリ運動を終えてフリーになる。
そのときの脈拍は48-52拍。
急激な落ち込みはなく、数分後も下がらず、もち続けていた。
本日の切り上げはいつになく早かった
。間に合うかもしれないバスダイヤ。
その前に済ませておく会計支払い。
受け取った整理番号は1636番。
そのときの時刻は午後2時40分。
会計済み番号は1593番だった。
ということは43人待ち。
結局待ったのは20分間だった。
大慌てで器械利用のクレジット支払いをする。
そしてバスの停留所に行く。
玄関を出たところにある停留所には待ち人多し。
間に合ったのだが、時間がきても到着しない。
3分遅れのバスに乗って電車駅に着いたとたんに発車した。
帰宅したら勤務先より電話があったとかーさんが云う。
院長からの電話があるということはおそらく・・。
前年12月初めにアブレーション焼却処置をしたものの脈拍の上昇は見られず車の運転は禁じられた。
前週に伝えられた主治医の指示。
近距離、単独運転、自己責任の条件で運転許可が出されたが、送迎の場合は許可されなかった。
万が一のことが発生する危険性があるということだ。
許可される目標脈拍値は50拍台だったが、未だに到達どころか、ほとんど変化していない状況にある。
仕事場には事情を伝えて待ってもらっていたが、そうはできなくなった。
相方のドライバーさんに負担をかけている状態は我慢できる範囲を越えたようだ。
私の復帰は願いたいところだが、もう待てない状況にきたということだ。
一旦は退職をしてもらいたいという通告である。
アルバイトの身では休職扱いは手続き上ない。
一身上の理由で退職届け(願い)を提出願いたいということだった。
そりゃそうだろと思う。
脈拍が正常に戻って復職願いは・・・相談に応じるが、そのときの事情で約束はできない。
それもそうだ。
送迎の仕事はすごくあっていた。
送迎しているときに話す患者さんとの会話でずいぶんと育ててもらったような気がする。
健康である限り、70歳の定年満了まではと思ってきたが、残念な勧告を受け止めなければならない。
不本意ではあるが、仕方がない。
よくぞ待ってくださったことに感謝する。
ただ、3カ月間もガンバってきたがぷつんと糸が切れたようだ。
その後の数日間。
勤めの執着心は薄れて、精神的な気持ちは吹っ切れた。
それから5日後の新聞チラシ。
送迎ドライバー募集が出ていた。
(H28. 3.15 SB932SH撮影)
運動すれば脈拍は上がる。
何もしない安静状態であれば38-42拍の脈拍。
急激な変化は認められない。
毎日の食後に測る血圧と脈拍だ。
それから1時間ほど経過してから自宅周辺を早足で歩く歩行リハビリ。
一回りして戻ればだいたいが45拍になる。
そんな状況の毎日に耐えられそうにない自分がいる。
この日も週一の心臓リハビリ運動に病院へ向かう。
バス、電車を乗り継いで外来棟に着く。
うけつけを済ませて備えつけの測定器で測る。
血圧は135-70で脈拍は42拍だ。
毎回、にこやかに接してくださるGリハビリ療法士。
開口一番に伝えられた前週8日の身体状況。
主治医の循環器内科医師に伝えられた状況は、肺に水も溜まっていたに映像は良し、ヘモグロビン値は12.3でこれもまたデータ良し。
すべて良しだったという。
特に、BNPの値が大幅に改善していると云う。
1月の診察時では496.1。
2月の状況は約半分の253.1。
8日は大きく下回って、なんと、なんとの二桁台の87.4になっていた。
決めては利尿剤の効用ではなく自分自身の心臓が元気を取り戻している証拠だそうだ。
2月3日から増強した利尿剤はラシックスとアルダクトンA。
昼食後に各1錠ずつ服用する。
その効果もあると思うのだが、そうではないとGリハビリ療法士が云う。
BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。
心臓の負荷が増えるとか、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。
値が高いほど心臓が良くない状態であるが、数値が二桁台になったということは心臓自身が負荷もかからず、身体的な負担が大幅に減少したということだ。
数値が示す通りに身体は軽く、足取りも伸びやかに動くようにはなったが、脈拍がねえということだ。
いつもの通りの準備体操にストレッチ運動。
脈拍は45-48拍に上昇する。
場合によれば50-55拍にもなることがある運動時の脈拍だ。
そうしてスタートしたウォーキングマシーン。
エルダーウォークタイプのルームランナー器械に乗る。
そのときの脈拍は48拍だ。
スロースタートした直後から時速4kmの早さで回転自走する。
脈拍は145-60で脈拍は57-59拍に上昇する。
ほどよくスタートして15分間。
身体はやや「楽」に反応する。
調子は良いということで時速4.5kmにアップされた。
血圧は133-59。
脈拍は58-61拍。
数分間経過して負荷がかかれば60-61拍にもなる。
ラストの3分間の血圧は145-62になったが、脈拍もそれに連れたのか61-64拍にもなった。
本日、やっとこさの汗がにじむ。
26分間の器械リハビリ運動を終えてフリーになる。
そのときの脈拍は48-52拍。
急激な落ち込みはなく、数分後も下がらず、もち続けていた。
本日の切り上げはいつになく早かった
。間に合うかもしれないバスダイヤ。
その前に済ませておく会計支払い。
受け取った整理番号は1636番。
そのときの時刻は午後2時40分。
会計済み番号は1593番だった。
ということは43人待ち。
結局待ったのは20分間だった。
大慌てで器械利用のクレジット支払いをする。
そしてバスの停留所に行く。
玄関を出たところにある停留所には待ち人多し。
間に合ったのだが、時間がきても到着しない。
3分遅れのバスに乗って電車駅に着いたとたんに発車した。
帰宅したら勤務先より電話があったとかーさんが云う。
院長からの電話があるということはおそらく・・。
前年12月初めにアブレーション焼却処置をしたものの脈拍の上昇は見られず車の運転は禁じられた。
前週に伝えられた主治医の指示。
近距離、単独運転、自己責任の条件で運転許可が出されたが、送迎の場合は許可されなかった。
万が一のことが発生する危険性があるということだ。
許可される目標脈拍値は50拍台だったが、未だに到達どころか、ほとんど変化していない状況にある。
仕事場には事情を伝えて待ってもらっていたが、そうはできなくなった。
相方のドライバーさんに負担をかけている状態は我慢できる範囲を越えたようだ。
私の復帰は願いたいところだが、もう待てない状況にきたということだ。
一旦は退職をしてもらいたいという通告である。
アルバイトの身では休職扱いは手続き上ない。
一身上の理由で退職届け(願い)を提出願いたいということだった。
そりゃそうだろと思う。
脈拍が正常に戻って復職願いは・・・相談に応じるが、そのときの事情で約束はできない。
それもそうだ。
送迎の仕事はすごくあっていた。
送迎しているときに話す患者さんとの会話でずいぶんと育ててもらったような気がする。
健康である限り、70歳の定年満了まではと思ってきたが、残念な勧告を受け止めなければならない。
不本意ではあるが、仕方がない。
よくぞ待ってくださったことに感謝する。
ただ、3カ月間もガンバってきたがぷつんと糸が切れたようだ。
その後の数日間。
勤めの執着心は薄れて、精神的な気持ちは吹っ切れた。
それから5日後の新聞チラシ。
送迎ドライバー募集が出ていた。
(H28. 3.15 SB932SH撮影)