都市と楽しみ

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学芸セミナー 野村勘治庭園シリーズ第6回 謡曲庭園を語る(1) 黎明期~過渡期:謡曲と庭の関連は新たな視点で楽しめた

2018-02-06 03:06:04 | 京都

 能楽の謡曲に関連する庭園を「謡曲庭園」と新たな定義だ。

謡曲「鶴亀」について:

 曼殊院門跡( http://www.manshuinmonzeki.jp/ )で、桂離宮を造園した智仁天皇の皇子が関わり、遠州の弟子の作とされる枯山水の「鶴亀の庭」。亀島と鶴島が明らか。間に入る紀州青石の見事な石橋と立石。鶴亀石は金閣にもあるが、金閣から眺める小さなものだが形が良いとのこと。金閣に上がり見る機会はまずない。

 桂離宮の本歌取りで、引手も瓢箪(酒)、扇子(舞)、欄間の卍くずし、木瓜形(桂のかろき瓜に関連)の欄間などがある。特に、欄間下の板目を波に見立て、先が三つ割れの富士形の釘隠しなど細部が凝っている。花菱模様の修学院離宮でも比叡山を富士山に見立て三保の松原としている

 曼殊院型のキリシタン灯籠は、宮前型で笠が反り、桂離宮の御輿寄の灯籠と同じ形というが、これは違うのでは。曼殊院型は笠がむくりに見える。石がすり減ったのか。

 さらに、一二三の桟は桂離宮の月波楼(裏に面する障子の腰板)にも使われるとの知見は貴重だ。

 霧島躑躅も桂離宮などに多く、天皇家ゆかり。北野天満宮との関連で梅林がある。

 茶室も松琴亭に似るという。建物も庭も遠州好みが凝縮している。桂離宮でも松琴亭前に鶴と亀が天の橋立に架かる石橋の両側にあると指摘。

 事例として:

 醍醐寺三宝院では鶴亀石の先に豊臣の神社を隠す

 金地院では鶴亀石の先に蓬莱山を模す

 西本願寺では鶴亀石の先に親鸞聖人の本堂を望む

と、庭、鶴亀石、三尊石以外のパターンも例示

 庫裏の入口の唐破風には「媚竈(びそう:尊くても実力のない者の機嫌をとるより、低い地位でも実権を握る者(竈)の機嫌をとるほうが得策)」の良尚法親王の額。

 謡曲「石橋(しゃくけう、しゃっきょう)」について:

「名古屋城二之丸庭園」。徳川家のテーマである、獅子と牡丹(唐獅子牡丹)は東照宮や唐門に多用される。

 秘境の渓谷に架かる自然の石橋がモチーフで、これを再現している。

 徳川の関ヶ原戦勝記念庭園として関ヶ原の赤坂山、獅子石、牡丹石をめぐる、アミューズメント・パークとの結論。

 能はよく知らないが、江戸時代は武士の嗜みだったそうだ。これを知らないと江戸詰めでの社交ができないという。文化は相互に関連する網のような関係だ。

 お世話になっている、前田さんと中木さんに還暦の絵葉書をお渡し喜ばれる。合わせて事務局の伏木さんに0.4㎜の芯を数ダースほどお渡しする。(昔は色々書いて図面を引くと思ったらパソコン)一生分だとこれも喜ばれる。

 あまりの寒さ(ほぼ一日0度、テニス・コートも雪でクローズ)に、道路の氷結懸念もあり自転車をやめて地下鉄にする。歩くのはなかなか快適。

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