インフラストラクチュアー(以下 インフラ 社会基盤施設)への投資が財政政策として求められている。 投資は価値あるものでなければ一時の消費のみ拡大することになる。花見酒の経済と同じで、使えないものが残り、いわゆるバラマキになる。更に、無用の長物は取壊しにお金までかかる。さらに、まとまりなく作りすぎの関西の3空港や四国への3架橋のようなものは投資効果が低くなる。(お腹が空いたとき、牛丼1杯の効用は高いが、3杯はお腹が苦しくなるのと同じだ) <o:p></o:p>
価値あるインフラは借金でもよい。会社も資本と借入金で設備投資をしているのと同じだ。但し会社と違うのは、資産価値の判断が明解でないことだ。投資の簿価はわかっても時価評価できないのがある。更に投資にあたってもコスト・ベネフィットを道路なら、時間・経費の低減、事故減少などの効用と投資で比較するが開示は必ずしもされないし、疑問な計画も指摘されている。投資の費用が大きいため、政治・経済・地域と今までの計画のバイアスがあろう。しかし、無用なインフラ投資は一時の「消費」を生むだけで長期的な利便に貢献しない。<o:p></o:p>
一方、都市の整備も必要だ。電柱・電線の地中化、街路緑化 「不急」と、とある新聞にあったがそうだろうか。電柱の地中化は景観や安全、道路の効率利用と張り出しや看板の防止にもなる。また、街路緑化は風の道やヒートアイランド対策に有効だ。コンパクトシティに必要な施策で生活の質の向上は不要というのか。高齢者の安全のため歩道の設置もあわせて必要だ。 <o:p></o:p>
更に、必要な投資として老朽化した橋などの架け替えがある。一般家庭で家屋の修理と同じで必要 だ。すぐに何でやらないか訝る。新しく作るより、今あるものを守る方がよほど大切だ。新設道路偏重の見直しは鞆の浦が代表例で景観を壊してまで作る時代ではない。 <o:p></o:p>
新しいものを作るという「量」の時代は終わった。「質」の向上が必要だ。また、都市への投資が必要となる。<o:p></o:p>