7月1日から四条のアーケードには提灯が下がり、左三つ巴と五瓜に唐花( http://jpn.teaceremony-kyoto.com/2016/07/1593 )がお目見え。
しかし、粽の販売もあまりなく、祇園囃子の練習もなく、鉾立もどうなるか分からないのでは盛り上がらない。確かに疫病退散の行事で三密になるのはおかしいが、お祭りがない京都は単なる梅雨の景色だ。
コロナ禍の反経済効果はすさまじい。自粛での機会損失や、防御や欲求不満の医療費増大を考えると、これから失業の増加、給与の低下、設備の余剰など想定され1年後にはリーマン・ショック級の経済低迷が想定される。
3月にはイタリア旅行で消費するつもりだったが、来年の3月は安全なアジアになりそうだ。節約にはなるが、楽しくはない。
しかも、アベノ・ミクスも金融政策では日銀を打出の小槌に使い過ぎ、財政政策ではバラマキと利権という末期的様相だ。
こういう状況こそ、ICTを整備し、次なる教育のありかたや、働き方を改革すべきだ。つまりは、今までの日本型企業の稟議判子決裁(係長、課長、部長がいないと前に進まない)からの脱却が必要と思う。
高度成長時代からの組織や採用形態が変わらないと働き方も変わらない