夏休みに家族でボードゲームはいかがですか?
『ゲームのルールを覚える力と学校の勉強の理解力』
最近、虹色教室に通っている小学生の親御さんから、
子どもさんのことではなく、その子のお友だちのことで相談を受けることが
増えてきました。
子どものお友だちのほとんどが、
どの遊びに誘っても、「どうせ~でしょ」と馬鹿にしたように言い捨てて、
何もしたがらないのだそうです。
テレビゲームか携帯ゲーム以外は、いっさいやりたくないし、どうせ遊んでもつまらないと言い切るようです。
子ども同士で遊ばせるとなると、
そのためテレビゲーム類よりも素朴な遊びが好きな子らが
しぶしぶテレビゲームにばかり付き合っているのが現状なのだそうです。
そこで親御さんが、カードゲームやボードゲームに誘ってみると、
簡単なゲームであってもルールをしらない子が多いそうです。
その子のお友だちはどの子も習い事はたくさんしているし、
勉強のための塾のようなものにも通っているけれど、
そこのお家の4歳の弟くんがすぐにルールを覚えてしまったようなボードゲームやカードゲームの
ルールをいくらていねいに説明しても理解できないので、
途方にくれてしまうそうです。
そんな風にゲームのルールをなかなか理解できないという小学生は、
学校の勉強でも、「理解」するという面でつまずいているようで、
お友だちの親御さんは口ぐちに、
「子どもにわかるように(学校でつまずいている個所を)教えるのって難しいから、
○○式(計算塾)にでも通わそうと思う」と言うのだとか……。
(虹色教室の生徒の)親御さんいわく、
「遊びをたっぷりしていて、ゲームのルールをすんなり覚えることができることと、
学校で習うことの理解力って、関係があるんじゃないでしょうか。
うちの子は遊んでばかりですけど、学校の勉強を理解するのに困るとか教えてもわからないということはないのですが……。
小さいときから、遊び相手がいないから習い事の場で友だちと交流させていれば、
先生がいいようにやることを誘導してくれるし……と話していた方のお子さんたちが、小学校に入って
理解力でつまずいているんですよ」というお話でした。
現在、就学までに字が上手に書けるようになっているか、
計算ができるか、ということは気にしても、
幼児期の遊びの豊かさや幅広さについて
気にかけている方は少ないようです。
一昔前に比べて、幼児の遊びの世界はやせ細って飢餓状態。
かつては子どもたちが友だちと存分に遊びながら
知恵を絞る場所だった幼稚園も、
大人の指示のもとで、何かを教え込まれる習い事と変わらないような場所になりつつあります。
そんななかで、遊べない子、遊びを知らない子、
遊びを覚えられない子がどんどん
小学校に就学していて、
読めるし、書けるし、計算もできるけれど、
先生の説明が理解できない、自分で考えることができないという困難を抱えているようです。
誰もが基礎学力の重要さは実感しています。
そのため、読み、書き、計算にしっかり取り組んでいるお家はたくさんあります。
でも、遊びのルールをスッと理解したり、ひとつの遊びにしっかりコミットメントして、
自分で考えながら工夫して遊んだりする力は、
基礎学力とは関係がないのかな?
と不思議な気がしています。
本当は高学年以降の思考力を必要とする学習のための
基礎や基盤であったはずの
読み書き計算は、
頭のなかでイメージを操作する力を育てないまま
カードや訓練で丸暗記しているため、
応用問題になるとチンプンカンプンとなる子を作り出しているのではないでしょうか。
つまり、学習の基礎や基盤としての役割を果たすことができていないのです。
その問題に関しては、これまでも何度か紹介させていただいている
e-子育てcom.のスタッフブログの羊さんが、
逆算の感覚を子どもに持たせる という記事のなかで、
指摘しておられます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
低学年で計算を手順として暗記しひたすら練習してきた結果、式の意味をイメージできなくなっているのです。(略)
ポイントは計算が正しくできることよりも先に、
なんとなくこっちの数が大きい(小さい)と解るセンスが養われているかどうかです。
数の世界のイメージが生徒の中に作られていれば、計算力は後からついてくると思うのです。
(『逆算の感覚を子どもに持たせる』より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
話を遊びのことに戻しますね。
教室の生徒のひとりは、ベイブレードが大好きで、持っているベイブレードの長所や短所や
改造の仕方で頭がいっぱいです。
上手に回すための練習にも余念がありません。
けれど、家に遊びにくるお友だちは、
「なんだ、そんなのただのコマじゃん」の一言でおしまい。
やってみようともしないそうです。
「なんだ、そんなの○○じゃん」と言ってしまえば、
好奇心はたちまち枯れてしまうでしょう。
そうした小学生が増えているなかで、
学校も家庭も、
ただ読み書き計算という基礎学力強化に励むだけでいいのでしょうか?
ゲーム(トランプやボードゲームなど)のルールを覚える力 と 学校の勉強の理解力のこれまでの記事に次のような
コメントをいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こうした遊びが得意な生徒は地頭が良いというか、問題解決能力が高いのは確かですね。
本 気になったら勉強で力を発揮する余地がある感じ。
やっぱり脳を幅広く使うからではないかと思います。
低学年の成績を気にするよりも、脳の使い方に偏りを生じない生活を送ることが、
将来伸びる子どもを作ると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「脳の使い方に偏りの生じない生活」という言葉に
確かにその通りと感じました。
今回記事にした内容を、息子に簡単に説明したところ、
「効率化も行き過ぎると、本末転倒だな~」
と苦笑いしながらつぶやいていました。
息子 「算数ができるようになるためという目的にだけフォーカスして
効率化し過ぎているんじゃないかな?
本来、算数を勉強するときには、それをすることによって
いろんな多面的な能力が上がっていくものだよね。
確かに、学習手段を効率化すれば、短い時間で多くの子どもの
学力の一部を向上させることはできて、
管理する側の得はあるだろうけど。
でもそうした勉強は、学ぶ側からすると、
日常生活からどんどん離れていくし、なぜ勉強するのかという理由も
感じとりにくくなるよ。
算数や数学には、汎用性の高いものと、汎用性が高くないものが
あると思うんだ。
同じ内容を学ぶにしても、そのどちらで学ぶかで、応用できる
範囲は大きく変わってくると思うよ。
そこで、効率ばかり考えて、汎用性が高くない……
たとえば、計算問題でしか使えない計算力とか、
足し算なら足し算、引き算ならその引き算の枠を超えて
数学的に考えていけないような学び方をしてしまうと、
たとえできるようになった子が増えたところで、
問題を先延ばしにしただけに
ならないのかな?」
母 「そうなのよね。基礎学力を身につける間にやたら効率の悪い
考え方を身体に刷り込ませてしまう子がいるのよ」
息子 「基礎を学んでいる最中って、将棋でいうと序盤の定跡を
覚えている時期にあたるんだろうけどさ。
同じように将棋を覚え始めている人がふたりいたとして、
一方はしていることの意味もわからないまま、
効率的に短期間でがむしゃら覚えて、
もう一方は自分が将棋の勝負という目的に勝つための戦略のひとつとして
それを学んでいることや、最終的に目指す成功に焦点をあてながら
余裕を持って学んでいるとしたら、
どっちが最終的に上達する可能性が高いかっていうと後者だと思うな。
いくら効率的に学んでも、最終目標が常に動いていて、
常にぼやけている状態では、
何かをきちんと習得するのは難しいものだよ」
母 「そうよね」
息子 「教育についてこれまでも多くの人が問題解決に乗り出したのにうまくいかない原因の
ひとつは、この最終目標がぶれたりぼやけたりしていることと関係が深いんだろうな。
実際、教えている人も学んでいる側も『仕事』というのがイメージできないから、
何をするにも、取りあえず……という構えになりがちだよね。
将来、仕事をする上で、どういうことを身につけなければならないか、
誰もクリアーなイメージをつかめないままに、
そうした心もとない状態が不安だからと、
とにかくがんばりなさい……今は時間を競いあってタイムを縮めなさい……
と無責任な指示を出す。
仕事という最終目標までいかなくても、
今している計算が、次にどのような学習の役にたつのか、
自分はどんな目的のために頑張っているのか、見通しがたたないまま
急ぎすぎると、
自分がしている作業の目的も定めないまま、無駄に忙しく
して、結局、答えが出せないってことになるんじゃないかな?」
母 「小学生の低学年なんて、目的も意味もわからないから、
ただ競争をけしかけて、量をこなさせればいいと思っているのよね。
ハイハイしている赤ちゃんにしたって、
進め進めとけしかけられて進んでいるときと、
目の前のボールをつかもうと目的に全神経を集中させて進んでいるときとでは、
違いがあるのは確かなのに。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そんな会話を息子とした後で、
ちょうど話題にしていた
「問題の目的(や意味)を考えずに作業をして、空回りに終わるのでは……?」という疑惑について、
前回リンクさせていただいたe-子育て.comの羊先生のブログの最新記事で
実際、どのような問題が起こっているのかという具体例を目にしました。
何度もリンクさせていただいているので気が引けたのですが、
これは紹介させていたいと思ったので、また紹介させていただきます。↓
無意味な計算を次々する生徒
計算に関しては次のようなコメントをいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学校はもう少し先ですが我が家にも「計算が何秒で出来なければ駄目だ」
なんて言われる時がくるのかと思うとなんだか今からモヤモヤしちゃいます。
私も「計算なんて早くなくても答えが出せたらいいじゃない」くらいに思っています。
普通に出来たらそれでいいとは思うのですが、「じゃぁ普通ってどれくらい?」
とか素人すぎる私は「遅すぎるのも駄目?」なんて思っちゃうんです。
計算が遅すぎると何か害はありますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
計算が極端に遅すぎる場合、
害があるかどうかという心配よりも、
まず、どうしてそれほど計算が遅いのか、
原因を突きとめる必要があるように思います。
計算の遅さには、数を頭のなかでイメージすることが困難だったり、
短期記憶が弱かったり、集中力がなかったり、不器用さといった
何らかの原因があるかもしれないからです。
算数というのが理解しながらマスターしていく学習だということを
忘れてしまうほど、
計算タイムを縮める必要もないけれど、
自分がしている計算に、「自分はきちんとできている」という実感や、
スムーズにこなしていける気持ちよさを感じられるくらいの
力をつけることは大事だと感じています。