結局、良く寝た。長雨らしく、降りやむことがない。傘が邪魔だがしょうがない。(この後晴れた、暑い位だった)6時に起きて、着替えやパソコンを動かして調子が出る。7時半からのホテルの朝食に8時から出かけて、例によって特製BLT作成にいそしむ。ハムとベーコンがうまい、茹で卵の黄身2個を崩して、トースト・ライ・ブレッドにバター、マスタードにBLT(レタスがなくトマトを大量、これがうまい)。エスプレッソもうまい。オレンジ・ジュース2種類がうまい。チュロスも温めて初めて食べたが油っこい。不思議にレタスがない。その代わり、パイナップル(薄切りで芯を取っていない)とキウイを大量に食べる。お昼が要らないくらいのカロリーだ。朝からこんなに食べている方はいない。30分で楽しんで、すぐ観光開始。
Museo de Prado, Museo de Thyssen Bornemisza, Museo National Centro de Arte Reina Sofia の3館をPaseo del Arte Card(€29.60)とアメリカの1/3位で安い。これで3大美術館制覇(頭の感性が腹いっぱいな感じです)、歴史あるNYのMETと私立で別館もあるBoston Isabella Stewart Gardner Museum( https://en.wikipedia.org/wiki/Isabella_Stewart_Gardner_Museum )、実験的なMOMAが付いてきたみたいでした。なお、セキュリティ・チェックが徹底している。
Museo de Prado:朝間違えて8時半に行くが行列もないため、10時と気づき、周りを歩く。流石にプラド通りは格式が高い。美術館の横にRitz Hotelがあって、ボストンを想い出した(今は移転した)
9時半に行列、日本人が多い。写真禁止。何と言ってもゴヤの「裸のマハ( https://en.wikipedia.org/wiki/La_maja_desnuda )」と「着衣のマハ」、裸のほうが好き入りして好きだ。左の二の腕がへこんでいると思ったら前にベッドの出っ張りがある。画力はともかく、モデルのおねいさんの仇っぽさはなんともいえない。このモデルなら裸だと思ったのだろう。腕を頭の後ろで組んで、胸を強調し、下半身は足を揃え長さを強調し、胸との対比がある。しかもその体とふかふかベッドと対比など装置がそろいすぎだ。顔はなぜか漫画的。いやはや肌や服の繊維の照りなど質感を描かせると素晴らしい。肖像画の精緻な写真のような描き方と個性がある。だが、恐らく、ルーベンスと同じような工房体制で、役割分担もあったのだろう。でないと一品一品に時間がかかり注文に応じられない。ゴヤは他に怪人ものや空中ものなど漫画みたいなのもある。この美術館の北側にはゴヤの銅像とゴヤ門まである。まさにゴヤ尽くしで、プラド美術館内、ゴヤ美術館( https://en.wikipedia.org/wiki/Francisco_Goya )みたいだ。あわせて、フランドルのベラスケス、ブリューゲル、ボッシュ、ルーベンス( https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Paul_Rubens )など見ごたえ抜群。頭がいっぱいになる。
The Three Ages of Man and Deathという加齢を描いた絵も心に響いた。( https://en.wikipedia.org/wiki/The_Three_Ages_of_Man_and_Death )いわゆるmemento mori ( https://en.wikipedia.org/wiki/Memento_mori )であり吉田兼好 徒然草 九十三段にもある( http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure050_099/turedure093.htm )
胃で例えると食べきれない程の内容であり、それぞれの部屋を楽しむMETやMFAに近い動線で部屋単位となり一筆書き動線ではない。展示が多く、観光客が2時間程度で見るべきものではない。
Museo de Thyssen Bornemisza
適当に集めたようだが、印象派もある。分かりにくい部屋単位の動線でしかも階段が分かりにくい。印象派から近代まであるが統一感はない。それでもこの多彩で大盛はたまらない。モジリアーニやムーアのデッサンは初めて見た。ロスコ(四角がひとつ)もあった。ヴァン・ゴッホの見たこともない港の絵もある。
個人の収集としては、ボストンのイザベラ・ガードナー美術館より大きい。ただし、こちらには盗まれたがフェルメールがあった。
Museo National Centro de Arte Reina Sofia
ここも写真は禁止。実験的な作品や昔の近代建築(第3回パリ博など)もあり面白いが疲れすぎてしまった。まずは座ろうと、お昼は美術館のレストランで創作料理の「Squid Underとスプラウトなどの和え物」にしたら、小烏賊のげそが大量にスプラウトとなにやらバルサミコと大きな香辛料がバリバリ入っていました。まずくはないが、うまくもない。パンとチーズがおしゃれでアートを感じました。。。ううぅ ビールとチップ込みで21€
やっと一息ついて、中庭のMiroが可愛い。病院の美術館転用だが動線は感心しない。実験的な展示のため人気があるのだろうが、搬入など問題はありそうだ。付近に増築し複合用途になりつつある。ゲルニカ 黒に群青を差している。さみしさ、むなしさが見える。ピカソの絵には緑に茶色の対比なども多い。20歳のときのMujer en Azul (青色の女)などデッサンも色も行きついている。なるほど、形の解体しかないと感じた。
ついでに歩いてもうひとつ。
Palacio Real (スペイン王宮)
並んで€10、外側の石は劣化がある(砂岩か)、ちょっとくすんだ外観だ。
やりすぎに感じる部屋の多様さと内装、小さいドームは煉瓦、石の継手も階段にあった。内装が豪華だが、シャンデリアがやりすぎでこてこてさがある。
美術館にはなぜかオランダフランドル地方の絵が多い。スペインはローマ時代からのキリスト文化、その後のイスラム文化、そして独自の文化に至った( https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Spain#Roman_Hispania )が、美術館には近世のヴァン・ゴッホまである。オランダがスペインから独立した歴史( 1568から1648年 https://en.wikipedia.org/wiki/Eighty_Years%27_War )からかもしれない。
スペインはその頃の栄光で集めまくっている。その頃スペインの無敵艦隊もイギリスに負けてしまった。( 1588年 https://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Armada )
その後、オランダは17世紀にわが世の春( https://en.wikipedia.org/wiki/Dutch_Empire )だったが、イギリスに負けた( というかイギリスの経営的植民地運営がえげつなかった。阿片戦争を見るとよく分かる( https://en.wikipedia.org/wiki/First_Opium_War )この後、日清戦争になる( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89 )
歴史を感じた。
オランダ旅行の次に、スペイン旅行はつながりがあった。時代の逆行だ。
こちらは観光地で何でも高い!ちょっとつまんで飲んで€20位が多い。円/€:100円位が、円/$と同じく均衡すると思う。逆に日本の食事は安すぎるのだろう。
ボストンのファネイル・ホール・マーケット・プレイスみたいなMercado de San Miguel ( http://www.mercadodesanmiguel.es/en/ )ができていて大盛況(なお日本の串焼き屋は人がいませんでした)、もともと近くのPlaza Mayor( https://www.esmadrid.com/ja/kankoujouhou/plaza-mayor-madrid )にバルとレストランの集積がある。マドリッドは観光地だと思った。
街角に、物乞いとパフォーマーがいる。格差はブリュッセルを思い出す。
貸自転車はここにもある。丘の上の都市では、ボストンのビーコン・ヒルを思い出した。地下鉄がめぐらされているが、駐車が多く、車の利用は多いようだが自転車は少ない。また、市場が多く、観光利用もある。犬連れが多く、落とし物も多い。
街並みは新旧混在もある。高台の坂道と曲がりに味がある。地下駐車場やトンネルが多い。修復型で、生活道路と通過交通の分離、歩行者空間や広場の利用が面白い。
挨拶はHola(アメリカのHiのよう)で、店に入るとか、美術館に入るとかで必ず。女性はキュート、男性は小柄でマッチョな方が多く、煙草が大好き。アジアのコミュニティもあり、飲食・物販に多いようだ。要所要所に自動小銃を持った警察が配備。物騒な側面もありそうだ。
150枚も写真を撮った、それだけ面白い街だ。