都市と楽しみ

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酒場の京都学(加藤政洋):京都の酒場に着目、空間的な位置図、時間的な変遷のまとめが欲しい

2020-07-05 02:44:36 | 京都

 意欲的な著作だが、地図が少なすぎる。上下木屋町や先斗町、西石垣、裏寺町、下河原などの地区の特色などまとめが欲しい。また、時系列にも、茶屋、料理屋、歓楽街、カフェー、洋食など供給と利用者、旅行者、学生の需要を時系列に分け、風営法と風俗として席貸やぼん屋をまとめて欲しい。

 建物形式でも会館は面白いが、長屋形式やその他も多いのではないか。むしろ、居酒屋、素人料理の発達とみて、大型料理屋・レストラン、個別飲食店、長屋形式飲食店に分類するのが分かりやすいと思う。

 知見は:

・江戸期に茶屋は貸座席、市掛茶屋、水茶屋、出合茶屋、料理茶屋、料理茶屋があり、塔頭に料理屋、席貸があった。明治期に貸座敷と料理屋に統合

・明治の京都の三業:料理屋、お茶屋(貸座敷)、席貸

・三高の街あるき:酒場、ミルクホール、貸間と食事処(東京は賄いつきの下宿が多かった)

・コンパは老舗の料理屋、学生に寛大だった

・カフエーは文化で拡幅された河原町通に→1929年 大阪でカフエー取締規則が実施(地域、営業上の制限)1933年 特殊飲食店営業取締規則

・居酒屋の発祥は裏寺町の正宗ホール(素人料理(お手軽料理):3人娘が評判)1915年→近傍に宣伝酒場

・昭和の腰掛料理の流行:サンボア、祇園の北郎、西木屋町の呑助茶屋(素人てんぷら)、団栗橋の吉富(寿司)、しる幸

・洋食:花街(色街)と河原町、四条、萬様軒は四条通の拡幅にあわせ移転、武田吾一の設計

・盛り場→中心商店街と歓楽街→娯楽街・飲み屋街(カフエー、バー、酒場の票札)

・1959年風営法→西木屋町(河原町通の裏、高瀬川まで)に集積→舞子あがりのバー「よし子」(1951年)、木屋町仏光寺の「おそめ」(1948年 http://www.tokyo-kurenaidan.com/osome1.htm https://machiwalk.exblog.jp/17311059/ )

・裏寺町:盆屋、寺の周りの小さな家屋、2階で座布団しかないレンタル・ルームで、支払いは盆に入れて置いていく

・裏寺町は、大阪の法善寺横丁、東京白木屋裏の食傷新道( https://edo.amebaownd.com/posts/4503771 )

 体系的なまとめでなく、エッセイみたいな読後感だ

コメント
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