1980年頃の再開発ビルのキーテナント撤退や耐震問題があり、国土建設省が支援方策をまとめているらしい。市街地再開事業の根拠法は都市再開発法(1969年)で、新橋駅前のビルはそのまえの市街地改造法(1961年)に基づく。<o:p></o:p>
加えて、まちづくり3法(1998年)により、改正都市計画法(ゾーニング規制)、大規模小売店舗立地法(周辺環境対応)、中心市街地活性化法(空洞化対応)で中心市街地の再生が行われているが、シャッター通問題は依然残っている。<o:p></o:p>
再開発の仕組みは、駅前などの低層・非耐火・小規模な建築を街区単位でまとめて高度利用し、余った容積は保留床として、第三者(商業、ホテルなど)に売却し、事業費として活用する、等価交換方式だ。建物は、もともといた方々の権利床(店舗、住宅)と保留床(商業・ホテルなど)と駐車場が一体となった複合ビルが多い。アメリカ、ボストンのプルーデンシャルセンター(駅の上部利用)がその端緒とも聞く。<o:p></o:p>
当時は「駅前なので商業は栄える」だろうということで、ショッピング・センター(SC)と大手商業施設が出店を競ったが、郊外ショッピングセンターの出店や、時流対応の遅れ(もともと地元の商店街に近く、ディベロッパー主導でもないことも一因)、空洞化を受けキーテナント(商業)の撤退が相次いでいる。<o:p></o:p>
事例として関西では、宝塚アピアのキーテナント撤退とリニューアルを行った再生会社の「宝塚まちづくり会社」が20億円の負債で破産手続きに入っている。宝塚市の破綻原因の報告( http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/sub_file/01070306000000-chuukanhoukoku-gaiyou.pdf ) があり、この中で、「補助金ありき」、「リニューアルありき」、「お上だのみ」という記述がある。この、意識には「もともと都市計画事業」というのと、こんなはずではなかったというのがあろう。しかし、今の大型商業は変わり身の早さが必要であり、変化が大きいのは事実だ。しかも駅前ならば、自動車ばなれもあり都心商業は再び見直されている。食品(生鮮3品など)や利便施設の収益可能性は大きい。<o:p></o:p>
隣駅の宝塚南口では1974年竣工のサンビオラ3番街が28階のタワーマンションに建替えられる。宝塚市は管理運営の第三セクターに10億円の支援を行ったが2002年に21億円の負債で破綻した。<o:p></o:p>
(この周辺は川西能勢口をはじめ再開発が何故か多い、住宅(人口)と鉄道、大型商業のないことが開発要因であったのだろう)<o:p></o:p>
わずか30年足らずしか持たなかった開発とは疑問だ。問題となるのは合意形成だろう。施設の見直しやリニューアルには共用部や共用の設備は変更・改修に同意が必要だが、権利者のまとまりがないと後手に回ってしまう。一部建替えや構造改修には更に時間が必要だ。<o:p></o:p>
そのためには、複合建物とするより、規模にもよるが、住居棟、保留床棟(商業・ホテルなど)、駐車場棟と分け、設備も独立する開発が良いと考える。そうすれば、権利・所有の明確化が図れる。複数棟の容積率や開発内容の保全は現在の総合設計、地区計画でも担保できているので、必要あれば再開発法に新たに設ければ良い。<o:p></o:p>
商業は変わり身が早いため、その棟の所有者を大手商業とし、地元テナントは(資産売却の上)そこに賃貸借契約で入居するのが集客と活性化の要点だろう。地権者も時代にあった商業のあり方と賃料の払える売上と商業としてのまとまりを考える必要がある。破綻懸念の再開発の商業も一旦商業キーテナントが買い上げる(一括所有・運営形態)にとりまとめるのが解決策としてある。反対に、地元の商店街として再生させる方法もあるが、その企画・運営者を地元に求める場合の受け皿が課題となる。<o:p></o:p>
このように、ハードの建築設計とソフトの商業管理の両面で今後見直す必要があろう。既存の施設の改修と再生にも同じことが言える。危機感のないお上頼みでは再生はない。<o:p></o:p>