都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

京のまちづくりセミナー「秀吉大改造:マクロとミクロ」(高橋康夫):歴史からの変容

2014-06-19 05:36:52 | 都市計画
 連続セミナーだが、歴史の教授であり都市計画や都市経済の観点は薄い。今回の知見は:
・秀吉は権利関係を整理し、所有者秀吉、利用者の関係に整理
・土地関係整理が裏地や路地の活用に至った
・平安京のスケール(40丈角)を突抜け(南北)や辻子でヒューマン・スケールに
・京都の1間(京間 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%96%93 )は6尺5寸が基本(なお、秀吉の検地は6尺3寸 http://www.osaka-keiryo.jp/story/images/pdf/story_2_01.pdf )
・京都を身分と用途地域で再編
・秀吉は巨大好き:聚楽第、御土居(交通を遮断の機能か)は囲郭都市化と都市の範囲を決定
・人口は5万人が秀吉の大改造で10万、そして30万人に拡大。なお御土居内部を2100ha(3㎞×7㎞)とすると140人/haであり、現在のDID人口密度98人/haを上回っている( http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000115/115733/masterplan-chapter2.pdf )
→都市インフラ、特に排水がどうだったのかが疑問→質問したところ「背割り排水があったのでは、フロイスの記録では「綺麗な水」との感想だった」、当方から「大坂と同じようなものか」と聞くと「大坂は専門でないからよくわからない」との返答。上水は当然井戸とのこと。ならば何で江戸の神田川上水や明治の琵琶湖疏水になったのか歴史的連続性の説明にはなっていない。
→土木史研究に平安京の排水がある( http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1999/19-0271.pdf )、しかし秀吉の時代には街路も狭く今と同じになっており排水は明確ではない。このあたりの研究は都市経済と歴史の狭間だ。(当方はやる気がありません、なお、都市開発の高度利用とインフラ整備は常識ですので、秀吉も何らかの対策をしたのかも知れない)

 散漫な内容で出版の紹介もあり結構不満が残る内容。ジャレド・ダイアモンドなどの大風呂敷とは大いに違う歴史の解説。「唐獅子図屏風」の話も退屈だった。
コメント
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