今和次郎の考現学がまずは出てくる。筆者も早稲田でつながりがある。吉阪先生ともつながりがある。大正期には銀座で女性の洋装は1%だったそうだ。「邦文タイプライター及びタイピスト」は1915年発明の邦文(和文)タイプライター( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%96%87%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC )のタイピストで、契約書類などの清書を業務としていたようだ。この和文タイプライターは院生の頃、研究室でアンケート用紙を作るのに使ったが、文字を探して打ち込み修正がきかないという難物であった。ワープロがないときはこれしかなかった。また、当時の契約書などはカーボン複写の和紙などもあり修正は手書きで双方押印であった。
閑話休題、邦文タイピストは洋装で職業婦人の走りである。事務服の独身で、職場の花ともなったが、1923年には丸ビルのタイピストだった「ジャンダークのお君」は「ハート団」を組織し、丸ビルに出入りする青年を弄び、強盗や恐喝、美人局も繰り返していたとある。タイピストとは「あられもない性の乱舞と描いたり」とある。一部の現象を大げさに言っているような感があるが証明はない。
タイプや電話の騒音が問題になり、ガス・マスクのような小型酸素ボンベ付「思考絶縁器」、「携帯式事務机電話ブース」などが発明されたとある。きっと、新たなものは五月蝿いものになっていたのだろう。タイプライターの騒音カバーもあったようだ。
始めオフィスの隅か窓際に分散していたタイピスト席はタイピスト部屋に集約され、女性の集会所ともなり、「女の園」、「処女林」と呼ばれたとある。仕事の依頼や締切など社内折衝が必要だったようだ。
お昼は、社食もあり弁当が多かったようだ。高島屋では「センノ字」、「有久」とある。おかずも「買ってきた茹でた筍と竹輪を前夜の魚の煮汁で煮てお菜」とある。別の本で、下町に勤める職業婦人がお昼に油揚げと玉子を醤油で煮たのをおかずにするというのがあった。(出典失念、ご存じの方はご教授下さい)油揚げを開いて中に玉子を入れて煮たのだろうか(あぶ玉というのが今もある)玉子が安くなってからの時代だろう。
職業婦人は結婚前が当然で生計か、自立か、なんとなくかに分かれるとのこと。智能、技術、肉体労働に分けているがこれは男も同じだろう。
セクハラとか女性は補助者とか職場の花とかは当初からあったようだ、楽しい著作だ
閑話休題、邦文タイピストは洋装で職業婦人の走りである。事務服の独身で、職場の花ともなったが、1923年には丸ビルのタイピストだった「ジャンダークのお君」は「ハート団」を組織し、丸ビルに出入りする青年を弄び、強盗や恐喝、美人局も繰り返していたとある。タイピストとは「あられもない性の乱舞と描いたり」とある。一部の現象を大げさに言っているような感があるが証明はない。
タイプや電話の騒音が問題になり、ガス・マスクのような小型酸素ボンベ付「思考絶縁器」、「携帯式事務机電話ブース」などが発明されたとある。きっと、新たなものは五月蝿いものになっていたのだろう。タイプライターの騒音カバーもあったようだ。
始めオフィスの隅か窓際に分散していたタイピスト席はタイピスト部屋に集約され、女性の集会所ともなり、「女の園」、「処女林」と呼ばれたとある。仕事の依頼や締切など社内折衝が必要だったようだ。
お昼は、社食もあり弁当が多かったようだ。高島屋では「センノ字」、「有久」とある。おかずも「買ってきた茹でた筍と竹輪を前夜の魚の煮汁で煮てお菜」とある。別の本で、下町に勤める職業婦人がお昼に油揚げと玉子を醤油で煮たのをおかずにするというのがあった。(出典失念、ご存じの方はご教授下さい)油揚げを開いて中に玉子を入れて煮たのだろうか(あぶ玉というのが今もある)玉子が安くなってからの時代だろう。
職業婦人は結婚前が当然で生計か、自立か、なんとなくかに分かれるとのこと。智能、技術、肉体労働に分けているがこれは男も同じだろう。
セクハラとか女性は補助者とか職場の花とかは当初からあったようだ、楽しい著作だ